地獄…記憶障害で壊れたレコード化した時の自分

高次脳機能障害の壁にぶつかったときの経験。すっごい記憶に残っています。
なぜかというと、今までどんな壁が現れても必ず超えてきたのに、超えられない壁に遭遇したからです。初めて障害を自覚した瞬間かな?
死ぬ思いであがき続けました。でもぶつかった壁は超えられませんでした。こんなのってありですかね?いや、ないでしょ…。
その壁とはちょっとした仕事。何度も経験したことのある仕事です。目標は明確。手順も決まっています。臨機応変さも必要なし。正確性は必要ですが考える使う必要はないものです。そんな作業だったはずなのに…。
頑張っても頑張っても終わりませんでした。
なぜなのか?
それは「壊れたレコードのように同じことを延々と繰り返すばかりで、先に進めなかった」からです。
同じことを繰り返していては作業が進まないのは当たり前です。なぜ同じことを繰り返していたのでしょうか?
これってもしかすると高次脳機能障害(特に記憶障害?)の人たちに共通するものかもしれません。また認知症の人たちにも共通するかも知れません。「ご飯を食べた直後に、ご飯まだ?」と聞くようなものに近いですし。
今回は、頑張っても頑張っても先に進めないとどうなるのか?なぜそんなことが起こるのか?を自分の体験を通して書いてみたいと思います。

高次脳から認知症に移行するかどうかの瀬戸際?

私の障害は一つ間違ったら「だんだん良くなるはずの高次脳」から「時間とともに悪化して行く認知症」に知らずのうちに移行してしまうきっかけになったかもしれません。
なぜかというと、行動の意欲をとんでもなく減退させるものだからです。だってこういうことなんですよ?

  • すべき課題がある
  • 課題に取り組む
  • 課題が終わる
  • 課題に取り込んだことを忘れる
  • 再び課題に取り組む
  • 以下無限ループ

短期記憶障害があるとやった事を忘れてしまうんですよね。「やらなければ」という思い込みに感情が支配されているから、完了した作業をまたやり始めてしまうのです。私はモロにこのタイプ。
これってとんでもなくエネルギーのロス。時間のロスなんですよね。無駄の王様です。だからそうならないように色々と工夫を凝らしています。このブログでも色々と紹介していたと思います。
ところで、こういう無限ループの陥っている人に対して周りはどう接していくのがベストなんでしょうかねぇ?とても難しいのでは?と思っています。
普通、間違ったことをしているのなら、周囲が注意をしますよね。注意された側は状況を把握して、理想の状況との差を埋めるべく行動を修正する。こんな流れですよね?
ところが、記憶障害注意障害があると別です。
例えば私の場合、注意をされると「その通りだ!自分のしていることは間違いだった」って素直に認めます。そして再挑戦をします。
ところが…再び間違ったやり方で行動したりするんですよね。別に注意に反発しているわけではありません。すなおに自分の非を認めているんです。注意されたとおりにやろうと考えています。
でも、なぜか行動すると「また間違っていた行動をとってしまう。」なんなんですかね?わけが分かりませんよね。私もわけが分かりません。
頭の中で想像していることとを、行動に移すときに脳の指令とは違う行動をとってしまうのです。私の記憶障害はそのタイプでした。正常に認知して判断しているのだけれど行動が異常。
ちなみに漫画で敵に操られた人が「やめろー、俺はこんなことはしたくないんだぁ!」などと叫びながら味方に攻撃するシーンがありますが、それとはちょっと違うかな?行動している瞬間は正しい行動をしていると認識していますし。かなり厄介ですね。
こういうことを正直に書くと「だから脳に障害がある人は危険だ」って思われるかもしれませんが、善悪の認識は正確なので大丈夫ですよ。
で、問題なのは「認知と行動が違うのを自覚すると行動が怖くなる」ではないでしょうか?
注意されて治るのならそれは障害ではないです。注意されてどんなに指揮しても治らない。だから障害なんですよ。強く意識して油断しないようにすればまた違ってくるのかもしれませんが…。
とにかくこの結果失敗をしまくるわけです。失敗をしまくれば、怖くなります。怖くなれば行動ができなくなります。行動しなければ…改善しないどころか、認知症まちです。

同じ作業を繰り返すのは「いつ?」「なぜ?」

私は油断したときと疲れた時に同じことを繰り返す可能性があるようです。(疲れと油断)
また、こんな時にも同じことを繰り返していました。それは愚痴の2条件がそろっていた時です。

