高次脳機能障害の回復に向けて|4回の客先訪問でついに…

高次脳機能障害の回復に向けて|4回の客先訪問でついに…

普段私は自宅でお仕事をしています。でも時々お客さんの会社に出向いて作業をします。それほど頻度は多くはなく、年に数回数える程度です。
私が障害を持ってから1年と4か月が過ぎましたが、昔にお付き合いがあったお客さんからも仕事の依頼が来ていました。
「仕事の依頼がある!」
何と嬉しいことでしょうか。感謝しかありません。ありがとうございます。全力を尽くすしかありません。絶対に期待を裏切るわけにはいきません。何が何でも依頼を成功させなければなりません。

でも喜びの大きさと共に、不安も大きくなります。

高次脳機能障害(記憶障害、注意障害、遂行機能障害)を持つ私が仕事を成功させられるのだろうか…。ものすごいプレッシャーになるのです。それはもう逃げ出したいくらいに…。
よくエヴァンゲリオンのワンシーンが頭に浮かんできましたが、モロにそんなかんじでした。

でも、周囲の協力もあってなんとかやれています。感謝しかありません。
今回は私が障碍者になってから4回経験した客先でのお仕事の話です。中途障害を持った人間が一人でビジネスの最前線に立つと、こんな感じになるという事例です。

1回目のお仕事

最初に客先に出向いて仕事をしたのは、退院してから4か月後の事でした。
一人で自宅から千葉リハに通えるかどうか。という危ない時期だったと思います。
何が危ないのかというと、真っ先に考えられるのが「遂行機能障害」の影響です。「きちんと約束どおりの時間に…それ以前に現地に到着できるのか?」が心配なレベルでした。
そもそも千葉リハにまともに行くのすら難しい時期でもありましたし。
自宅から千葉リハへの経路は複雑極まりないのですが、乗換に最低10分はかかる駅から駅の経路を、なぜか2分で計画するような状況でした。
心配事は経路だけではありません。
現地では社内システムのセッティングなどをします。沢山の準備をなければなりません。健常者がマニュアルを読みながらでも困難な作業です。それを高次脳機能障害になった私が?
はじめて依頼があった時は「私には作業はできません。」とお断りしました。全く自信がありませんでしたから。
そもそも十年以上前のシステムなのですっかり忘れています。一から勉強しなければなりません。古すぎるためネットを検索しても情報はでてきません。
でも何度も説得されて失敗する前提でチャレンジしてみることにしたのです。
やるからには失敗をする気はありません。絶対にやり遂げなければなりません。期待には答えたいです。
障碍者になったと言えども技術者としてのプライドは生き残っていました。
一週間以上前から入念に準備を繰り返しました。常に「なにかミスがあるのではないか」と不安で押し潰されそうになりました。何度も何度も何度も当日の準備を繰り返しました。シミュレーションも何度行ったか分かりません…。
同じ準備を毎日繰り返すなんて意味がないことです。1回行えばよいのですから。でも記憶障害、注意障害、遂行機能障害と3つの障害がある私にとっては、「本当にあっているのか?」「当日現地で困る子ようなことは起きないのか?」と、次々と襲いかかってくる強い不安を取り除
くためにも必要な儀式だったのです。

客先での戦い。当日。

「必ず依頼を成功させなければならい。」そんなプレッシャーの中で仕事に向かいました。
客先までは電車を二度乗り換える必要があります。駅から会社までは歩くのですが、それなりに時間がかかります。そのあたりも含めて予定した時間に間に合うように移動経路を決めなければなりません。
常識的なことだけれど、そこが高次脳機能障害の悲しさ。
以前、千葉リハに行く経路を自分で作った時は、千葉リハにたどり着けませんでしたから。二時間かけて組み立てた移動経路はハチャメチャ。あれほどまでに入念に注意を払ったはずなのに。到底実現不可能な予定を組みましたから。矛盾に気がつくのは実際に駅に付いてからという悲惨さ。
「あんなに必死に移動経路を作ったのに…」と何度、自分自信の障害にがっかりさせられたことか。本当にショックですよ…。
「千葉リハに行けなくなるのは自分事だけれど、お客さんとの約束を果たせないのは絶対に許されない。」プレッシャーとの戦いです。

客先への訪問で一番つらい瞬間

当日、失敗が許されないと言う強い緊張感の中、現地に2時間近く早く到着しました。
わざと早く到着するように電車の予定を組んだのです。だって遂行機能障害が影響して遅刻。なんて絶対にあってはならないことですから。
でも2時間も早くに訪問するわけにはいきませんよね。だから近場にある、さびれた小さな公園で一人時間を潰しました。
この時間つぶしの時間がとてもつらかったです。
ずっと吐き気がしていました。客先に行くのが恐ろしくてたまらないのです。
健常者時代に何度も訪れた会社。私が面倒を見たシステムが稼働している会社です。あれこれ10年以上の付き合いがあります。自画自賛ぽいですが、絶対的な信頼を得ていたと自負しています。
…それがすべてプレッシャーとして襲い掛かってきました。でも逃げる選択肢はありません。這ってでも行くつもりです。どんなに体がボロボロになろうとも行く気持ちは変わりませんでした。
そして時間が来ました。
仕事の結果は無事きちんと務めを果たすことが出来ました。ありがとうございます。
不思議です。お客さんの会社の敷地内に入った途端にスイッチが入るのです。エンジニアのスイッチが。昔の私が戻った瞬間でした。

高次脳機能障碍者がする仕事ではない!でもやり遂げた!

記憶障害、遂行機能障害、注意障害と3つの高次の機能障害を抱えている状態でしたが、無事仕事を成し遂げられました。お客さんをはじめ、周りのみんなに支えられてです。本当に恵まれた環境にいると感謝しています。
発症から1年と4か月が経過しました。大学病院では「高次脳がやる仕事ではない」と言われました。転職も考えました。
だけどあきらめずにここまで回復しました。昨日までに4回ほどお客さんの会社に伺いました。出来ることから確実にコツコツと挑戦しました。
おかげさまでお客さんの要望にそった仕事を成し遂げられています。
4回目の訪問となる昨日はお客さん自身ががあきらめていた昔のシステムの仕組みを解析して、大きな成果を上げることも出来ました。「多分この技術をもっているのは日本で私しかいないだろう」レベルのモノです(慢心)。
めちゃくちゃ慢心していますが、それだけお客さんは大喜び。経費の大節約につながりますから!
私自身もまるで健常者時代の自分を取り戻せたかのようで、とても嬉しいです。元気が出ます。勇気を持てます。自信を持てます!
お客さんが嬉しい。私も嬉しい。家族も嬉しい。私の周りのみんなが嬉しくなって、
「あきらめずに頑張ってよかった」
そんな気分です。
挑戦をし続けてきて良かった。あきらめないで良かった。
「ここまで出来たらもう障碍者じゃないよね?」
心底そう思っています。治らないから障害と言われていますが、
「周りの人が出来ないことまで出来る程に回復した。そんな私が障碍者を名乗るのはどうなんだろう?」
って本気で考えています。これも慢心なのかな…?
でも障害は回復します。実際に回復しています。