高次脳機能障害の特性と闘う毎日|環境が私を足手まとい化する現実

高次脳機能障害の特性と闘う毎日|環境が私を足手まとい化する現実

高次脳機能障害になって3年以上過ごしてきました。
最初の頃は千葉リハで心理検査を受けまくりました。障害の状況を詳しく知るためです。
また千葉リハ主催のグループリハビリも受けました。高次脳機能障害について学びつつ、自分の障害の現状に気付くためです。自覚を促すってやつですね。
千葉リハで学んだことと私の経験。これらの知識があるおかげで、自分の障害をまた一つ自覚できました。
「まさか障害を負ってから4年半以上が経過した今頃になって、障害を自覚するなんて…」
そんな気持ちです。でも自覚こそが障害克服への道なので、どんどん自覚していきたいと思います。そして自分自身の改善につなげていきたいですね。

障碍者生活4年半後の自覚とはなに?

一応頭ではわかっていました。でも頭で認識するのと、実際に経験して障害の実感を得るのとでは違いますね。
理論と実践ってやつなのかもしれません。私は知識はいろいろと詰め込みましたが、自分事に変換されてはないかったようです。実感不足?
それは何かというと「最初の思い込みに引きずられてしまう。」というものです。
これって、発病当初からある障害だと思います。
例えばこんな感じです。初めて見る食べ物に対して…
「この食べ物は甘いだろうな」
「食べたら辛かった」
「この食べ物は辛いぞ」
ここまでは普通です。当たり前に感じますよね。普通の人はこれで終わりです。でも私は違います。続きがあります。
「この食べ物は辛いぞ」
という実感だったのがいつの間にか
「この食べ物は甘いはず」
に変わってしまうのです。次にはこうなります。
「この食べ物は甘かった。」
実際は、この食べ物は辛いのです。実際に食べて辛さを味わいました。でも時間がたつにつれて「この食べ物は甘いはず」に変わってしまうのです。
なぜ「甘いはず」に変わってしまうのでしょうか?
それは
一番最初に抱いた印象が「甘いはず」だったからです。
この障害を整理して一言にまとめるとこうなります。
【最初に抱いた印象に引きずられてしまい、情報の変更ができない。】

なぜ情報の変更ができないのか?頑固なのか?

周囲からすれば私の障害は「頑固」と捉えられると思います。
だって、周りが何度「それは違うよ。こうだよ」と説明をしても、いつの間にか違う方向に脱線しているわけですからね。それ必ず同じ方向への脱線。
人から見たら「なんでそっちに行くんだよ!」状態です。イライラするでしょうね。意地を張っているように見えるかもしれませんね。
でも私自身は全く意地を張ってはいません。常に正しい方向へ進むように最善の注意を払っているのです。
人から「こうだよ」と指示を受ければ、「あぁそうなんだ。こうすればいいのね。」と素直に受け入れます。全くもって頑固な要素はありません。素直です。本当に。
でもしばらくすると…
なぜか脱線しているのです。全く別の方向に進んでいるのです。
自分としては、言われた通りに忠実に正しい事をしている認識なんですよ。ところが全く違う方向に進んでいる。違う方向に進んでいるのでゴールにはたどり着けません。
やがて「何かがおかしい」と気づき始めます。自分で進路変更をします。正解の道を探し出します。
とんでもない回り道をして得られる答えは、最初に周囲から指示された道なのです。
この変な回り道。今までに何回も経験しています。実感しています。何度も経験すれば「そろそろ学習して素直に従えばいいんじゃない?」ってなりますよね?私もそう思います。
ところがそうはならないのです。
人から指示を受けると「なるほど、わかりました。言われた通りに処理します。」と、素直に受け入れるのですが、いつの間にか変な方向に脱線してドツボにハマっているのです。
なぜこうなるのか自分でも理由が全く分かりません。
いつの間にか考え方が頭の中で変化しているようです。たぶんこれが私の記憶障害の特性なのでしょう。
受け取った情報を正確に判断し記憶する。しかし、記憶を取り出す瞬間に間違った情報を参照してしまう。だから行動が不正確になる。自分自身は正確に従順に粛々と処理を進めているつもりなのに、全く違う行動をとっている。
致命的に思えてなりません。この障害。

記憶の想起ミスが多発するこの障害にどう向き合えばいいのか?

自分自身の努力と、周囲の協力が必要です。どちらが欠けると障害に対応していくのは難しいと思います。
記憶障害のフォローにはメモが有効です。メモは必須です。だからメモは絶対にとるべきですね。私は全部メモに取ります。電話の内容も会話もメモをしまくります。仕事をする時も、今何をしているのかを全て記録しています。
自分自身のメモの力は相当あると思います。常にメモを取る癖がついていますから。
でも、それだけは万全ではありません。ミスはゼロになりません。ミスを限りなくゼロに近づけるためには周囲の協力も必要なのです。
周囲の協力とはなにか?それは当事者の障害特性に合わせた指示を出すことです。
私は目で見る情報に強いです。逆に音の情報には弱いです。音の情報は記憶に残りづらくミスの温床となっています。電話で用事をお願いされるとほぼ壊滅状態となります。遂行できません。電話を切った瞬間に忘れてしまうからです。
電話をしながらメモを取ればいいのでは?と思うかもしれませんがそれも難しい。電話は一方的なコミニュケーションツールです。こちらの状況お構いなしに突然襲い掛かってきます。そして滝のように一気に用件を伝えてきます。
私の処理が追いつきません。メモを探しているうちに、要件が語らはじめます。こちらはメモを探すのに意識が行っているため生返事をすることになります。
それでなくてもしっかりと意識して記憶にとどめるようにしなければならないのに、メモを探す作業をしながら音声情報を一方的にたたきつけられる。
…無理です。到底処理しきれるものではありません。さらに言うと私は耳が少し悪い。音が聞き取りにくいです。これは病前からです。もうね音の情報は致命的なんです。
でも、電話をしてくる人にいちいち「待ってください」とは言えません。相手の事情もありますし。
だから「承りました」と返事をしつつも「今の内容は何だったのかな?」とメモの断片から電話の内容を推測する作業を行う羽目になります。障害のある自分の記憶を頼りに… 
信頼性も何もあったものではありません。私の存在がミスの温床と化しているように感じます。
これが障碍者となった私の現状です。
「せめて紙の情報が用意されていたら…」何度悔しい思いをしたか分かりません。眼で確認できる紙の情報さえあれば以前と同じように行動できます。でも、現実世界では紙の情報と言うものはなかなか存在しないようです。
ずっと限界を超えて戦ってきましたが、最近とても疲れています。
これが高次脳機能障害になって3年半が経過した現実です。
メモ書きをしながら戦う毎日です。