  • 時間的制約のある時
  • 監視の目がある時

これね…すごく焦るんです。周囲は障害のある私を心配して。もしくは障害のある私がもたらす結果を心配して、私に注意を払うのだと思います。でもそれが逆に私の能力を下げることに繋がっていたと思います。なぜなら心配されるほどにプレッシャーがのしかかるからです。
プレッシャーはもう一つありました。それは「自分が正しくできているのか」というプレッシャーです。
だから私は常に2つのプレッシャーに襲われていたことになります。
大ハンデ戦です。高次脳機能障害という自らのハンデ+周囲からのプレッシャー+自分自身からのプレッシャー。こんな針のムシロに座らせられた状況の中で戦ってきたことになります。
障害を負ったからと言って周囲に迷惑をかけるわけにはいきません。それでなくても「お前は障碍者だ」という目で見られているわけです。通常なら1のミスでも10のミスとして取られるでしょう。あっというまに信用を失い評価が駄々下がりになります。
評価が下がれば仕事が減る収入が減る。それは未来が閉ざされること。だから1つのミスも許されないのです。1ミス=即死です。
今までは普通の道路を歩いてOKだったのに、障害を負ったとたん鉄骨の上を目隠しをして歩かなければならなくなった。そんな状態を想像すると分かりやすいかもしれません。
こんな状態では焦って当たり前です。できなかったらダメ判定。ダメな自分は自覚しています。でも何とかくらいつていかなければならない…とにかく前に進むしかない。病前と同じように仕事ができることをアピールしなければなりません。
そんな背景があったため
「何が何でもミスを犯さずに仕事を進めなければなりませんでした。」
「でも確認中に何がなんだかわけが分からなくなってしまうのです。」
なぜなら高次脳機能障害だからです。

同じことの繰り返しで時間が過ぎる

同じことを繰り返すのは、自分が出した結果が不安だから。なぜ不安なのかというと、頭の中で導いた正解を行動で出力するときに間違う現象が起こるから。
なら正確にアウトプットできているかを確認すればいい。当たり前です。だから確認をします。
でも、その確認した結果は正確なのでしょうか?
この疑いが生じてしまうのです。無限に。
時々答えが間違っていたりもするんですよね。全部が全部間違っているのなら諦めも付きます。
でもミスは100問中1つだけ間違う。というものですよね。この1つのミスが致命的。「他にもミスがあるのでは?」とすべてが疑わしくなるのです。
とくに1度確認してOKだったのに、2回目確認したらミスを見つけてしまった…などというケースは最悪ですね。自分が全く信用できなくなる。3度目4度目と同じチェックを繰り返さなければならなくなります。
さらに厄介なことがあります。チェックしたかどうかを忘れてしまうのです。
さんざん繰り返し確認した後に、確認した事実を忘れてしまう…もうねこんな事を書いている自分に言いたい「ばかじゃねえの?おまえ!」って
自分でもわかっているんですよ。「なぜこんなにチェックする必要があるの?」って。
でももう一人の自分が言うのです

  • 「漏れがあるかもしれない」
  • 「チェックしていないかもしれない」
  • 「ミスがあったらダメ人間だと判断されるよ」

って…。そして確認の無限ループ突入です。疲れ果てるため作業スピードは落ちます。そしてミスも増えます。さらに私は疲れるほどに障害の症状が出るのです。
区切りを付けられない私は意識を失うまで同じチェックをし続けたことでしょう。幸いにも妻に強制中断させられましたけれど…。

まとめ

退院後に仕事を再開したころはまさに地獄。記憶障害でどんどんやった事を忘れました。忘れると仕事が進みません。だから何度も繰り返し同じ作業に取り組みました。途中まで進んだ仕事を信用できないからリセットです。また1から取り組むのです。
でも再び途中でリセットがかかります。そうしたらまた1から取り組みます。
でも再び途中でリセットがかかります。そうしたらまた1から取り組みます。
でも再び途中でリセットがかかります。そうしたらまた1から取り組みます。

どうでしょう?3回同じ行を繰り返して書きました。異常だと思いましたか?異常だと思って当たりまえです。
私はこれと同じことを仕事で行いました。ほぼ命がけ状態です。
家族にとっては恐怖だったと思います。
脳に障害を負った私が同じことを繰り返すばかりで、一人で怒り狂っているわけですからね…。
地獄です。