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かわいそうな障害者でも頑張っているのだからあなたも頑張りなさい

高次脳機能障害 体験談

タイトル通りのツイートを見かけました。学校の先生が生徒にタイトルの通りに伝えたそうです。

ツイートしている方は「差別はやめようと言いつつ、教師が無意識に差別をしている。」と訴えていました。

それを見た時に「かわいそうな障害者」というフレーズが心にひっかかりました。

捉え方は人それぞれだと思います。健常者と当事者でも違うと思います。またテレビでしか見たことが無い人と、実際に接している人でも違うでしょう。

違っていて当たり前です。人は経験したことのないことは想像できないのですから。

じゃぁ当事者の私としてはどうなんだろ?障碍者はかわいそうなのか?

うーん…

自分を対象とするか、他人を対象とするかで答えが変わってきそうな気もしますが…。

今日は「かわいそうな障害者(自分のこと)」について自分の考えを整理してみたいと思います。

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はたして障害者はかわいそうなのか?

なにか、タブーに触れるような気がします。こういうことって余り話し合うこともないだろうし、話し合わないほうが良いような空気を感じるし。

でも、自分自身の事でもあるのでこの機会に考えてみたい。

まずは「かわいそう」から入っていくことにします。そしてターゲットを自分としてみます。

となると「私はかわいそうなのか?」ということになりますね。

かわいそうだと思います。もうね遠慮せずに言い切りますよ。遠慮やかっこを付けていては意味がないですからね。

ずばり「私はかわいそう。なぜなら障碍者だから。」が、スタートラインですね。

じゃぁ「何がかわいそうなの?」と考えてみます。

「忘れちゃうから」「過去と未来が消えちゃうときがあって、今この瞬間しかない時があるから。(今も疲れるとその傾向あり)」

ずばりこれです。私がかわいそうな原因は。

過去を忘れるのは、とてもかわいそうだと思います。悲惨です。何も積み重ならないわけですから。

今はだいぶ脳の機能が改善されましたが、受傷後半年間は本当に何も詰みあがっていませんでした。今の私が過去の私を見たら「うわぁああ…かわいそう…」って思いますよ。

きっとこういうと思います。

「もういいよ。そこまででいいよ。今は落ち着け。大丈夫。焦らないで。ゆっくりでいいよ。これから確実に良くなるから。そんなに頑張らなくていい!」

って。

「できない!できるはずだ!でも出来ない!」

って大暴れする私を相手に、なだめすかすのは至難の業だと思いますが…。

例えていうのなら、おぼれてパニックになって大暴れしているのと同じ状況なんですよね。そんな人に「おちつけ!」って言ったところで。どうでしょう?冷静になれるはずがない。

私の妻や子は大変だったと思います。パニックを引き起こすような作業は絶対にやらないほうがいいです。心の底から思います。

うーん。私の経験を振り返ると、やっぱりかわいそうな状況だと思います。

「障碍者はかわいそう」が成立しています。だってどんなに頑張っても報われないのですから。だって覚えると同時に忘れていくんですよ。悲劇でしかない。

あれ?これ屈辱的じゃね?

ここまで「障碍者はかわいそう」について考えを書いてきたら…新しい考えが産まれました。

「かわいそうな障害者でも頑張っているのだからあなたも頑張りなさい」

この言葉。すっごく引っかかる。何が引っかかるのかというと「障害者でも」という言葉。

「障害者でも」…?

いいかえると

「障害者ごとき」

て読めるんですけど…?ねぇ?見下してませんか。私の事。

あぁそうか。わかった。

「かわいそうな障害者でも頑張っているのだからあなたも頑張りなさい」という言葉。

「かわいそうな障害者でも」ってめっちゃくちゃ見下してるんだ。うわあああむかつくーーーーーー!(怒)

私って鈍いから、ここまで文章化して理解しました。失礼極まりないわ!

言い換えると学校の先生が「障害者ごときがやれるのだから、おまえもできるだろ」って言ってるんですよねこれって。

うわーーーーーーむかつくーーーー!!(怒)

思いっきり差別だわ。すっごい見下している。だめだろこれ。

障害を持っているっていっても、人にって全く違うから。ひとくくりにするんじゃないよ!って思った。

これって「日本人は〇〇だ」的な考え方だよね。もうちょっとリアルにすると、

「女はこれだから」
「男なんでみんな同じ」
「年寄りは」
「近頃の若者は」
「サラリーマンなんて」
「主婦なんて」

その人の能力や置かれた状況を無視して、ものすごく大きな範囲でくくって決めつけてしまう。それだ!

「かわいそうな障害者でも頑張っている」って、大きな主語でカテゴリ分けしたうえでの差別ですね。

うわぁ。ひでぇ。

主語の大きな差別を気付かない教師

私、ここまで書いてようやく頭の中が整理できました。

これをツイッターで語った人は「凄い頭の回転が速い人」なんだなぁって思いました。尊敬です。いいなぁ。

きっと学校の先生は差別をしようとしているわけではないのだと思います。

でもすっごい根っこの部分で無意識に差別しているんですね。

うまいたとえが出てきませんが、前の晩においしい焼きニンニクをたらふく食べちゃった人って感じかしら?

自分の口臭ってきづけないけれど、他人のは物凄くわかりますよね。それなんだと思います。

「周りからは口がニンニク臭いと避けられているけれど、本人だけは気づかない。」

それと同じ状態が

「かわいそうな障害者でも頑張っているのだから、あなたも頑張りなさい。」

なのかなぁ?なんて思いました。

かわいそうかどうかを決めるのは自分だ!人に指摘されたくない

障がい者だからかわいそう。というわけではなくて、行動を制限されたり、感情が安定しない状況に置かれていたらかわいそうだと思います。でもこれは健常者でも同じです。

元気な子供が転んで泣いていたら「かわいそう」ですよ。

ただ、その状況をかわいそう。と判断するのは他人ではなくて自分。なんじゃないかな?と思います。特に障害に関しては。

その状況にあえてチャレンジしているのかもしれないしねぇ…。

例えば「おれはやるぜぇ!」って新しい事に挑戦していたのに、周りから「かわいそう!やめていいのよ!」なんて言われたら「うぜぇ!」「じゃますんな!」って思いますよ。私だったら。(脱抑制じゃないよねぇ?)

まとめると

「かわいそうな障害者でも頑張っているのだから、あなたも頑張りなさい」

かわいそうは私を見下す言葉。絶対禁止!

それを比較対象にして励みにするのはもっと禁止!屈辱が過ぎます。

私は人にやる気を出させるために、ダシに使われる引き立て役ではありません。ってところですね。

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