↑
この画像では私の記憶障害の不思議な体験を表しています。
このような何とももどかしい体験を何度も何度も繰り返しています。
普通の人なら、きっかけを与えられて「そうだ。そうだ。思い出したよ」となるような展開だと思います。そこで完了です。
でも私はそうはなりません。
私は一度読んだ本を時間をおいてから再び読み返すと、上記のような状態の繰り返しが発生していました。
そして「思い出したのならもう大丈夫だよね?」との問いにはYESとはなりません。文章を目で見ると思い出せる。確かに読んだ。でも「次の展開は?」となると「さっぱりわからない」になるんです。
例えて言えば明かりです。想像してみてください。
普通の人はきっかけを与えられると関連する情報もパアッと思い出せます。これは真っ暗で何も見えない部屋の中の電気をスイッチオンにするようなものです。電気が付けばもう安心。全てが見通せます。
所が私の記憶は違いがます。例えて言えば、足元を懐中電灯で照らすような状況です。真っ暗な部屋の中で足元だけが見えるのです。周囲は全く見えません。電気で照らされているほんの一部しか思い出せないのです。
この事から私は記憶障害ですが、経験した内容は覚えている事が分かります。物事を完全に覚えられないわけではないのです。
「覚えられるのに思い出せない。」
このような特性があるのですね。
私は「記憶を想起する力」が障害を受けているそうです。
記憶は3種類あります。
記憶力ってこの3つの過程を一つにまとめた能力なんですよね。どれか一つでも能力が欠けると記憶が正しく引き出せなくなります。
私の場合は、情報を脳に正しく記憶でき、脳内に正しく保持しておけるそうです。でも情報を引き出すときに間違ってしまう。全く違う情報を引き出してしまうときがあるそうです。この辺りは千葉リハで何度も行った記憶の心理検査で診察結果が出ています。
だから「間違っている答えを正々堂々と間違って答える。」そんな状況が起こったりするわけです。結構恥ずかしいですよ。平気でつじつまの合わない頓珍漢なことを口走ったりするわけですから。
この状況は以前は常になっていました。自分で自分の言っていることやっていることの辻褄が全く合っていなかったと思います。実感した時も何度もありました。
最近は少し前までは疲れると記憶が滅茶苦茶になる(取り出しがへたになる)ようでした。
疲れると注意力もガタ落ちになるので、自分の記憶違いに気づけません。だから結構厄介なんですよね。
夕方になるとよく妻に指摘されていました。「変なこと言っているよ」「また作話しているよ」って…(涙
作話とは事実ではない出来事を、本当にあった出来事のように錯覚してしまう状態の事をさします。
最近は無くなりましたが、脳に障害を負ってしばらくの間は、まさに「作話祭り」といえる状態でしたね。言うことすべてが作話だった日も有ったと思います。それだけ記憶の想起ミスが頻発していたのでしょう。
もちろんこの間は、運転なんて禁止です。私が運転禁止だったのは
この三つが大きな原因だったようです。
運転は疲れます。脳を滅茶苦茶使います。脳のパフォーマンスが落ちます。記憶力はあっという間にゼロになるでしょう。
その状態でトラブルが起きたとして…原因を聞かれたとしても何も答えられない。もしくは起きていない出来事を本当に目撃したかのように自信満々に答える。
この状態で運転なんてありえません。
記憶が取り出せなくなる理由は専門家ではないので分かりません。とにかく「現状はこうだ」という自覚をしてなるべく意識するようにしています。
それでいいと思います。障害の当事者にとっては自覚が一番大事です。自覚しないと改善のしようがないからです。
自分の障害の状況を理解して、どの様な対策をとれば、満足のいく日常生活が送れるようになるのか。
これが今後の人生を通して追い求める課題となるでしょう。
ストイックかもしれません。でもそうしないとならない理由があるからなのですよね。
【どうすれば人から馬鹿にされないようになるのか】
私にはこの気持があります。かなり大きく。
脳に障害を負うと人から馬鹿にされます。見下されます。この4年半の障碍者生活で世の中が障害者をどの様な目で見るのかはよくわかりました。
私は負けず嫌いです。頑固者です。だから自分を貫くためにも、そのような人間にに負けてはならないのです。
そのためには何をすればいいのか?
現時点の答えは、障害があっても健常者と対等以上に闘っていくための知恵と工夫を身に着けて実践することです。
そして脳が回復していくのを気長に待ち続けます。必ず回復すると信じています。
私は今できることをします。頑張ります。
高次脳機能障害に負けません。