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障害者を差別するなんてありえない!でも自分は障碍者にはなりたくない

その他いろいろ

障碍者総合研究所にて「障碍者に対する差別・偏見に関する調査」結果が発表されていました。

障がい者総合研究所
障がい者総合研究所が障がい者に関する調査・研究を行いレポートを発表しています。障がい者の総合就職、転職サービスを運営する株式会社ゼネラルパートナーズの調査・研究機関です。

自分がもっとも注目したのは「日常生活で差別や偏見を受けたと感じてたことがあるか?」というアンケート。

障害者と差別の組み合わせ。あってはならない事だと思っています。

でも、本当に心の底からそう思っているのか…?と障害を負ってからの自分を振り返ると「うーーーーん」となるんですよね。どうも自分の行動と理想がズレているような気がするのです。

一体どういうことなのでしょうか?深く考えすぎているのでしょうか?

「ズレの原因は言語化されていない本音の部分なのかなぁ?」

なんて考えたりもしました。

今日は頭の整理整頓を兼ねて「障害者差別」をテーマとした記事を書いてみたいと思います。

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日常生活で差別や偏見を受けたことはありますか?

障害者差別のアンケート結果はこの通りでした。

[1] 日常生活において、「差別や偏見を受けた」と感じている人は59%

[2] 差別・偏見を受けたと感じる場所で最も多いのは「職場」で56%

[3] 差別や偏見を受けたと感じた場合でも47%は「誰にも相談していない」

相談している人の相談先は、「家族・友人」が30%、「専門機関」が23%

結果をざっくりと判断すると、半分よりちょっと多い人が差別や偏見を受けた経験があるといった感じでかな?と思いました。

私がこのグラフで注目したのが「身体障碍者」と「精神障碍者」の違いなんですよね。若干違いがあります。【精神障碍者のほうが偏見を受ける傾向にある】そのように読み取りました。

この微妙な違いはどこから来るのかな?と振り返ると、やっぱり見た目なんだろうなぁって思います。

精神障碍者って包帯を巻いて居たり松葉杖をついて居たりするわけではありません。見た目が普通の健常者なんですよね。見た目が普通だと障害があるように見えません。

体が動くのは非常にありがたい事なのだと思います。でもこれが誤解を生むというか、理解を難しくするというか…ここに精神障害者差別の原因の一つがある気がします。

私の少ない経験からなんですけれど、1年間障害者として過ごしてきて感じているのが、

周囲としては普通に接しているつもりだけど、当事者にすれば「そうなんだよな。そういう扱いになるよな…」

って思えることがちょくちょくあるんですよね。

正直言って「それって私に対して失礼じゃないか?」っていうような態度や物言いもありました。

でも、こちらとしては「障害を負い目に感じている」という上がら得ない事実があります。ものすごく大きな壁に感じています。この壁がある限り、私の方から反論や主張ができない。

「そんなことないよ」

って周りの人は思うかもしれないです。勝手に自分で壁を作っているだけなのかもしれません。でも現実問題として、今明らかに見えない壁を感じています。

「私の方からは何も言わないけれど、私のことをわかって!察して!」状態になっているのかなぁ…。でも周囲に気を使わせないように、迷惑をかけないように…って考えると何も言えなくなります。

障碍を負った当事者と周囲との温度差

私が勝手に周囲との壁を感じてしまっている。なんて周りの人が知ったら

  • 「こんなに心配かけさせて!」
  • 「色々フォローしているのに!」
  • 「いまさら何を言っているの!?」

って怒ると思います。がっかりするかな…。色々と気を使われているのは理解しています。感謝しています。私が勝手に壁に感じているだけなのかもしれません。だから、このもやもやした気持ちは、リアル世界では口にできません。しません。世界が壊れるような気がして恐ろしい。

私はきっと、波風立てずに元の世界に戻りたいのだと思います。静かに。自然に。出来れば誰にも迷惑をかけずに(すでに迷惑をかけてまくっていますが…)

でも、それができる時期とできない時期がある。私は退院直後に誰にも迷惑をかけまいとして、無理をし過ぎて発狂状態のようになった経験があります。あのときは地獄でした。

行動するほどに周りとの溝が深くなるのだろうか?

私は退院後、元の世界に戻ろうと必死に行動をしました。本当に「このまま続けたら死んじゃうかもしれないよ?」ぐらいの勢いでした。

  • 元に戻りたい
  • 下に見られたくない
  • 自分がダメになったと思われたくない

完全に意地とプライドの塊状態。自分がダメになったなんて絶対に思われたくなかったし、思いたくなかった。認めたくなかったんです。

だから必死に元の世界に戻ろうとする。でも出来ない。出来ない理由がわからない。出来ないから繰り返す。出来るまで繰り返す。ついに破綻する。そんな状態でした。

自分の思いとは裏腹に…マイナス方向に進む世界

のたうち回る私を見て周りは言いました。

「出来ないんだね」「かわいそう」と。

本気で心配して同情してくれているのだと思います。でも私にとっては屈辱以外の何モノでもありませんでいた。

同情されてわかりました。同情って下に見られている事実の証明なんです。

「ふざけんな!俺はもっとできるんだ!できていたんだ!自分の方が出来るはずなのに出来ないのは許せない!絶対に許せない!」

私への同情は、怒りの炎への油。

この怒りは、当たり前のことが出来ない自分へと向けられました。プライドからくる焦りと怒り。これが私の抑制力を破壊しました。暴走状態です。

周囲は私を止めようとします。私は元に戻りたくて、自分を認めさせたくて行動するのです。でもそうすると周囲からは「かわいそう」「無理をして迷惑をかけるな」という反応が返ってくるのです。

