高次脳機能障害1年半|運転再開後にやらかした失敗

高次脳機能障害者の自動車運転

インフルエンザ脳症で高次脳機能障害になってから1年半。運転再開をしてから半年。いよいよ自分の中では満足な運転ができるようになりました。

来月は千葉リハで制限解除を判断する診察がありますが「今度こそ制限を外せるはず!」と期待しています。

今までも何度か運転再開してからの様子を伝える記事を書いてきました。

私のブログの記事は自分を励ます必要もあって、目標である運転の成功談が多いと思います。でもその裏では運転の失敗談もあります。(危険なことは起きていません)

そこで今回は運転再開をする前の【妻の助手席に座っていた時の様子】を中心に運転にまつわる失敗談を書いてみたいと思います。ちなみに妻は運転免許取り立ての初心者です。

助手席でも易疲労でグッタリ

妻は運転初心者です。私が退院して生活が落ち着いてきた頃から教習所に通い始めました。

最近は運転に余裕が出てきて上手になってきましたが、免許取り立ての頃はそれなりの運転でした。

妻はいつも不安そうに運転をしていました。そのため助手席に乗っている私も不安で仕方がありませんでした。

ここまでなら、身内が免許取り立ての頃アルアルで済むかもしれません。しかし私は高次脳機能障碍者になりたて。色々な神経症状が出ています。そのため、「不安に耐える」というのがとても辛かったです。

免許を取ったら初心者のうちに何度も運転をしないとハンドルを握るのが怖くなります。だからとにかく妻に運転をする用事を作りました。例えば千葉リハに行くときは四街道駅まで送ってもらうなどです。

しかし不安な状態で助手席に乗っているから、とても神経を使います。神経疲労を起こしやすいのに神経を使ってしまう。自分ではどうしようもないことなのに。

「はぁはぁはぁはぁ…」

入院中に心理検査したときは、必ず「はぁはぁ」と息が切れてグッタリしていました。

それと同じ症状が助手席に座っているときに起こりました。妻の運転が怖すぎて(というか自分が運転する感覚と違い過ぎて)耐えられなかったのです。

特に距離感。例えばタイヤの側面と白線の距離や、前走車との距離。これが私の感覚と違っているのが辛った。

  • 易疲労
  • 融通が利かなくなる

この二つの障害の影響なのだと思います。常に私は助手席でグッタリしていました。

後ろの席に座って外の景色を見ないようにすると「ハァハァハァ」言わなくて済むのですが、「怖いから助手席に座ってくれ!」って言われるですよね‥。辛かったです。

ちなみに…タクシーでは「ハァハァ」言ってグッタリするようなことはありませんでした。

感情失禁で一生懸命な妻を泣かせてしまう

妻は運転できなくなった私のために、頑張って免許を取ってくれました。

「怖い怖い」と言いながら、遠くの駅まで送ってくれました。私が「迎えに来て」と電話をすると必ずやってきてくれました。

そんな一生懸命な妻にたいしてブチギレたことがあります。私はろくでもない人間になってしまいました。

妻と知り合ってから30年になりますが、妻に対して怒鳴った事、怒った事は一度もありません。

それが、あまりにも運転が怖くて「なんでそんな運転をするんだよ!」と怒鳴りつけてしまったのです。

助手席に座らせていただいている身分なのに、ドライバーを怒鳴りつけるなんてありえませんよ。嫌なら乗るな。ですよ。

わかっています。わかっているのに止められない。今思えばこれも高次脳機能障碍の感情失禁なのだと思いますが…。

目的地に着いたとき、妻はボロボロ泣いていました。

「また、やってしまった…」

「なんでこんなになっちゃったのかなぁ…」

自分の酷い有様にため息です。

遂行機能障害の実感|助手席で道案内したら迷子になった

「助手席から絶対に怒ってはならない。」

妻が運転するときの約束ができました。

そんな酷い状態にもかかわらず、私を助手席に乗せて色々な所へ連れて行ってくれました。

私が健常者時代に家族でお出かけしていた千葉ニューのイオンもその一つです。自動車でのお出かけがとてもうれしかったです。

でも、助手席に乗っていると道って覚えられないものなのですね。毎週のように千葉ニューのイオンに行っていたはずなのに、いざ自分が運転すると「道がわからない」というのです。

