私のブログに身内の高次脳について質問がありました。
お返事をしたいのですが、上手く連絡が取れないのでここで記事にして回答したいと思います。
質問は高次脳アルアルなので「誰が質問したのか」は全く分からないはずです。ご安心ください。
では私自信の体験から質問にお答えします。
もちろん個人差はありまくります。
人によって性格が違うように、私の回答が全高次脳機能障害者に当てはまるなんてことはありません。そこだけは勘違いしないようにご注意を。
あくまでも一個人の事例での回答です。
怒りっぽいのは良くなっていくんじゃないのかなぁ?って思います。
私もとんでもなく怒りやすいやすい時期がありました。やっぱり発症後半年間の私は全くの別人です。
ちょっとしたことで大爆発していました。机をバンバン叩くわ、よその家に怒鳴り込もうとするわ、外の騒音に「うるせええええええええ!」って怒鳴るわ。
ハァハァ言いながら憑りつかれたようになって仕事をする私に「もう仕事を終わりにしなよ」と、心配した妻が声をかけようものなら
「うるさい!!!!!」「俺が金を稼いでるんだ!あなたは1円も稼いでいないだろう!」って怒鳴り散らして泣かせるような状態でした。
そのような状態は、受傷後半年を過ぎたあたりから落ち着いてきました。ただ、追い詰められてパニックになると切れることはありましたね。それも1年後には全くなくなったかなぁ。
つまり受傷後1年で、元の落ち着いた性格に戻った。のだと思います。
運転再開をする2年目には怒りに関しては100%元の自分状態かな。まったく怒ることがなくなりました。
怒ることがなくなると家の中が平和になりますね。障害ゆえのミスをしても笑って許されるような雰囲気になります。だからますます気にしなくなる。気持ちに余裕が現れる。と良い方向に歯車が回り始めますね。
記憶障害の自覚があると不安なんですよね。自覚が無くても何度も何度も失敗を繰り返すと、どんどん自信が削られていきます。だから最初から複雑なことはやらせないほうが良いですね。
私は毎日イオンへお使いに行っていました。卵1パックや牛乳を1本買うためだけに。
でもね忘れるんですよ。イオンへ歩いている間に。最初の頃は牛乳を頼まれたのに卵を買って帰るようなことをしていました。
しかしそれを指摘されてミスを記憶すると、次は「失敗しないようにしなくては」と考えるようになりました。だから入念にメモを書くんですよね。「牛乳を買う」って。
でもね。高次脳の悲しい所なんだけれど、そのメモを持たずに家を出てしまうんですよね。そして現地についてからメモが無い事に気付く。そして電話をする。
いや、もっとひどい時は「メモを持っているのに、持っているメモを見つけられなくて、電話をする。」というのもありましたね。メモがメモの役割を果たせないんですよ。
すっごいですよね。「お前、頭大丈夫かよ?」って本気で心配するレベルですよね。
私は完全に不思議な世界の住人になっていました。正常な人には理解不能でしょう。それが私の高次脳機能障害でした。
こういう障害を乗り越えるには、
このような流れにのり、ミスの繰り返しにどれだけ挑戦して、どれだけ自分の状態を認識して、どれだけ対策を打てるか。なのではないかな?って思いますよ。
私は元々「問題点を改善をする」という仕事をしていました。その影響で自分で自分を判断して改善するよう心掛けたんですよね。その結果ミスはどんどん減りました。
ミスが減ると自分に自信が持てます。自信が持てると一人で出来るようになります。そうなると「妻に逐一電話をする必要がなくなる」わけです。
「挑戦~失敗~改善」
この流れが妻にいちいち電話をする必要がなくなった鍵ですね。
他の高次脳の方も私と同じ行動を取れたら変化していくのではないでしょうか。ミスを減らす工夫ですから。
ミスが減れば自信が回復します。しつこく電話をするのは「自分に自信がないから」なんです。
体に問題が無ければ外出は絶対にした方が良いとおもいますよ!高次脳センターのセンター長さんもおっしゃっていました。「閉じこもるのは良くない」と。
私はどうだったのかというと、とにかく外出をしていました。
易疲労でグッタリしますが、とにかく用事(イオンへおつかい)を作って外に出ました。散歩を欠かしませんでした。夕陽を空しく見て、アンパンマンの歌をつぶやいて、泣きながら散歩です。
空を見上げて
「おれ、何をしているんだろう…(涙」
こんな毎日でした。
運転を再開して、易疲労がなくなって、ガンガン働き始めて、ブログを書いて、ipadを買ったり、職場に新しい工夫の提案をしたり、事務員さんができない新しい仕組みを作ってあげたり…
今このようなことが出来るのは「ズウンと重くなる後頭部に悩まされつつ、真っ赤な夕日を見て泣きながらお散歩した毎日があったから」だと思います。あの散歩が私の障害回復の原点かもしれませんね。
お散歩だって個人差はあると思います。でも家の外から一歩出るだけでもいい。だから私だったらこのように言います。
「昔の自分に戻りたいのなら、家から出よう。1分だけでもいいから外を歩こう。周りのみんなはそれを望んでいる。元気な姿で戻ってくるのを待っている。散歩に出れば私のように改善するぞ!」
言い過ぎかな?
