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高次脳機能障害者の就業|どこまでオープンにすべきか?

近いうちにとある会社で働くこととなりました。仕事の内容は事務員さんです。

「私が事務所の仕事を…???」

知り合いからの声掛けだったのですが、私が事務員として誘われるのは違和感を感じます。だって生粋のエンジニアですから。事務仕事はやったことがありません。帳簿とか管理とか電話応対とか…無理です。できません。やり方を知りません。もろにNGワード連発状態です。

そんな適性のない。しかも障害を持っている私に声がかかったのは裏に何らかの意図があるのだと考えています。たぶん私に事務所のIT環境の整備や社内システムの構築を行わせるつもりなのかな?こちらは得意中の得意ですから!

もしそうであれば、とてもお得にIT環境を整えられると思います。私がシステム構築をしたお客さんの所に出向いて作業をしていた頃の費用の10分の1以下になりそう。

…と技術的な面だけで考えるとそうなるのですが、私が障碍を負った後も変わらず付き合ってくれていた事。立ち直る機会を与え続けてくれたこと。この先未来へと続く道筋を見せてくれていること。

このようなお金には換算できない大きな価値を考慮すると「ただ働きでも構わない」レベルで恩返しをする機会がやってきたのだと捉えています。うれしいです。やっと私の価値を提供できる機会に巡り合えました。

私はこの機会にどんどんIT化を推し進めるつもりです。仕事の効率を上げて、ミスを減らし、効率の良い職場に変えていきたいな。なんて考えています。もろに私の得意分野です!

でも最初から飛ばすと息切れをするはず。そもそも夕方になると記憶の想起があいまいになる障害が残っているようですし。

また、人間関係も慎重に様子をチェックしなければならないと思います。みんないい人たちばかりなのですが、それは私が外部の人間だったからなのかもしれません。同じ空間で顔を突き合わせるな職場の一因になった時…どう変化するかはこれから知ることになります。

だから、以前の調子とは接し方が異なります。じっくり慎重に控えめに行きたいと思います。

きっと向こうも様子を見まくるでしょう。そもそも「障害者」というラベルの付いた状態ですから。私は。

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障害者の私が今できることは何か?

私がとても嫌いな言葉がありますそれは「障害を言い訳にするな」という言葉を人から言われることです。

今まで一度も言い訳に使ったことは在りません。常に全力でベストを尽くそうとしています。甘えの心?そんなものは最初からありませんよ。

それでも失敗するのは障害だからです。すっごく悔しい。周りから下に見られているのが分かります。私って舐められるのが本当に嫌いなんだなって思います。だからとことんストイックに自分を追い詰めて努力しているんですよ。努力している「つもり」ではないですよ。限界以上の努力をしています。それでも失敗するのです。

そんな私に「障害を言い訳にするな」は屈辱以上の何物でもありません。

障害が改善するにつれて、だいぶ慢心して思いあがってきた感がありますが、これが本来の私の思考です。絶対負けたくないんですよ。勝てなくても良いんです。下に見られるのが嫌なんです!

というわけで、「新しい職場に行くこととなっても、絶対に隙を見せたくない。」そう考えています。

ちょっと気負い過ぎかな?なんて感じもしますが、最初のうちはこのくらいでいいのではないかなって考えています。

  • 健常者と同じ態度で臨んでは絶対に舐められるでしょう。
  • 健常者と同じ成果を出していては、仕事の出来ない奴と評されるでしょう。

「障害を理由にするな」という言葉は、健常者が障碍者にかけてよい言葉ではない。障碍者が健常者にかけるべき言葉だと考える。なぜなら「こいつは障害者だ」という色眼鏡をかけて人を障碍者を評価することへの反発だから。

そのくらいの気持ちでいます。

新しい職場。最初は何からすべきなのか?

だいぶ偉そうなことを書きましたが…

私は会社では新人さんの一人となります。だから最初の仕事は「みんなの名前を覚えること」です。

「偉そうに言っておいて、そんなレベルなの?」って思うかもしれませんが…記憶障害を抱える私が、全く新しい情報を脳に刻み込むのって、相当の困難を伴う作業なんですね。

そもそも私は人の名前を覚えるのが超苦手なんです。障害をもつ前からです!

