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高次脳機能障害の復職|私のようにトラウマを抱えないために事前に確認すべきこと

私は、記憶障害・注意障害・遂行機能障害があると、診断されましたが、障害を持つ前と同様の仕事をしています。

私の仕事はコンピュータシステムの開発です。パソコンを使って企業で使うシステムを構築します。

「え?なにそれ?高次脳なのにそんなことが出来るの?」って思う方もいるかもしれません。

高次脳機能障害は人によって状況が全く違いますから、私がシステム開発の仕事ができるからと言って他の方もできるとは限りません。

でも全く不可能ではないことの証明にはなるはずです。

私自身は入院していた頃は主治医に「復職は無理」「高次脳になったあなたのする仕事ではない」と言われていました。

それからもうすぐ3年です。バリバリに出来るようになっています。【障碍者になったとしても望みはある】そう感じています。

でもスムーズに仕事を再開できたわけではありません。すっごくきつかったです。辛かったです。もう二度と体験したくないです。

今回はどうやって私が仕事に復帰できるようになったのかを、スタートラインから振り返ってみたいと思います。

「こんな人もいるんだ」と参考にしてみてください。

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前提:私の高次脳機能障害

正月を過ぎて間もないころです。私はインフルエンザに感染し体内でサイトカインストームが発生しました。(コロナでも起こると言われている免疫反応です)

その影響で脳の海馬という器官に傷が付きました。脳が腫れ上がり一刻を争う事態です。

海馬は最近の記憶を司る器官。傷の影響でインフルエンザに罹る一か月前からの記憶がほぼ消えてしまいました。

1か月の入院期間中

この頃は重度の記憶障害と診断されていました。毎日MRIと記憶の心理検査を実施。易疲労と感情失禁もありました。なにせ漫画を1ページ読んだだけでグッタリするような状態でした。

でも不思議とスマホでLINEをやったりどこかのサイトを見たりするのは平気でした。

一番辛かったのは心理検査と電話です。いつもグッタリ。それでも「退院したらすぐにでも以前通りに働ける!」そのように宣言していたそうです。

病識が全くなかったんですよね。頭では記憶が悪くなったというのは自覚していました。でもそれが何を意味するのか、退院したらどうなるのか。全くわかっていませんでした。

わかるはずがありません。経験するか、勉強しないと無理です。高次脳機能障害の世界は想像を絶する世界でした。

退院直後の1か月間

私は、退院後非常に辛い目にあいます。本当に生き地獄。自分だけではありません。家族も地獄に落ちたようになったと思います。

なぜかというと、障害の認識がない私が生まれて初めて障害の壁にぶつかり、とんでもない絶望感を味わうからです。

「絶対にあきらめない!」と、もがけばもがくほどつらい目にあいます。

普通なら諦めるレベルかもしれません。でも止めませんでした。忍耐づよいから?努力家だから?…違います。抑制が効かない危険な状態になっていたからです。

周囲に止められるまであがき続けました。とことんやっていたら今頃は一生寝たきりにです。医師からは「頑張るな」とクギを刺されていました。

家族が私から目を離すとすぐに過集中してしまいます。集中しすぎて疲れも暑い寒いも感じません。

高次脳機能障害になると疲れが自覚できないのです。命に係わるレベルで。

退院後半年が経過

一番危険だった頃は、退院直後に仕事を再開した時です。そこから1か月間は散々ひどい目にあいました。

まず一人で仕事ができません。なぜなら忘れるからです。とにかく忘れる。すべてを忘れます。

「メモを取るなどして工夫せよ」と思うかもしれませんが、無理です。はっきり言って無理。

なぜ?

私はメモ魔でした。救急搬送された当日からメモを取っていました。そのくらいメモを取るんですよ。その私がメモを使えないんです。

正確には「メモを活用できなくなった。」ですね。

そうなんです。メモは書くんですよ必ず。絶対。どんなことがあっても。

でもね、メモしたことを忘れるんです。

「忘れた時のためにメモがあるんじゃないの?読み返せばいいじゃない。」

って思うのは普通の人です。分かります。

私の場合は

  • どこにメモを取ったのかを忘れる。
  • そもそもメモをしたことを忘れる。

こうなんですよ。記憶障害の影響です。

さらに悲劇は続きます。

運よくメモを発見したとしても「何が書いてあるのかが分からない」ことが多々ありました。

字が汚いとかそういうレベルではありません。

文章になっていなかったり、前後関係がなくて意味不明だったり…とにかく後から読み返しても

  • なんだこれ?
  • 辻褄が全然あっていない
  • わけわからん

こんなメモが出てくるんですよ。

明らかに自分の字で書いてあります。メモを取った瞬間は内容に納得しているんですよ。読み返してもいると思うんです。でも…

実際に必要になった瞬間に再確認すると

「なんだこれ?」

になってるんですよね。自分でもすっごく不思議です。注意障害の影響なんでしょうねぇ。自分でやって自分で不思議がる、本当に不思議な世界。こんな状態でも仕事って出来るものでしょうか?

