注意障害の悲しさ|何度も確認するのに間違えるのはなぜ?

悲しすぎる注意障害|何度も確認するのに間違えるのよ…辛いのよ…

私には3つの障害があります。記憶障害。注意障害。遂行機能障害。この3つです。
今日はそのうちの一つ「注意障害」について自分が日ごろ感じていることを書きます。
物語などでは記憶障害が一番メジャーだと思います。注意障害はどうなんでしょうかね?あわてんぼうなドジっ子ですかね?実際はそんなレベルじゃないのですけれど。
自分の体感では記憶障害よりも注意障害の方がきついなぁって感じています。いや、どちらもきついかな。少なくとも注意障害の方がましと言うことはないですね。
その注意障害について私のリアルをまとめるとこうなります。

注意障害ってどんな感じ?

自分にとっては「あり得ないレベルのミスを引き起こす障害」かな?

  • 自分のミスに気が付かない。
  • 目のまえに目的のモノが有っても気が付かない。
  • 命に係わるレベルの状況下にあっても気が付かない。
  • 違和感があっても対応できない。

こんなところでしょうか。
そこに「おっちょこちょい」などといった、かわいらしさはありません。
命が危険にさらされるレベルで大変な目にあっても、気が付けない。対応できない。そうのようなハイレベルの悲惨さがあります。
この記事でも注意障害から発生した危険な出来事を書いています。
身をもって経験して、注意力ってとても大事なんだなぁって感じています。大事な大事な脳の高レベルな機能の一つですしね。

注意障害が起こる原因はなんだ?

「高次脳機能障害なのだから注意障害が起こります。」ではちょっと具体性に欠けていると思います。なので自分日常に当てはめて原因を考えると…
私の注意障害が起こる原因は大きく以下の二つとなりますね。

  • 慢心、油断
  • 疲れ

どちらも千葉リハの診察結果から出ています。指摘された時は「うーん。その通りとしか言いようがない!」って思いました。身に覚えが有りまくりでしたから。
例えば「慢心、油断」ですが、これって気を抜くと凄い思い込みをしてしまう傾向があるんですよね。元々の性格からきていると思います。
この思い込みに引っ張られるんですよね。頭の中で「これはこうなんだ!」って思い込むと、他の情報が頭に入らなくなるというか、入っているのだけれど考え方が変えられなくなるというか。1つのゴールに向かって突進してしまいます。
間違えていることに気が付けないのです。間違えたまま堂々と突き進んでしまうわけです。
厄介なことに、猪突猛進モードになると、周りの意見が耳に入らなくなるようです。スイッチが入ったらもう終わり。自滅して痛い目を見るまで止まらない。毎回、痛い目を見てから大後悔です。
ちなみに今この瞬間も、歯医者がらみで「しまったぁ」って絶賛後悔中です。
疲れるとますます注意力が落ちます。落ちるというか、よりいっそう1点に注意が集中してしまうため周りが見えなくなる。別の選択肢があっても気が付けなくなる。そのような状態になります。
今このブログを書いている時のように、心に余裕がある時はいいのです。でもいざ注意が必要な場になると…一点集中(過集中)して誰の意見も聞けなくなり、ゴールに向けて暴走状態になる。
そのゴールが正しければまだましですが、最初から正解に進むなんて中々ないですからね。普通の人は微調整をしながら進んでいきますよね。私はスイッチが入ると修正が効かなくなるのです。辛い!!
ほんと、この注意障害は何とかしたい。何とかしたいのに何ともならない。
ない知恵を振り絞って工夫をこらそうとするのですが、工夫のしようが無いのです。
しんどすぎ。

注意障害は検査でわかるモノなの?

はい。わかります。注意障害の検査ってあるんですよね。
私は千葉リハでガッツリと検査を受けましたよ。心理検査(高次脳機能障害の検査だと思う)の科目の中に「注意力の検査」があるのです。
千葉リハの凄い所は、机上の検査の結果だけではなくて、実生活の環境の中で発生する障害も調べるんですよね。ほんと凄いなぁって思います。
で、私の注意障害は「見えにくい障害」だそうです。
どういうことかと言うと「机上でのテスト形式の検査では良い結果が出てしまう」のです。紙で計測しただけでは「注意障害は無し」になってしまうのだと思います。
でも現実はガッツリと注意障害があります。条件付きで障害が起こるんですよね。こんなのずーっと一緒に暮らしている家族ぐらいにしか気づきようがないでしょうに…。
それを千葉リハは見抜いてしまう。「凄いなぁ」って思いますよ。相当の手練れの集団だと思います。
注意障害はレベルの高い病院で検査をすると、原因と対策が細かいレベルで分かりますね。