この苦手科目を障害というハンデを背負った状態で克服していかなければなりません。きついです。きついですが名前ぐらい覚えていないとまずいです。

というわけで今は必死に名前の暗唱を繰り返しています。壁に名前を貼り付けてことあるごとに、ぶつぶつと名前をつぶやいています。寝るときも起きるときも、日中もずーーーーとぶつぶつと名前を暗唱しています。

たったの数名なのですが、未だに全員覚えられていません。なんという記憶力の無さ…。現実と理想のギャップが激しすぎます。厳しすぎます。情けないですね。これでは偉そうなことが言えません。悲しいなぁ。

新しい職場。障害はどこまでオープンにすべきか?

一緒に働くメンバーの名前すら覚えられない私。もろに記憶障害の症状が出ているわけですが、障害ってカミングアウトしたほうが良いんですかねぇ?結構なやんでいます。

その職場では私の障害を知っている人がいるのですが、逆に知らない人もいるんですよね。

知っておいてもらった方がいいのかなぁ?それとも差別につながって居心地が悪くなるかなぁ?なんて色々と考えてしまいます。

私、疲れがたまると理不尽な失敗をします。2年半の障碍者生活で痛いほどわかっています。まず記憶の想起ができなくなります。さらに疲労がたまり状況が悪化すると「なんだこれ?」と後で驚くような行動をとったりもします。(主にメモなんですけれどね)

私の障害を知っている人なら、私がミスを犯したとき「あっ、これが障害かぁ」って納得すると思うでしょう。

私の障害を知らない人なら、私がミスを犯したとき「何をしているの?ふざけているの?変な人すぎて怖い」って驚くと思います。驚くというよりも恐怖でしょうね。未知の世界を見せつけられるわけですから。

私は見かけは普通です。基本的に行動も普通です。でも疲れると記憶が飛びます。見た目と行動のギャップがとんでもなく大きくなります。知らない人が目の当たりにしたきどう感じるか…。そこが障害を公表しないリスクなのだと思います。

障害はオープンにしてもクローズにしてもリスクが伴うのか?

結局、見た目と中身のギャップがある高次脳機能障害って、オープンにしてもクローズにしても大変な苦労をするのだと思います。

オープンにすれば変な目で見る人が必ず現れるでしょう。気持ち悪いって思われるかもしれません。なにせ時間によって記憶のつじつまが合わないなんてねぇ…

クローズにしたら、不真面目な人。怠けている人。頭の悪い人(障害とは別の意味で)に思わるかもしれません。なにせ障害ゆえに健常者がとらないズレた行動をとる時がありますからね。

高次脳機能障害は知らない人から見れば「得体の知らない魔物」のようなものかもしれませんね。

精神障碍者福祉手帳なんて見せたら(わざわざ見せるものでもないですが)避ける人が出てくるかもしれません。マスコミは凶悪犯の自宅から精神障碍者手帳を発見して差別につなげるのが大好きですし。それをみた世間一般の方々は手帳に対してどのような印象を持つでしょう?

障害者差別を加速させ続けるマスコミの罪は大きいと思います。

障害があるからダメな奴だとは思われたくない

高次脳機能障害者が新しい職場に入るのって、健常者なら全く気にしない。想像しないようなことで悩んだりすると思います。私だけかなぁ?いや、違うと思う。

障害を持っているけれど全力を尽くして足を引っ張らない。それだけではありません。

きちんと自分の価値を提供したい。そのためにはどうするのがベストなのか?って真剣に悩んでいます。

絶対に「障害があるから…ダメな奴だ。」とは思われたくないんですよ。でも「疲れるとダメになる」という現実があるんです。悔しいです。悔しいからこそ補う努力をし続けています。壊れる一歩手前ギリギリの状態になるまで。

「障害を言い訳にするな!」なんて言われたくないです。

凄い屈辱的な言葉です。まだ言われたことはないですが、これからも言われたくない。

そのために、私は努力をし続けます。頑張ってはダメとは言われているので、限界を超えないように調整しながら頑張り続けたい。

そして、障害をオープンにした時に「ええええ?うそでしょ!わからなかった!」って言わせたいですよ。

やっぱり私、性格の根本は変わっていないようです。やたらとプライドが高く負けず嫌いなようです。泣きながら散歩をしていたのも悔しかったんだろうなと思います。

障害者になったのが悲しいのではなくて悔しい。絶対に見返してやりたい!自分の価値を取り戻したい!

そんな気持ちを込めて、新しい職場に行って名をあげてみたいと思います。

「あの人がいないと大変だ!」と絶対に言わせてやりますよ!

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