障害者差別の経験から産みだしたこのサイトのキャッチコピー

障害者差別の経験から産みだしたこのサイトのキャッチコピー

障害者差別。
表向きは「良くない事」「タブー」的な扱いですが、実際はありますね普通に。実感しています。
どういうときに差別を感じるのかと言うと

  • 本人がいないところで、本人に聞かれたくない事をこそこそ言っているのを察知した時。
  • SNSで当然のように差別用語を使う人を見かけた時。
  • 差別を口にしている自覚のない人を見かけた時。

差別と区別は違う。と言いますが確かに違いますよね。

  • 区別とは違いを認めて困りごとを減らすために行う、配慮の元になるものだと思います。
  • 差別は対象者を下の立場に仕立て上げて自分を優位に立たせる自己保身の元になるものだと思います。

区別は善意を感じます。同じようなニュアンスに見えるかもしれないけれど明らかに違う。
それは言われる立場の当事者なら経験から見抜けると思います。
言い換えると

  • 区別は障害を持つ当事者のためになるもの。
  • 差別は障害者を排除して潰すもの。

ですかね。区別はありがたい配慮です。私にとっては。
私が良くツイッターで呟く「安全な所から石を投げつける行為」これにあたるのが差別です。
差別をする人間は障害を持つ人とは同じスタートラインに立つつもりはありません。なぜなら当事者の障害の無い部分で負ける可能性もあるからです。
自分よりも劣っていると馬鹿にしている人間に負けている部分がある。だなんて絶対に認めたくないでしょう。
だから絶対的な有利な位置からしか攻撃をしない。
要するに卑怯なんですね。
卑怯な人間は非難されるべきですが、絶対数が違います。
健常者の数と障碍者の数のバランスを考えたら、少数派である障害者のために健常者をいちいち非難はしていられないです。
それに、ツイッターは匿名ですし。どうしようもない。
だから、安全な所から石を投げつける行為は無くならない。障害者差別は無くならない。
そもそも障碍者なんてめったに見かけるものではありません。よくわからない存在です。特に内部障害なんてね。何が何だかさっぱりでしょう。
だから知らずのうちに差別的行為を行ってしまっている可能性もあるわけです。
でもこれは差別をした人は気が付けない。気が付くのは差別をされた当事者。普段の何気ないやり取りの中の一言でひっそりと傷ついているです。
私は高次脳機能障害になって5年目に突入しました。
必死に元にいた世界に戻ろうともがき続けています。少しだけ足を踏み込めた時もありました。ありがたい事です。
でも、同時に「差別の目」を目の当たりにしました。明らかに違っていました。障害前と障害後の私への接し方が。
もちろん配慮で変わる人もいます。それはわかります。本当に判るんですよ。でも、明らかに見下す。もしくは避ける。人もいるのです。
「人間はこうも変わるのだな」そう実感です。その人となりの真の姿を見せつけられた気持ちです。
このような変化は「障害が良くわからないから。相手をするのが怖い」というのがあるのかもしれません。
特に私のように「病気で脳に障害を負った」というのは、結構なパワーワードだと思います。
マスコミなどが盛大にはやし立ててきましたしね。そのような影響が強いかもしれません。
だから真実を知らずに偏見を持つ人たちをあまり責められないのですが、やられる方としては非常にしんどいです。
こういうのって不幸ですよね。当事者もその周辺の人たちも。お互いにぎすぎすしてしまう。
このような状況に落ちるのを避けるのが「勉強」なんだと思います。
「内部障害に対する知識は義務教育の範囲内で必要なんじゃないかなぁ。」なんて思います。
SDGsとか多様性とか最近言葉が出てきていますけれど、そいう言葉がタダのお飾りにならないためには、小さいころからの教育が必要なのだと思います。
教育がいきわたった何十年後かには、「見えない障害」とか「差別」とかそういうのが無くなるんじゃないなぁあと。
「隣の障害、あなたの言葉。思いやりは、知識から。」
それらの想いを込めたキャッチコピーを考えました。