脳に傷が付くと健康な人には信じられないほど疲れやすくなります。
易疲労と言います。(神経疲労・脳疲労とも言います)
脳は回復のために莫大なエネルギーを使うから疲れやすくなる。そんな説明も受けました。
疲れやすいと、脳がうまく働いてくれません。日常生活もつらくなります。脳が正常に働けるのも体が元気に活動できてこそです。
しかし脳に障害を持つと一気に疲れやすくなります。モロに体がしんどくなり、活動がおっくうになります。
「一日中何もせずにごろごろしていたい!」
なんて考えた時もありました。これではボケ老人になってしまいます。働き盛り世代なのにそんなのはぜったに嫌!でもやっぱりかったるい…。こんな感じでグダグダになってしまうんですよね。
これは私だけの症状ではありません。
高次脳機能障害になってしまうと、「疲れにどう対応するか」は、日常生活に復帰するうえでとても大きなポイントになるのです。
入院中は何かをしようとすると常にぐったりする状態でした。
心理検査はその最たるもの。地獄です。検査が始まるとマラソンをした直後のように「はぁはぁ」言い始めます。必ず脳が酸欠状態になりました。
知り合いと電話で話すだけでもグッタリです。
「このままではまともに生活ができない。どうしよう。」
退院がとても怖くなりました。退院後も疲れの対策が大きなテーマになりました。
「頑張らないように努力せよ!!」
大学病院を退院するときに脳神経内科の主治医にこのようにアドバイスされました。
言われた時は全く意味が理解できませんでした。最近になってこの言葉の意味が身に染みています。
まるで一休さんの禅問答のようです。
ポイントは「疲れ」なのだと思います。「疲れないようにホドホドにね」これを私に伝えたかったのだと思います。
疲れは高次脳機能のすべての足を引っ張ります。すべての努力を無駄にしてくれます。
この記事のエピソードにもあるように、疲れが原因で発狂状態になったこともあります。
易疲労は後日、千葉リハが開催するグループリハビリで習いました。「もっと早く知りたかったなぁ。」って思います。高次脳になった人。そしてその周囲の人に一番に伝えたいアドバイスですね。
易疲労は大好きなイオンへのお散歩も辛いものに変えました。道中で息が上がってしまいベンチに座り込んでグッタリ。わずか数百メートルの平坦な道のりがつらかったです。
店内の照明、音楽、人の声…すべてが強い刺激となって私の脳を攻撃します。すぐに頭がズゥンと重くなり、またベンチに座り込んでグッタリ。
帰り道でも息が上がってしまい、またベンチでグッタリ。
「こんなことでは、まともに仕事に復帰できない…」
不安な気持ちに襲われる毎日でした。雲の間から差し込む夕日が、さらに気持ちを落ち込ませます。
「もーしー自信を無ーくして…くーじけそーになーったら…いいことだけ…いいことだけ…思い出せ…」と、アンパンの歌が頭の中を流れます。
公園でボロボロと涙を流していました。毎日泣きながらの散歩です。(これは感情失禁なのでしょうか?)
アンパンマンの歌が頭の中を支配していたのは4月頃。それから8か月が過ぎました。日常生活では易疲労は無くなったように感じています。
ただ仕事などで集中しすぎて、見えない疲労が蓄積すると影響が出てしまう時があります。
疲労がたまると注意の分配がうまくコントロールできなくなります。一点に集中しすぎたり、散漫になって作業が抜け落ちたりします。
注意の方向を、ほどほどのタイミングで切り替えられると良いのですが、そのバランス取りがうまくいかないようです。
易疲労が原因で注意障害が発動してしまう。脳の機能は一つが障害を持つと連動して別の障害が発生してしまうのです。記憶にも悪影響です。
千葉リハのグループリハビリでは「疲れ対策」を発表しあいました。
ここで出たアイデアは、
といったところでした。
まとめると「仕事は終わりを決めてゆったりと活動をする。そうしないと痛い目を見るぞ!」こんな所でしょうか。
高次脳になった影響で以前のようなペースで作業が進まなくなるかもしれません。遅れを取り戻そうと意地になって、休憩時間を削ったり作業時間を延ばすのは逆効果。かえって悪い結果になります。
なかなか難しいのですが「勇気をもって作業を終わらせる」心構えが必要です。相当強い精神力が必要になると思いますが、疲れない工夫は絶対に必要だと身に染みています。
…と人に言うのは簡単だけど、いざ自分がやるとなると滅茶苦茶難しいんですけどね。頑張ってはダメだなんてこれも一つの地獄ですよ。努力を禁止された脳になったのが本当につらかったです。(いまはだいぶ耐久力が付いてきました!)
↓これは他の高次脳な方の易疲労の事例です。脳に障害を負った後に職場復帰したけど易疲労の影響が出ています。それにどう対応したのかが記載されています。
1】注意障害 と易疲労性 が前景 に立つびまん性軸索損傷例.過度の認知的労力を必要 とし幻覚妄想が出現 した.
20歳代に受傷.Japan Coma Scale(以下,JCSと略)2桁以上の意識障害が2カ月間続 く.意識障害か ら回復 し,受傷3カ月目には体幹失調や構音障害が軽減 し,自立歩行が可能 となった.
記銘力障害 〔三宅式記銘力検査有関係 (以下,三宅式 ・有 と略)5-8-8,無関係 (以下,無 と略)0-0-0〕の代償手段 として日常生活 でメモ リーノート12・13)を利用することを習慣化 し,在宅生活に戻った.受傷1年半後 には,知的低下 は軽度(WAIS-R VIQ62 PIQ82)で,記銘力障害 も日常生活に支障のないレベルにまで改善 (三宅式 ・有7-9-10,無2-2-2)した.
注 意 障 害 は数 値 上 軽 度〔PASAT2秒 総反応数29/50正答 数27/50,TrailMakingTest(以 下,TMTと略)A122秒B179秒〕であったが,易疲労性が 目立 ち,課題 に15分間程度集中すると,頭重感が出現 し検査 に取 り組 めなくなった.MRIで は図1の とお り,大脳全体の軽度萎縮 と脳室の拡大がみられた. この受傷1年半時に,本人の強い希望で復職.
202粁 神 経 誌(2007)1()9巻 3号(対1 症例1の .MRITl強調画像人J悩令体の軽度 萎縮 と脳室 (荊1日,節l\)
軽度拡大がみられる配置転換にて時間プレッシャーのない単純作業部門に移 った.会社の労働評価は良 く,復職2年後に受傷前 と同様の職種 に戻った.
ところが,流れ作業のスピー ドについてい くためには,常に注意を持続 させ,過度の認知的労力が必要であった.
疲労が臨界点を超 えると作業効率は低下 し,急激に ミスが多 くなった.
精神疲労,頭重感,頭痛,めまい((lizziness),焦 りと緊張が持続 した.遅れた仕事 を取 り戻 そうとして休息をとらず,職場での焦燥がさらにひどくな り 「仕事ができないやつ」 と自分のことを噂 し合い,広く放送 してし)る幻聴が出現するようになった.
休職 とrisperidon内服 により諸症状 は軽快 し,2ヵ月後 に復職 した.その後6年間,時間プレッシャーのない職種で仕事が続 いている.
「休憩時間にはきちんと休む,疲れる前に休息をとる,無理 をしない,頑張 らない」
という標語 を遵守するように指導 している.適度な休息を口分で臨機応変にとれないため,職場では保健師が介入 し休息させ る体制 をとっている。
易疲労の参考文献:精神神経学雑誌節109巻 第3号(2007) 199-214