私のブログに「高次脳機能障害 性格が悪くなる」というキーワードで訪問してくれる方がいました。
きっと、身内や知人のかたが高次脳になって性格ががらりと変わってしまった。ちょっとしたことでも怒鳴ったりして怒るようになってしまった。そんな背景があるのかな?なんて想像してしまいました。
さらに「ずっとこのままなのだろうか?」という不安もあるのかなぁ?身内の場合、この先何年。何十年と付き合っていかなければなりません。家族が疲弊してしまいますね…。
「高次脳機能障害になっても家族の仲が良ければ、問題なく平和にやっていける。」という言葉を聞いたことがあります。そうなんですよね。記憶力が悪くなって昼間に何をしていたのか思い出せなくても、同じ内容の電話を何度もかけたりしても、明日の用事を何度も何度も確認することがあっても…
「まぁそんなもんでしょ。」で済ませられたらその家族はこれからも平和にやっていけるのだと思います。逆に「いつも同じことばかり聞いていい加減にしろ!」なんて周囲がキレ始めたら悲劇です。
当事者は萎縮する一方で行動をしなくなり、発言をしなくなり、何もしなくなり、やがて認知症へ突き進んでいくかもしれません。それこそ終わりのない負担の始まりです。認知症と高次脳は一見、症状が同じでも、時間とともに高次脳は良くなる傾向があります。でも高次脳から認知症に移行してしまうと昔の平和だった頃にもどれる希望が無くなってしまいます。
高次脳になって性格が悪くなったかどうか。はたから見たら「悪くなったように見えるだろうな」と感じています。なぜなら…
まず、怒りのスイッチがONになりやすくなりました。そしてONになった時の怒り方が尋常ではなくなりました。
もともと不正行為や家族が脅威にさらされる行為に怒りを覚えるタイプです。でも理性の方が強いため、問題が発生しても「なら、抗議文を書こう。」的な平和的な解決策をみつけて実行してきました。
ところが今では…
「今すぐそいつの家に乗り込んで皆ぶっ壊してやる!」
例えば子供が悪さをされた。ちょっとけがをして帰ってきた。そんな光景を見た瞬間に爆発してしまっていた時期がありました。今はそんなことないのですが…。
怒りが爆発しやすかった時期って、感情失禁がすごくて夕方の散歩で昔を思い出してボロボロ泣いていた時期でもあります。易疲労が酷くてイオンへの散歩でハァハァぐったりしていた時期でもあります。
ちょうどその頃は、ほんの些細な事で怒り狂う時期でもあったわけです。特に家族関係の名誉が傷つけられる事象への怒りが最もひどかったと思います。何度家族に押さえつけられたか…。
こういうのをはたから見たらどうでしょう。この記事を読んだ人はどう感じるでしょうか?
「高次脳機能障害って怖い。脳に障害のある人って怖い」になるのだと思います。
言い換えれば「高次脳になったら性格が悪くなった。」にもなりそうですね。
突き詰めていうと「高次脳なると感情の抑制が効かなくなり、些細な事で爆発しやすくなる。周囲は本人の逆鱗に触れないように注意しなければならない。だから面倒くさい。」になるのかな。
一言にまとめると「高次脳になったら性格が悪くなった。そのおかげで負担が増えて周りが苦労している。」ですかねぇ…。
このような見方をするのであれば「高次脳になった=性格が悪くなった」が成立すると思います。
感情失禁って怒りまくるだけではありません。「笑いまくる」「泣きまくる」といったものあります。お葬式でみんなが悲しんでいるときにゲラゲラ笑ったり、お祭りでみんなが楽しんでいるときに「しくしくと泣いたり」
はたらか見たら「なんで?今このタイミングで?」ってところで感情の針が極端に振れて、表現を表に出してしまうときがあるんですよね。なぜなんでしょうね…自分自身でも本当に嫌になりますね。コレ。
今では感情失禁は完全になくなりましたが、これがずーーーと続いていたらと思うと、恐ろしいです。社会生活を送るのが難しくなってしまいます。無くなってしまって本当に良かった。
感情の抑制が効かないって困りすぎますよ。まず人との交流ができなくなりますものね。引きこもりの原因の一つになりますね。間違いなく…。
怒っているときは、全力で怒っています。怒りの原因が理不尽だろうが関係ないです。
その原因がはたから見て「さもありなん」というときは仕方ないですが、昔の出来事を元に作話して勝手に怒っている場合もあります。
理不尽極まりないのですが、作話での怒りって本当に厄介です。このような場合は後で気づいたときにとんでもないショックを受けます。「またやってしまったのか…」と。
そして自分で自分が怖くなります。わかるんですよね。自分が危険な人間になってしまっているのが。
こういうのってテレビの向こう側の話だったはずなのに、自分が当事者になってしまったわけですから。それはもうショックのショックです。だからもう二度とこのようなことが無いように気を付けようとします。大反省します。
