2019年1月にインフルエンザ脳症で高次脳機能障害になってから1年と2か月が過ぎました。
この期間の間、昔の自分を取り戻そうとひたすら努力を重ねてきたわけですが、自分的には脳機能は完ぺきに回復したんじゃないかなと考えています。
医学的にはどうなのかは分かりませんが、以前の自分を一番知っている私自身が、「回復した!万歳!」と満足しているわけですから、もう完璧でしょう。これを治ったと言わずに何といえばいいのでしょうか。
かなり調子に乗っていますが、この1年間地獄のような毎日を過ごしてきました。それがようやく終わったと実感しているのです。よしとしましょう!
そこで今回は、どのくらいの高次脳機能障害が1年と2か月で消えてなくなったのかをまとめてみたいと思います。
運転再開は私がインフルエンザ脳症で救急搬送された当初からの願いでした。
いつの日かまた愛車のWRXS4に乗るのをずっと夢見て、心理検査やリハビリを受けてきました。
運転再開に際して最大の敵は易疲労でした。すぐに脳が疲れてしまうのです。脳が疲れると注意力が落ちます。運転で注意力が落ちるのは危険です。もともと注意力に自信があったため、障害で注意力が落ちていると指摘された時はショック大でしたね。
私の注意力の低下は「疲労と慢心から来ている」と千葉リハからは指摘されました。慢心はともかく疲労で注意力が落ちるのはまずいです。でも運転で疲れやすいのは自覚していました。だから少しずつ脳を慣らしていくのを意識しながら、細かく短時間運転練習をしました。
その成果があって最近は近距離の運転では疲れなくなりました。最初の頃は車から降りたとたんにグッタリだったんですけどね。
近い将来千葉~宮城の600Km弱も運転できるようになるんじゃないかな?って感じています。
私はシステムエンジニアです。コンピュータシステムを作ります。で、同時に複数の会社のシステムを作りサポートをしています。高次脳の人には絶対に無理な仕事だと言われていました。たぶん健康な普通の人にも無理があるかもしれません。
それでも小学校の頃からPCを触ってきた意地とプライドみたいなものでしょうか。記憶障害のため作業が何度もやり直しになり、時には発狂状態になりながらもこの1年続けてきました。そのおかげで今では、健常者時代と同じレベルでマルチに仕事がこなせるようになっています。
自分でいうのもなんですが、「我ながら根性があるなぁ」って思います。もともと努力家である自覚はありましたが、ここまで目標につき進めるとは思っていませんでした。自分で自分をたくさん褒めたいですね。最後まであきらめずに仕事をし続けてきて良かったと思っています。
一時期は転職も考えていました。障碍者にでもできる単純作業。頭を使わない作業を考えていました。でもバリバリのエンジニアだった私にとっては全く方向性が違います。どうしても元の仕事に戻りたくてひたすら石にかじりついていました。
夕方になると以前の自分と比較してしまい、悔しくて毎日泣いていた時期もありました。それも今となっては思い出です。
私は餃子を焼くのが得意です。とてもきれいにうっすらと茶色い焦げ目をつけていかにも「おいしそう!」といった塩梅に焼き上げます。
でも退院直後に作った餃子は真っ黒でボロボロでした。家族はおいしいと言って食べてくれました。でもこの時に「自分は障碍者なんだ」って思いましたね。
それが今では、以前のようにとてもきれいに焼けるようになりましたよ。
私にとって仕事は二種類あります。今日飯を食べるための仕事と数年後に収入を増やすための下準備の仕事です。
多くの人は今日の飯のための仕事に全力を尽くすと思います。でも私はわざと余力を残して、将来のための仕事も同時進行していました。その中には勉強も含まれます。
将来のための仕事をするためには、今日の仕事を早急に終わらせなければなりません。だからと言って仕事量を減らすわけにもいきません。両立させるためには作業スピードが必要となります。
私は元々仕事をこなすスピードが人の倍近く速かったです。だからいつも余力を残している状態でした。それではもったいないので将来のための仕事というのも増やしていたんですよね。
でも脳に障害を負ってしまい、今日飯を食べるための仕事すら満足にこなせなくなってしまいました。なにせやっているそばから、今何をしているのかを忘れてしまうわけですから。
しかし1年という時間の中でどんどん状況は改善していきます。脳がマルチに処理をこなせるようになったので、注意を分散させながら複数の仕事を同時にこなせるようになりました。
記憶障害のために何度も同じ作業を繰り返すことも無くなったので、仕事をこなすスピードがどんどん健常者時代にもどっていきました。
そして今日は同時に3社の仕事をこなすことが出来ました。
「もう自分は終わったんだ。バリバリに仕事をこなしていた自分は死んだんだ」
退院後3か月間は自分が置かれている現実に心を侵されている状況でした。何もかもが悲観的。後ろ向き。後悔ばかりの毎日。
幻覚のようなものを見てひとりでヤサグレて悲観したり、「こうして人は死ぬことを考えるんだな。」なんて真っ暗な考えが頭の中をよぎることもありました。
思うように仕事が進められず発狂状態になり妻と子供を何度も泣かせました。
夏には心が落ち着いて認知も正常にもどりました。このころまでは半分幻の世界に住んでいるような感じでした。電車にまともに乗ることも出来ませんでした。
秋の台風シーズンになると低気圧で後頭部が締め付けるように苦しくなりました。脳に傷を負ったのでそれが原因かもしれません。
冬はいよいよ運転再開に向けての試験を受けました。条件付きですが運転の許可が下りました。疲れが心配だったようです。
易疲労は最後の最後まで私を苦しめてくれました。
今私は高次脳機能障害が理由で3級の精神障碍者手帳を持っています。ヘルプマークも持っています。
「自分は精神障碍者」とがっくりしてきたときもありました。この歳になるまでずーっと健常者の側でしたから。でも障碍者への入り口ってすぐそばに大きな口を開けて待っているんですね。今回身をもって実感しました。
メンタルも認知もボロボロな状態で、仕事をしたり通いでリハビリを続けたりしてきたのですが、1年と2か月たった今では「脳は回復するんだなぁ」という実感で一杯です。
脳がどんどん回復しています。病後にできなかったことが次々と出来るようになりました。
もう健常者と違いはないと思います。ようやく元気だったころの自分に戻ることが出来ました。こんなにうれしいことはないです。
ありがとうございます!