注意障害があると日超生活でどう困る

私が日常生活の中で失敗をする原因って、記憶障害からと言うよりも注意障害からなのだと思います。
記憶障害の方が実感がわきやすいし、大学病院で最初に指摘された障害だし、自分にとっては記憶障害が最も優先して克服すべき障害だと考えていました。
でも高次脳機能障害を4年半経験してみた今思うのは「記憶障害よりも注意障害のほうが克服すべき優先度が高い」ですね。
優先度がどうこうって考えても、どうにもならないのですけれどね。あえて順位をつけるとするのなら「注意障害だよねぇ」となります。
記憶障害はある程度工夫でカバーができます。何とかなる実感があります。でも注意障害はそうはいきません。工夫のしようがない。難しい。
記憶障害なら予定と事実を記録すれば何とかなるのかもしれません。
でも注意障害の場合は日常生活のすべての行為に警告の印が必要になりそうです。とても対策が難しいです。

注意障害のリハビリってどういうのがあるの?

注意障害対策は小手先の工夫ではなくて、根本的に何かを(たぶん生活習慣から)調整していかなければならないのだと思います。
それを担うのがリハビリ…なのだと思うのですが、高次脳機能障害ってリハビリ有るんですかねぇ?なんだかよくわからないです。
千葉リハからは「日常生活がリハビリ」と聞いています。まぁそうなんだろうなと思います。
千葉リハができるのは経過観察と日常生活の不便さを減らすためのヒントを一緒に考えることなのだと思います。
脳の障害って自力で知恵と工夫を凝らして乗り越えていくものなのだと思います。
だから歩けない人用のリハビリ的な。訓練的なものは無いのでしょうね。
となるとやはり千葉リハが言う通り「日常瀬克が高次脳機能障害のリハビリ」となるのでしょうねぇ。
4年半が過ぎた今でもそれ以上の答えが出てきませんし。

注意障害を持つ人とどう接すればいいの?

寛大な心をもって接してくれると本当に助かります。
私は間違えます。なぜ間違えるのか分かりません。理由が説明できません。
間違わないようにする工夫は色々と尽くしています。
それでもミスが起こるのです。
そのたびに落ち込みます。反省レベルではないですよ。この世の終わりのようになります。

  • またやってしまった
  • どんなにどんなに気を付けても失敗を犯してしまう
  • これ以上、何をどうすればいいのだろう
  • やはり無理なのか
  • 辛い辛い辛い

落ち込み方は普通のレベルではないです。「気を付けなさい!」的な言葉は全く意味がないです。
本人は失敗を自覚して、猛省して、そうならない工夫を考えに考えて、何度も何度も立ち上がろうとしているわけですから。この状態の私に届く言葉って何があるでしょうか?

ふと思ったけれど「頑張っている人に【頑張れ】という声掛けは良くない。」ってこういう事なのかな?

注意障害の対策って何がある?どうすれば?

もし注意障害で失敗を繰り返す人がいたら救ってあげて欲しいです。苦しんでいますから。
声掛けをするのなら「気を付けなさい!」の言葉ではなく「自然と注意が向くアイデアの提案」が良いと思います。もしくは気持を切り替えさせる声掛けかな。
アイデアの提案は、すごくうれしいけれど、難しいと思います。

  • 当事者の今の状況と、あるべき理想の姿を想定して、その差を埋める手段を考える。
  • 全体的に通用するものは範囲が広すぎるから、具体的な小さな範囲で考えてみる。

一つ上手くいけば横展開が可能だと思います。だから最初の一歩が大事。
もちろん失敗もあるでしょう。っていうか失敗して当たり前でしょうね。障害なのですから。でもそこは明るく乗り越える。モチベーションを保つのが大事。
そうやって障害を乗り越えていくしかないのかなぁって思います。
でも失敗するのは辛いよね。怖いよね。「また迷惑をかけてしまった」って落ち込むよね。
分かります。私もいつもそう。辛い辛い辛い。本当に辛い。注意障害なんていらないです。
でもやらないとね。最悪は今いる世界を変えるつもりで良いと思います。どんどん気持ちを切り替えていきたいですね。
そうして周りに迷惑をかけまくらないと、注意障害は克服できないような気がします。