このくらい励ましてよいのではないでしょうか。絶望という真っ暗なトンネルの中に光を灯したいですから。私は障害を乗り越えて元に戻れるのであれば何でもしますよ!
膝が悪い…それでも歩けるのなら家の庭にでも出たほうが良い。家の中と外とでは全く違うと思います。膝が悪いからと家の中の閉ざされた空間にいるだけでは、この先もずっと家の中から出られません。もちろん膝の不安を減らす工夫もすべきです。不安があると出られませんし。
悪影響があるかどうかはわかりません!当事者のその時の性格によると思います。また障害以前の性格がどうだったか?も影響すると思います。
私はコツコツ努力を積み重ねて壁を乗り越える性格でした。初めて乗り越えられない壁が現れて絶望感でイッパイでした。
でも結局は乗り越えてしまったようです。
障害に苦しんでいた当時、周囲はこのようにアドバイスしてきました
「散歩をしなさい」「以前と同じように行動をしなさい」
散歩はまだしも、以前と同じ行動ををとるのは地獄のようでした。きつかったですね。常に追い込まれて発狂寸前。出来ない現実に心がバキバキに折れまくって精神科の受診もアドバイスされました。
でも私はそれを乗り越えました。胸を張って言いますよ「高次脳機能障害を乗り越えてきました。」
それは私が壁を乗り越えようと努力を重ねる性格だったからかもしれません。そもそも私は言われると「期待されている!応えねば!」と闘志を燃やすタイプです。
でも出来ない人にはできないと思います。だから悪影響があるかどうかは「わかりません!」
言われて闘志を燃やすタイプの人もいれば、言われて心が折れるタイプの人もいます。受け手の性格次第です。
家族が障碍者になるって、家族にとってはとんでもない影響を与えますね。狼狽するでしょう。この先どうなるのか不安でイッパイでしょう。パニックになると思います。
でも当事者もパニックです。同じことを考えているはずです。
皆が不安でパニックになったら…当事者は追い込まれるでしょう。どこにも逃げ場がないですから。
障害を負ったときは、とんでもない閉塞感に襲われました。逃げられない。どこにも。深い井戸の底に落ちた感覚です。
パニックを起こして当然。抜け出そうとあがいて当然。錯乱状態かもしれません。
心の余裕はまったくありません。私はそろそろ3年目です。現状を受け入れて落ち着いていますが、それでも周囲に気を配る余裕はありません。毎日が薄氷の上を歩く状態です。(最近は少し厚めの氷に変化してきましたけど)
本人は全く余裕がありませんから、家族の状態はモロに影響を与えます。それも悪い方向に数倍に増幅して悪影響を与ると思います。
高次脳機能障害になると焦ります。元に戻りたくて。でも焦ると失敗するんですよ。失敗を繰り返すと二次障害を起こします。状況が悪化するだけです。
だから、家族は絶対に当事者を焦らせてはならない。安心させなければならない。「ならない」と強く書くのは絶対に必要な行為だからです。
周囲にはすっごい負担だと思います。でも家族の接し方は当事者の心に大きな影響を与えますから。
だから回復を信じて接するしかないと思います。