でもね…またやってしまうのですよ…。怒りのスイッチって理性でコントロール可能な範囲の外にあるような気がします。
でも怒りを鎮静化するスイッチがONになりやすくなっているために、怒りも収まりやすくなっているような気もします。そのうち、怒りのスイッチがONになった瞬間に、怒りを収めるスイッチもONになる仕組みが脳に出来上がるのかな?なんて感じています。それが今の私の状態ですね。
「自分の内部では怒っているのですが、はたから見たら怒っているようには見えない」こんな状態ですかね。本当は怒りのスイッチがONならなければ良いのですが、まだそこまで脳が回復してはいないのかな?それとも元々もの性格がこんな感じだったのかな?よくわかりません。
私の結論ですが「必ずしも高次脳になると性格が悪くなるわけではない」です。
ただし、感情が爆発するスイッチがONになりやすい状態ではあります。そのため周囲からは「腫れ物に触る」ような感じになってしまう。
とても扱いにくくなった。接しにくくなった。この状況を一言であらわすと「性格が悪くなった」となってしまう。うん。そうですね。そうなって当然ですね。
でも、本当に根本から性格が悪くなったわけではなくて、脳の障害ゆえの感情の抑制が効かない状態にあるだけなので、治る人は治っていく。本来の自分の性格に。
脳って場所によって記憶を司ったり、感情を司ったりする部位が分かれているそうです。だから障害を受けた部分によってもだいぶ変わってくるのだと思います。
私が障害を受けたのは一時的な記憶を司る部分です。分野が分かれているといっても、脳という一つの臓器内での出来事です。繋がっています。
そのため感情失禁が起こりました。怒りやすくなった時期もありました。でも今は全くそのようなことはないです。傷ついた脳の血管を治ったのか、傷ついた部分はもう使えないけれど、補う部分ができたのか…詳しい事はわかりませんが、私の実感としては「治った」に相当しています。
怒りやすくなったのは脳の器質的な要因の他にも、こんなのもあるのかな?なんて思っています。それは
「コンプレックス」
です。
今まで何不自由なく、五体満足で、自由に、好きなように出来ていた。でもある日を境に当たり前が辺りまでは無くなってしまった。自分だけが社会から取り残された。失敗が怖くて引きこもり状態。さらには収入も激減してしまった…
こんなどん底に突然落とされてしまう人もいると思います。この状況にコンプレックスを感じてしまう人もいると思います。
つい他の健康な人と比べてしまい「なんで自分はこんなことになってしまったのだ。」「自分はどん底だ。」「こういうところがダメなんだ…」こんなマイナスな事ばかりを考えてしまう。
人に自慢できること。人より優れているものが何一つない。今まで自分を支えてきたものが崩壊してしまった。(アイデンティティの崩壊?)
こんな負の連鎖が始まってしまうと、なかなか抜け出せないと思います。常に自分を責め続ける根幹です。眼をそらしたい。抜け出したい。克服したい。常に考えるようになるはず。
「それを第三者が外部から指摘する。」
言われなくても120%分かり切っているんですよね。それをあえて指摘してくる。…何なのでしょうね?
私としては、当事者が分かり切っていることを指摘する行為は、当事者を想っての行為ではなくて、単なる自己満足。優越感を満たすために当事者を踏み台にする行為。だと認識するようになりました。
あなたはどう思いますか?
こんなことをされて怒りを感じない人っているでしょうか?完全に馬鹿にされている。下に見られている。そう感じますね私は。
障害へのコンプレックスって当事者が一番わかっています。それをわざわざ周囲が指摘するのってバカにするのも甚だしい。人間としてやってはならない行為だと考えてます。
コンプレックスの指摘と紙一重なのが「共感」だと思います。こちらはやさしさなどの「力になりたい!」的なよりそう感情が根っこにあると思います。それはわかっています。でも指摘される方はきついですね。
共感はうまく当事者にハマれば信頼を得られると思います。でもハマらないと、コンプレックスを刺激する劇薬となるのかな?障害を馬鹿にしてくる人に向ける敵意を同じように向けられかねない。そんな気もしました。
優しく寄り添っているつもりなのに、相手が怒ってしまうのってこんなロジックが隠されているのかもしれません。コンプレックスに触れるのってとっても難しいと思います。それも「障害」と言われるほどのコンプレックスですからねぇ…。
「あんなに優しかった人が、高次脳になったとたん性格ががらりと変わってしまった。すぐ怒りまくる。腫れ物に触るような生活がつらい。」
当事者の性格ががらりと変わってしまった背景には、こんなことが起きているのかもしれません。万人がそうだとは言いません。これは私の体験を元に書いた一つの事例です。