高次脳からの運転再開|1年ぶりに運転を再開をするまでの流れ

高次脳からの運転再開|1年ぶりに運転を再開をするまでの流れ

インフルエンザ脳症で高次脳機能障害になってから1年。ついに運転再開できました!
久しぶりの愛車の運転席…滅茶苦茶緊張しました。免許取り立ての時に初めて千葉ニューへドライブをした時を思い出しました。
走った距離はほんの数百メートル。すっごいプレッシャーでした。これだけでもうへとへとです。
房総半島一周とか千葉から宮城まで帰省とか…ゴールは遥か彼方っていう感じです。
今回の記事は、インフルエンザで倒れてから運転再開に至るまでの手続きの流れをまとめたいと思います。
この流れは私自身がずっと知りたかった情報です。きっと同じように知りたい方がいると思います。その総まとめです。

高次脳機能障碍者の運転免許再開フロー

インフルエンザ脳症で脳に後遺症を持った私が、大学病院退院後に通たリハビリセンターでリハビリを受けて、運転再開するまでの流れを図にしてみました。
多分人によって違うと思います。あくまでの私個人の例です。
リハビリセンターでの高次脳機能障害の運転再開フロー
大きな流れとしては、最初にリハビリのゴールを決めて、ゴールに向けたリハビリを受けて、目的に突き進む。そんな流れになっています。

最初にリハビリの目標設定から始まった

全く記憶にないのですが、私が大学病院に入院したとき「最終的に何ができるようになりたいか?」を聞かれたそうです。私は「運転ができるようになりたい」と答えたそうです。(この時の記憶がないため伝聞です。)
インフルエンザで脳に障害を負ってしまったわけですから、脳機能は元には戻りません。戻らないから障害です。でも代替手段などで、戻った風にはできるようです。そして今「だいたい治ったよねー?でもこの辺は弱いけど」と実感しています。
その実感は、数か月前までは完全に錯覚でした。周りから見たら全然ダメダメでした。でもようやく周り(主に奥様)からも「元に戻った」と認められて、当初からの希望だった運転再開の試験を受けることができました。

高次脳機能障害のリハビリのゴールは自覚

1年前の2019年1月に大学病院に入院しました。そのとき主治医にこう言われていました「運転再開はできるだろう。」…障碍者となり精神的にどん底だった私の希望の一言でした。
でも、そううまくは行きませんでした。千葉リハでは春、秋に運転可能かの診察を受けたと思います。1回目は不合格でした。2回目にようやく合格です。

運転用の心理検査は、1度受けたら半年時間を空けなければならないルールがあります。

「高次脳機能障害のリハビリのゴールは自覚」という言葉を聞いたことがあります。
リハビリを始める前は「いや、自分は記憶障害だってわかっているし。すでに自覚してるよねぇ?だったらわざわざリハビリなんて必要ないんじゃない?遠いし。」なんて考えていました。
でもそれが大間違い。自覚しているとは言えません。今なら良くわかります。病識の有無とも違うのかなぁ…。なんというか「以前までの自分じゃないんだよ!」を心の奥底から実感できるかどうかが、ポイントなのだと考えています。
で、私は1年かけて「自分の中身は入れ替わった」のを自覚したわけです。きっと誤魔化そうとしても、いや誤魔化そうとしていなくても正確に見抜かれます。相手は大勢を見てきたプロです。本当に自覚しないと絶対に先には進めません。

1年ぶりの運転の感想は…運転怖い~

ほんの少しだけ、家の周りを運転してみました。助手席には妻同席です。一人じゃ怖いので。
走れました。自分的にはいつもと同じ感覚です。でも妻から見たらどうなのでしょうか?特に何も言われませんでした。
運転操作、車幅間隔、スピード感覚など、技術的には何も変わっていないようです。駐車も普通にできます。
だけど疲れました…滅茶苦茶疲れました。免許を取って初めて千葉ニューまで30分の道のりを走った時のように疲れました。相当ぐったりしました。お昼を食べて何とか回復…という感じです。
「今の私は20分ぐらいの運転が限度」
そう認識しています。それ以上は疲れます。千葉から宮城までドライブできるようになって喜んでいたのに今は20分が限界。まぁ仕方がありません。無理をして運転をして事故を起こしては大変ですから。
今は近所を走るのが限度と考えています。目標は千葉から宮城まで500Kmを走ることですが、無理をせずにゆっくりと走行距離を伸ばしたいと思います。