実はこの頃になると仕事をゆっくりと進められるようになっていたんですよね。首の皮一枚。断崖絶壁の上を綱渡り。そんな緊張の連続でしたけれど。

失敗するのが目に見えてるんですよ。さんざん障害で失敗したから。それでもやらなければならない。絶対乗り越えなければならないって考えていました。これも障害の影響で融通が利かなくなったのかもしれません。

相当無理をしたと思います。朝パソコンの前に座るといきなり吐き気に襲われます。「おえおえ」言いながら仕事をしていました。

そして夕方になると悲しくなってくるんですよ。この頃が最も感情失禁が酷かったです。

夕方になると泣いてばかりいる毎日。昔の元気だったころの自分を思い出して悔しくて仕方がないんです。

注意障害が落ち着いたのは受傷半年後

私は記憶障害が目立っていたわけですが、メンタルにきつかったのは注意障害の方でしたね。

こいつのせいで自分で自分が信じられなくなりました。

記憶障害ははっきりしているんですよ。「最近の出来事は覚えられないんだ」って自覚できるから。

でも注意障害はそうはいかない。自覚のしようがない。っていうか自覚した時が注意障害を克服した時なんじゃないかなあ?って思いますね。

自分で気づかないうちに間違っているんですよ。

私は障害を克服したいんです。乗り越えたんです。元の世界に戻りたいんです。

だから間違わないための工夫をさんざんしてきました。でもその工夫そのもので間違えてしまうのです。だから気づけないんですね。

私の注意障害はこんな感じでした。相当なものだと思います。五感を失っていることにすら気づいていないのですから。

  • 病院食の献立が一般と糖尿用とで違うのに気づけない
  • MRI検査をする時に渡される緊急停止のブザーが、カメラのレンズのホコリ取りと同じものと錯覚
  • MRI装置の形がフィットネスジムの酸素カプセルと同じ形と錯覚
  • 自分が入院している部屋の番号を間違える
  • 妻に「携帯を持って帰っていいよ」と言いつつも「携帯が無い」と探しまくる
  • 毎日顔を突き合わせている心理科の先生の顔と、毎朝巡回してくる教授の顔が同じに感じる
  • 注射や点滴の針の痛みを全く感じない異常事態に気付かない。
  • 匂いが全くしない異常事態に気づかない。

記憶障害と注意障害がまじりあって遂行機能障害に

スグに忘れるわ、圧倒的に注意力がなくなっているわの悲惨な状態。

これが私の高次脳機能障害の内訳です。この二つの障害の結果どうなるかというと…

【物事を達成できなくなる】

こんな悲しい状態になってしまうんですよね。システムエンジニアとして復職?運転再開?それどころじゃないですよ。

退院時の私は一人で普通の生活すら送れない状態になっていたんですよね。これは本当にそうだと思います。危ないですよ。一人で家にいさせたら。行動(というか信頼性?)が小学生以下のレベルでしたから。

さて、こんな私でも今はシステムエンジニアとして以前と同様に仕事ができるようになっています。

どうやってここまで回復できたのでしょうか?

高次脳機能障害の私が復職するためにやったこと

基本は散歩と夕飯のお使いです。ばかばかしいと思いますか?

私はこの二つすらもまともにできませんでした。それでも毎日近所のスーパーまで卵や牛乳を買いに行きました。

二つ買うと間違えます。だから一つだけです。大の大人が夕方にイオンに牛乳を一本だけ買いに行く。なんか恥ずかしい気もしました。

でも現実の私はそのレベルにすら達していなかったんですよ。牛乳が買えないんですよ。牛乳を買ってきてと言われているのに、卵を買ってきてしまうんですよ。

…これ…復職無理でしょ?

