インフルエンザ脳症で丸々1か月入院していました。入院中は点滴と頭部のMRI撮影が日課でした。
主な治療はステロイドの点滴です。1日3本は打っていたかな?昼も夜も休みなく打ち続けました。おかげで腕は内出血で真っ黒。
さらに脳内に発生した傷と、脳そのものの腫れ具合を確認するために、頭部MRI撮影を行いました。
万が一脳にできた傷が化膿でもしたら大変な騒ぎになります。ギリギリの綱わたりな状況でした。
そんな私は毎日をどのように過ごしていたのでしょうか。
入院中は点滴とMRI撮影でほぼ一日がつぶれるような感じです。残った時間は寝るかテレビでした。
入院生活後半は点滴が無くなり、廊下をぐるぐる散歩していましたね。
土日は病院はお休みなのです。でも頭部MRI撮影だけは欠かせませんでした。
廊下にだれもいない大学病院。シーンとしていて寒々としていました。
そうそう、平日は心理検査と作業療法もありましたね。
「2時間後にカードの内容を答えてもらいますよ!」なんて時間をまたいだ課題なんかもありました。
私の症状は記憶障害だったので、この課題がもう大変でした。どうしても忘れてしまうんですよね。
必死に。必死に。本当に必死に、課題を忘れないように頭の中で思い出そうとするんですよ。でも忘れてしまうのです。
忘れるというか、忘れていないのだけれど思い出せない。このほうが正確な表現かな?
易疲労の症状がつらいため大半は寝て過ごしていました。
MRI撮影と心理検査と作業療法と散歩と飯。これ以外はずっと寝ている。入院中はそんな感じ。
ちなみに漫画本は読めませんでした。読むときついめまいがして倒れてしまうほどでしたので。
テレビは普通に見れました。でも2時間100円だったかな?お金がかかるのであまり見なかった。夕飯時にニュースを見る程度だったと思います。
ニュースでは「インフルエンザが大流行している」って放送していましたね。
私がインフルエンザ脳症になった2019年はインフルエンザが大流行したようです。
入院した大学病院ではインフルエンザ警報が出て、お見舞い禁止になりました。入院患者用の食堂も使用禁止です。
「インフルエンザ警報が出ていらければ、もうちょっと違った入院生活を送っていたのかな?」なんて思います。
ちなみに許可を得ればお見舞いは可能です。私は重症で個室だったので妻は特別に入院病棟に入れるようでした。でも子供は病棟への立ち入りは禁止状態でした。
そもそも私。入院当初は完全に認知症状態でした。一人でいたらとても危険です。部屋からでたら戻れません。いつまでたっても自分の部屋の番号を覚えられませんでしたから。
MRIや検査は別の病棟に移動して行いますが、必ず車いすに座らされました。お世話がかかりの人も付きます。一人では病院内を移動できないのです。一人で移動していたら絶対迷子になっていたと思います。
私は入院中はとてもおとなしく過ごしていました。規則を守る性格なのが幸いしたようです。
毎日入れ替わる看護師さんの似顔絵を描いたりもしていましたね。名前とセットにして紙にまとめていました。
病気で入院したのはとても辛い事なのですが、入院生活そのものは楽しくやっていたと思います。ほとんどの看護師さんと仲良くやっていました。
同じ病室の方とは口をききませんでしたが、もめたりすることもありませんでした。平和に過ごしていました。
後から知らされたことなのですが、大学病院に入院する際に誓約書を書かされたそうです。妻が。
「暴れることがあったら身体拘束する」という誓約書です。
その話を聞いたときはゾッとしました。幸いにも私は認知症状態になっても、おとなしくまったりしていたため身体拘束はされませんでした。
ちなみに隣の人は手にミトンをはめられました。深夜に突然スタッフが部屋に乗り込んできてすっごい怖かったです。みんな一言もしゃべらないんですよ。
最初に聞こえた声は「ひどいよ…」「あついよ…」という声。手にミトンをはめられたおじいさんの悲壮なつぶやきでした。
深夜の出来事なんだけれど、すっごい怖かったです。
インフルエンザ脳症で1か月間入院していた時にしていたことをまとめると次の通り。
なんどか普通の世界ではありえないイベントが発生することもありましたが、基本的に刺激のない入院生活を送っていました。
でも結構忙しかった印象を持っています。きっと私の脳の処理能力がガタ落ちになっているためそう感じるのだと思います。
とにかく昼間ずっと眠いんですよね。すぐに疲れてしまうから。
動作そのものもすごく緩慢だったはずです。自分の動作の緩慢さに気が付いたのは退院後ですから。
「うわ、おれ凄く動作が遅いわ…」って気づいたときはショックでした。