私にっとって「かわいそう」「迷惑をかけるな」という言葉は、私を見下す差別の言葉でしかありませんでした。

もちろん周りはそんな気はありません。でもそうなってしまうのです。悲しすぎます…。

差別と思いやりの違いに気づいたとき

時間の経過とともに障害の度合いが軽くなり、運転再開という一大イベントをクリアしたころ、妻が言いました。

「運転をするようになってから人が変わった。とても良くなったね。」

運転再開は救急搬送された時からの目標でした。1年の時間をかけて目標を達成したことで、自信が蘇ったからなのかもしれません。

「あせるな」もよく言われていました。でもその言葉の意味が全く理解できていませんでした。意味を理解するのは「あせらない」が出来るようになってからですね。本当に鈍いです。

「かわいそう」「迷惑をかけるな」そして「あせるな」どれもが私の身を案じた言葉でした。消して差別の言葉ではありません。

ずっと一緒にやってきたみんなが、障害を負ったからと言って手のひらを返したように差別をし始める…。そんなことあるわけないじゃない…。今思えばそうなんですけれど、わからないんですよ。周りが見えないのです。

ようやく気が付いたのです。

「私がかけられていた言葉は差別の言葉ではなかった」

ということを。

差別と思いやりの違いに気が付けない!

障害者になりたての数か月間は、とにかくフルパワーで元の世界に戻ろうとしていました。焦りの塊でした。パニック状態という表現があっているかもしれません。

この頃の私は、周囲のすべてをマイナスに感じ取っていたのかもしれません。だから思いやりも差別に感じてしまっていた。今はそう考えています。

本当の差別とは「無理解からくるもの。物事を解決・改善する意図のない一方的な攻撃」なんだと思います。

分かりやすく表現すると「大勢と異なることを理由に、大勢が安全な所から少数に対して一方的に石を投げつける行為」でしょうか。

私の場合は「愛情を投げかけられているのに、石を投げつけられていると誤解している。」というとんでもない誤解でした。

でも、これに気が付くのってとても難しいよなぁとも感じています。

なぜかというと、自尊心が全部吹っ飛んでしまった状態なので「自分にそこまでされる価値があるのか?」という気持ちが基準になっているんですよね。

妻曰く

  • 「自分はダメになってしまった」
  • 「存在価値が無くなった」

そう呪文のように嘆いていたそうです。

自分の鈍さの言い訳になってしまいますが、そんな感じでした。絶望のどん底の中で私がつぶやいたとき、妻は泣いていました。

自分を障碍者だと差別するのは自分だ

高次脳機能障害になってからの1年間の出来事を振り返ると「もしかして自分で自分を差別していなかっただろうか?」って感じます。

記憶障害・注意障害・遂行機能障害と3つの障害があると診断されました。

人生最大級の壁にぶち当たりました。乗り越えようと必死になりました。出来ずにパニックなりました。

その後は劣等感の塊。毎日「あの頃はよかった」と自信に満ち溢れていた頃の自分を思い出して泣く毎日。

退院直後は今まで通りに何でもできて当たり前だと信じていました。昔の成功体験が積み重なっていますから。

でも失敗を繰り返すうちに、過去の成功体験は意味の無いものだと悟りました。

周りからも「昔とは違うのだから!」と何度もくぎを刺されました。

当たり前のように出来ていた事。障害で出来なくなった事。あまりにもふり幅が大きくて…「なんでこんなこともできないんだよーーー!」って自分自身に向けられる怒り。

  • 出来て当たり前のことが出来ない。
  • 悔しい。
  • なぜできない。
  • 出来るまでやるんだ。
  • やらなくてはならないんだ。
  • 出来ないとダメになったと思われる。
  • ダメになったなんて思われたくない。絶対に。
  • だからやれ。

葛藤の無限ループに陥りました。

「出来なくてもいい。生きてくれさえいたら。今の仕事にこだわらなくてもいい。新しい仕事を探せばいい。」

そんな妻のアドバイスも耳に入りません。逆に火に油です。

  • 出来ないなんて絶対に認めない!
  • 出来なくなったなんて絶対に言わせない!
  • できなくなったと思われるくらいなら死んだほうがましだ!

ここまで頑なになるのも高次脳機能障害の症状なのでしょうか?元々の気質なのでしょうか?

障害を負った自分自身を全力で否定していました。自分が障碍者になった事実を受け入れたくなかったのです。すでに診断は下っていたとしても認めなくなかったのです。

障害者を差別するなんてありえない!でも自分は障碍者にはなりたくない

↑この小見出し…自分で書いていてなぜか涙が出てきます。なぜだろう?

私ってすっごい自分勝手だと思います。差別は良くないって理解しています。差別した事なんてありません。でも心の中では障碍者を差別していたのか?と自分を疑ってしまいます。

こういう感情や疑問が起こるということは、私は自分を許していないのだと思います。

どういうことか‥?また何かの壁にぶつかった時、全力で乗り越えようと無理をするのではないだろうか?そんな爆弾を心に抱えているようで恐ろしいです。

爆弾のスイッチは今までの経験から「恐怖心」だと思います。恐怖でパニックになると自分で自分を止められなくなると思います。

「きっと千葉リハの先生方はそういう現実があるのも知っているんだろうなぁ」って思います。

見えない障害への差別。当事者なのに自分自身を差別し続けている。だから自滅する方向に進んでしまう。

そんな気がしてなりません。

この葛藤はいつ終わるのでしょうか…。苦しいです。

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