でも大丈夫。

脳波回復します。私が体験したように、たった今一人で買い物すらできないあなたでもきっと買い物ができる日がやってきます。

最初は妻や子供に手を引かれながらスーパーまで歩いていく。それだけでいい。本当に最初はこれすらも辛いから。易疲労でグッタリするから。

一人でお買い物ができるようになる。それが復職へのスタートラインかな?って思います。そのためには家族と手を繋いでスーパーまで牛乳を買いに行きましょう!

実際に散歩を兼ねたお使いは脳にかなり良い刺激となると感じていますよ。

もうすぐ3年を迎える現在

あれから3年になります。今はバリバリに仕事をしています。

相変わらずシステムエンジニアを続けています。

高次脳機能障害になると関知しない。発症前の85%ぐらいの能力になる。って診察を受けた時に聞きましたが、

  • そんなことないんじゃない?
  • いや、そうなのかな?

こんな二つの気持ちがせめぎあっている状態です。

どうやら、周囲の状況で注意障害や記憶障害の度合いが変わるようです。(さらに疲れの度合いも)

健常者時代と遜色ない!って感じるときと、「やっぱり障害があるんだなぁ」って感じるとき。この二つが混在していますね今は。

障害有無の分岐点の一つになるのが「心構え」なのかな?って感じています。

要は「注意するぞ!」って気合を入れた時はしっかりと記憶するし注意もできる。

でも油断すると…「あれ?」って抜けてしまうときがある。

そんな状況になっているようです。

高次脳機能障害な私の復職状況

障害からもうすぐ3年。復職しています。

復職した直後は恐怖との闘いの連続でした。

怖いです。失敗が。だから逃げ出そうとする弱い心が現れました。

「自分には価値が無くなった…」高次脳機能障害になってからの生活を振り返る

でも逃げたくはない。意地とプライド。無理に恐怖心を抑え込みました。

するとゆがみが発生します。心のバランスが崩れます。

それが私の心の障害が酷かった頃に現れた

  • 夕方になるととても悲しくなる
  • アリもしない現実を想起して怒りの感情が湧く

この二つの現象なのだと思います。幻のようなもを見るときもありました。障害が酷かった頃は。

今思えば無理をしていたひずみが現れたのだと思います。

自分で自分がすっごい怖かったです。追い込み過ぎたのかなぁ?って思います。

障碍者になって「自分には価値がなくなった。でも…でも…負けたくない!」って気持ちがあったんですよね。

今でも若干トラウマが残っています。この心の傷は深いですね。病前は自信満々で「常に私が正しい!」ってタイプだったのですが、今は「間違っていそうで怖い」となり、常に苦しんでいます。

このトラウマを抱えた状態で復職をしたわけになるのですが、本当にしんどかったです。今でもちょっとしんどい。常に周囲の目を気にしている状況ですね。怖い。本当に怖い。

無理をし過ぎたと思います。失敗したなぁ…。二次障害ってやつなんでしょうね。

私のように復職でトラウマを抱えないためにしておきたいこと

「無理をして復職をしない。」これに尽きると思います。

でも生活のために、そうはいかない方もいると思います。

もし過去の自分に一言アドバイスをするとしたら、なんと言うかな。

基本は「無理をするな」ですね。だけど現実の私もさんざん言われたことなんですよね。

無理をするな以外だったからこんなアドバイスをするかな。

  • 「たぶん焦ると思う。生活があるし、元に戻りたいだろうし。」
  • 「最初はキツイ。本当にキツイ。出来ないことだらけで叫んで大暴れしたくなるほどキツイ。絶望するよその時は。」
  • 「でも確実に元に戻れる。本当に元に戻れる。絶対に。」
  • 「もし戻れないとしたら、無理をし過ぎて体を壊した時。周囲に負担をかけすぎた時。そして諦めた時。」
  • 「だから、ゆっくりと、あせらずに、いっぽいっぽ、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと。進め。」
  • 「きついと思ったら休憩。とにかく休憩。時間が間に合わなくても休憩。」
  • 「大丈夫。脳は回復するよ。少しずつ。確実に。」

あれ?これ私が障碍者になってから3年もの間、周りから言われていた言葉だ。

「あせらない」これが大事なんですね。

ここまで冷静になれたら、いよいよ自立できるのだと思います。っていうかすでに自立しているから、過去の自分にアドバイスができるようになったのかもしれませんね。

【結論】
高次脳機能障害になってから復職するまでにやっておきたいことは「自分が周りから言われていたことを、後輩に言えるようになる事。」ですね。

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