易疲労はどう改善していった?高次脳機能障害になって1年半

易疲労はどう改善していった?高次脳機能障害になって1年半

高次脳機能障害は人にとって状態がバラバラですが、今まさに真っ暗なトンネルの中でもがいている方々に伝えます。
「易疲労って長引くの?」
「っていうかそもそも治るの?」
困りますよね。疲れやすいと何もできないんですもの。疲れると脳の力が落ちまくりです。易疲労を治す薬なんて無いですしね。
結論からいうと、私の場合は高次脳機能障害の易疲労は解消しました。ちなみに今は障害を負ってから1年半が経過しています。
胸を張ってもう一度言います。易疲労は解消しました。疲れやすさについては何一つ困りごとがありません。
数値にして表すと【100/100】です。全快です。「私にはまだ易疲労性があります。」なんて言ったら怒られます。そのくらい完璧です。
まぁ…私の認識ですけどね。もしかすると気づいていない障害が残っているのかもしれませんが…。とりあえず今の状態には困っていません。満足です。
どのような感じで易疲労が改善していったのでしょうか?振り返ってみたいと思います。あくまでも私のケースです。

高次脳機能障害最後の壁だった易疲労が解消するまでの流れ

私は記憶障害、注意障害、遂行機能障害がありました。そして易疲労性もありました。とにかく疲れやすかったです。
入院中はもちろんのこと、退院後も数か月間はほとんど寝て暮らしていました。ちょっと外にお散歩に行くだけでもグッタリしていました。
そんな私の状況を発症から現在までの時系列で表すとこうなります。

入院中

一日中寝ていました。とにかく眠かったです。普通寝すぎると頭が痛くなったりしますよね。飽きますよね。そんなこともなく、ひたすら寝ていました。
寝ながら点滴を打っていました。1日3回ステロイド点滴です。ステロイドパルスと言います。点滴の針を外すのは、深夜から明け方だけでした。そのほかはずっと点滴。ぐぅぐぅ寝ていました。
毎日MRI撮影と心理検査がありました。MRIの爆音の中でもぐぅぐぅ。
心理検査中は頑張って起きていましたが、眠気とのたたかいでした。
検査が終わった後はぐったりして寝ていました。どれだけ寝ても寝たりなかったですね。

退院後

退院したらすぐに仕事ができるのかな?と思ったこともありましたが無理でした。とんでもないです。
基本的に1日中自宅にこもりっぱなしです。とにかく眠い。昼からずーっと寝ていました。
健康な人が昼寝をしたら夜眠れなくなります。でも夜もぐっすりでした。
それでも回復のためにと、イオンへの散歩は欠かさないようにしました。
でも自宅から数百メートルの距離が遠い!しんどい!疲れる!頭が重くなる!キツイ!
地獄のような散歩でした。
道中の公園でグッタリして休憩。イオン内の椅子でグッタリして休憩。帰りの公園でもグッタリして休憩。
最低3回は休憩をはさみました。

通いのリハビリ

地獄の移動時間

自宅から千葉リハまでの距離は電車で1時間30分。
電車移動が本当に辛かった。とにかく眠い。座りたい。座って眠りたい。
でも通勤ラッシュにぶち当たります。座れません。優先席もみっちりです。
意を決してヘルプマークをリュックにつけて優先席前に立ちました。(かなり勇気が必要でした。つけるのが怖かったです。)
でも見事にスルーされました。まぁ仕方がないか…。恐れ多くて「座らせてくれぇ」なんて主張はできませんし。
電車に乗っているだけで疲れます。立ったまま意識がほわ~とどこかに飛んでいきそう。でも立ったまま寝て転んだら恥ずかしすぎるので我慢。ひたすら我慢でした。でも意識が…。
心理検査を受ける前に疲れるのは避けたっかけれど仕方ないですね。諦めました。
通勤ラッシュの朝と違い、千葉リハから自宅に戻るときは電車が空いていました。爆睡しても帰れました。不幸中の幸いです。

ちなみに千葉リハでリハビリや心理検査を受けているときは眠くなりませんでした。でも千葉リハのサスの利かない硬い乗り心地のバスの中では寝ていました。
なぜなんだろう?不思議です。移動中に眠くなるのかしら?

発症半年後:運転再開テスト時

私は7月の診察で運転再開の実車テストを受けられるかどうか評価を受けています。その時はNG判定が出ました。
理由は障害の認識不足。そして疲れもあったと思います。とにかく半年たっても疲れやすかった。
運転って脳機能をフルに活用します。それなのにスグに疲れるようでお話になりませんものね。
それなのに「自分は依然と同様に運転ができる」という認識をしていました。障害を受け止め切れていない。実感していなかったわけです。
この状態で運転してはダメです。認知症の老人が「俺は運転がうまいんだ!」と言ってアクセルとブレーキを踏み間違えるのと同じことが起きてしまいます。それだけは絶対に避けねばなりません。

発症1年後:運転再開テスト2回目

この時期にようやく運転再開実車テストが実施できるまでに脳が回復しました。
実車の運転時間は構内と路上30分ずつぐらいだったかな?
構内は疲れませんでした。楽に運転できました。
でも路上はとても疲れました。全く違いますね道路状況が。構内って他の教習車しかいませんから。しかも自転車よりも遅い速度で走っています。逆に路上は…路駐、信号、歩行者、自転車、車線変更、何でもありです。脳への負担の具合が全く違いました。
運転中は気が張っていたため疲れを感じませんでしたが、帰り道は疲れ果てたはずです。
でも、だいぶ脳の耐久力が上がり易疲労性が解消してきていました。
ちなみに教習所から千葉リハに直行して、すぐに振り返りをしました。私の今の弱点が説明されました。

  • 疲れやすい
  • 疲れると安全確認がおろそかになる
  • それなのに昔の自分を引きずっている

要約すると「疲れと慢心」の二つが私の弱点となります。そこを中心に気を付けるという条件で運転再開の許可がもらえました。
法的な制限はありません。普通に長時間運転をしても違反にはなりません。堂々と運転ができます。
でも「疲れ」に不安があります。最初から以前のように運転をすると注意力がガタ落ちになり危険です。そのため千葉リハの先生とこんな約束をしました。
「最初は短い時間から。様子を見ながら運転時間を伸ばしていくこと。」
約束はしっかり守ってます。

現在:発症から1年半

やっぱり現在も私のテーマは易疲労です。とはいっても、もう疲れを感じることは在りません。
障害で気が付けないのではなく本当に疲れていません。家族の反応も変わっていますし。
最近、妻は運転をしません。私が運転します。でも妻がペーパードライバーになると困るので、「小まめに運転しなさい!」と私が指示するような状況です。
短距離ですが高速道路も走りました。普通に走っています。超渋滞の幕張イオンにも行きました。全然平気です。
運転は脳機能の回復です。体も鍛えたほうが良いです。体力作りです。
というわけで、最近は自転車で長距離を走る練習をしています。ちょうど6月の梅雨の季節なので思うように走れませんが、小まめに自転車に乗って体力づくりを進めていきます。
距離も20Km、50Km、100Kmと少しずつ増やそうと思います。
当面の目標は佐倉から東京湾まで自転車でのお散歩です。少しずつ。少しずつ。体力をつけていきたいですね。
近所のイオンへのお散歩でハァハァ言ってぐったりしていた私が、ついに自転車で東京湾までお散歩を目指せるまでになりました。うれしいです。
このような状態なので易疲労は完璧に治ったと考えています。あとは自称ではなく実証するだけです。