そこで私が助手席からナビゲートしたのですが…。

慣れた道の千葉ニューイオンにまともに行けなかった

不思議です。イオンにたどり着けないのです。

千葉ニューのイオン周辺って2車線、3車線道路です。そして突然右左折専用レーンが現れて、強制的に進路を限定されてしまいます。

周りに車がいないのなら気がついた時点で何とかできますが、こちらは車線変更一つ満足にできない初心者。他車がいると車線変更はできません。

すると流れに任せて前に進むしかないのですが…。グルグルと周辺をさまよう羽目になってしまいます。いつも使っていたイオンの駐車場にたどり着けないんですよね。

そもそも、私が健常者時代に使っていた道を走れば良いのですが、その道が思い出せないのです。

「国道464号を右折したら。車線が3つぐらいあって…あれ?どの車線に入ればよかったのかな?」
「あ、間違えた一つ左の車線じゃないとダメだった」
「左車線に行きたい。でも車が来ているからダメだ。車線変更できない。」
「仕方がないまっすぐ行こう。」
「左折を3回繰り返せば元に戻れるはずだ。」
「あれ?ここどこだ…(涙」

もうね…

「どこをどう間違えば、こんな道に出るのだろう?」
「情けない。本当に情けない。」

初めて千葉ニューのイオンにお出かけした日は、イオンに到着できませんでした。イオン周辺をぐるぐるさ迷うだけ。素通りで帰宅しました。がっかりしました。

千葉リハにまともに行けなかった

妻が運転に少し慣れてきたころ、念願の「妻の運転で千葉リハに行く!」にチャレンジすることになりました。私、電車が本当に嫌いなんです。トラウマを持っていて…。

迷子にならないように前日のうちにカーナビに千葉リハまでの経路をセッティングしました。迷うことなくたどり着けるはずです。

そして意気揚々と千葉リハに向かったのですが…迷子になりました。

原因はコレ。宮野木ジャンクションでコースの選択ミス。

宮野木ジャンクションで迷って千葉リハに行けない

宮野木ジャンクションで迷って千葉リハに行けない

宮野木ジャンクションって、しょっちゅう使っている当たり前のジャンクションなんです。(健常者時代は)

ところが…高次脳機能障害になったとたん、とてつもなく複雑怪奇なジャンクションになってしまいました。

カーナビでも分岐案内してくれるのですが、それでもだめでした。コースを間違えました。

なぜかカーナビの指示が信用できないんですよ。そして「こっちだよ!」って私が間違った指示を妻に伝えてしまいました。妻は私の指示に従ってその通りに走りました。

その結果…

「あれ?千葉方面に行くのにこんな景色通らないはずだぞ????」

となってしまうのでした。間違えに気付くのは、東京方面の地名を案内表示で確認した時です。

「間違えた!こっちじゃなかった!」

幸いにも易怒性がでたりせずに、一般道にいったん降りてから復旧させられましたが…。

あまりにも単純でばかばかしいミスです。でもこういうミスを犯してしまう。

「自分は障碍者なんだ」と思い知らされました。

注意と疲れ|千葉リハの運転再開評価で障害を実感

千葉リハの実車での運転再開評価を受けたのは、インフルエンザ脳症発症から1年後でした。

この時の評価は「自己評価と現実にズレがあるのが危ない」でした。

具体的に言うと「健常者時代のように出来るつもりでいるみたいだけれど、いろいろと抜けがあるよ。」ですね。

主に目視が抜けていたとのことでした。しかも抜けが出始めるのは、運転時間が長くなったときだそうです。

慢心しなければ短距離、短時間ならきっちりできるようです。でも長時間運転すると易疲労と慣れが注意力に悪さをしてしまう。

そのように説明を受けました。

この日以来、「運転と疲れ」が私のテーマとなりました。

どこまで運転すると疲れるのか。常に時間を測って運転をするようになりました。

障害克服|細い裏道から高速道路まですべてが平気に

障害発生から1年半が経過しました。運転再開からは半年が経過です。今では高速道路も走れるようになりました。

まだ近距離ですけど、今はこんな感じです↓

高次脳機能障害の高速道路運転

高次脳機能障害の高速道路運転

幕張のイオンを目指して、四街道インターから湾岸千葉へ。
酒々井アウトレットパークを目指して、四街道インターから酒々井へ。

幕張は車線が多くて複雑ですが、事前に経路を調べて予定通りに目的地に到達できます。酒々井も同様です。

特に幕張イオンは帰りが渋滞地獄にはまりますが、全然余裕です。運転のスキル的にも心理的にも。全然平気の通常モード。昔と変わりません。

最後の壁である易疲労問題も乗り越えたと確信しています。自分的には100点満点。時々妻に運転してもらっても、余裕をもって助言ができるようになりました。

これなら7月の診察で【完全に運転制限解除!】になるんじゃないかな?って考えています。

最も重きをなすのは妻の証言です。どのような事を言われるのかな…?

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