“簡単にメモを取れ”というアドバイスの重圧|高次脳機能障害を持つ私たちの現実

はじめに:高次脳機能障害とメモ取りの実践

高次脳機能障害という言葉を耳にすると、その具体的な日常への影響を想像するのは難しいかもしれません。

特に、情報を覚えておくことの難しさは、多くの挑戦をもたらします。しかし、効果的なメモ取りは、このような挑戦に立ち向かうための一つの鍵となりえます。

この記事では、実体験に基づいた具体的なエピソードを通じて、どのようにメモ取りが日常生活において大きな助けとなるかを探ります。

千葉リハで高次脳機能障害者対象のグループリハビリを受けました。その際に「メモ」について習い、参加者が日ごろ実践している工夫を確認しあいました。

私の体験:メモ取りへのアプローチ

メモは大事です。本当に大事。千葉リハではメモリーノートと言うのを教えてくれました。(作業療法の中でだったかな?)

私はPCと付箋と裏紙で情報管理しているのでメモリーノートの出番はありませんでした。そもそもメモを取る癖があるので入院中からメモを取りまくりだったのですが、それでも「高次脳機能障害でメモを取るって至難の業だよなぁ」と感じています。

なんというか…指導する立場の人は「メモを取りましょう」と言ってくれるのですが「メモを取って活用するのは至難の業」だと認識しています。

ではどの様に難しいのか…それを説明します。

高次脳機能障害でメモを活用するのが難しい理由

↑上の図が、私の経験から書き出した「記憶障害と注意障害のある私にとってメモへの感想」です。

医療関係者は言うと思います。「メモを取りなさい」と。でも現実は「メモを取っても活用できない。」わけなんですよね。

私のメモの体験を話すと、最初は入院先の部屋に備え付けてあったメモ用紙への自発的なメモから始まりました。

すぐにA4用紙>大学ノート>付箋に発展。大学ノートは長く残す記録として日記的に。付箋は瞬時にとれてなおかつ繰り返し利用する情報。常に忘れてはならない情報に利用しました。

これが私のメモ生活の始まりでした。

後から「メモを取るのは高次脳リハビリの最終段階で教わる項目」と聞きましたが、私は入院直後にメモを取り始めていたのです。

退院後もメモを取りまくりました。日常で発生する全ての出来事を大学ノートに。常に思い出せるようにしたい情報は付箋に記入して、パソコンのディスプレイにべたべたと貼り付けました。6年経つ今でも私のPC周りは付箋の山です。

常に使うのはほんの数枚の付箋ですが、ごくまれに確認したい時もあるんですよね…なるべくPCのクラウドアプリに転記するようにしてはいますが、それでもメモを駆逐することができずにいます。

社会へのメッセージ:理解と支援の必要性

「メモを取りましょう」は誰にでもいえると思います、でも「とったメモをどう管理すればいいのか」そこまで言及しているケースってないと思います。なぜなら、メモを取りましょうとアドバイスする人は、本当にメモが必要で仕方がない状況を経験していないからだと思います。

「そんなことは無い。仕事でも日常生活でもメモを活用しているぞ!」

そう思うかもしれませんが、記憶障害ですべてを忘れてしまう状況下ではどうですかね?

「目の前のものを目の前で隠されると、何もかもが分からなくなってしまう。」そのような経験をしてみるとわかります。記憶障害とはそういうものですよ。

それほどに記憶力が酷い状態である私は訴えたい。

「メモを取りましょう。と簡単に言わないで!」

分かります。メモは必要なんですよ。絶対に。でも「メモを取りましょう」という言葉を受けた当事者がどうなるかが…。

メモを取りましょうと言われてそのまま実践すれば、当事者は必ず壁にぶち当足ると思います。そこまで理解してほしい。

壁にぶつかった時どうすればいいのか、壁にぶつからないためにはどうすればいいのか。そこまで配慮が必要だと思います。

「メモをとって活用する」簡単なように思えますが、この行為は高度な脳機能が正常に機能してのものです。

高次脳機能障害はその脳機能のバランスが崩れている状態です。だから難しい。出来ない。

「このくらいできて当然だよね?なぜできないの?」

はたから見ると、こうなるわけなんですよ。そして苦しむのは障害を持つ当事者です。こんなことを繰り返せば心が折れます。何もしたくなくなります。何もできなくなります。

「だからと言って、甘い事ばかり言っていたら生きていけないしょ!」

そうなるかもしれませんが、出来ないものはできないのです。甘えでも何でもないです。当事者は苦しみぬいています。そういう障害なんですよ。そこをわかってほしい。

高次脳機能障害は一人一人状況がバラバラ。みんな違う理由で困っています。「こんな簡単なこともできないのか!」と、自問自答の毎日。火に焼かれる思いをしています。悔しいです。その場で思いつくようなアドバイスはすべて試しています。

その当事者に向けて「甘えている」というのは「無知による冷酷さ」といえるでしょう。

無知による冷酷さは「差別と偏見」を生みます。本来当事者が享受できる福祉を受ける権利を奪いとります。

なぜなら、障害を持つ当事者が直面している困り事や必要としている支援の性質を誤解したり、見過ごしたりする可能性が出てくるからです。

「少数派の困り事なんて自分達には関係が無いでしょ?」

そう考える人も中に入るかもしれません。それは社会的分断を深めます。ますます障害を持つ当事者を孤立化させます。社会的な資源の損失に繋がります。障害があってもできることは沢山あります。

少数派の排除は、マイノリティーグループへの差別にもつながると思います。また年齢、性別、民族性…なんでもありです。最終的には国際的に叩かれることになるでしょう。そんな未来は嫌すぎます。

「メモを取りましょう」から話が広がりましたが、「メモを取りましょう」の言葉の意味を知る所から障害への理解を深めると、誰もが幸せになれる世界に近づけるかもしれないかな?と思いました。

まとめ:メモ取りと高次脳機能障害への理解

この記事では、高次脳機能障害を持つ私たちが直面する、日常的なメモ取りの挑戦に焦点を当てました。メモは情報を整理し、忘れ物を防ぐための重要なツールですが、高次脳機能障害者にとっては、その活用が一筋縄ではいかないことが多いのです。

私たちが直面する主な困難には、情報の記憶、注意の維持、そしてメモした情報の適切な活用が含まれます。これらの課題に対処するため、私は個人的な工夫として、PC、付箋、裏紙などを駆使し、情報管理の方法を編み出してきました。しかし、最も大切なのは、メモを取る行為自体への理解と、それをどう管理し活用するかについての継続的な学びと実践です。

社会全体としては、高次脳機能障害者が直面する困難への理解を深め、適切な支援や配慮を提供することが重要です。私たちの経験は一人ひとり異なり、一概には言えませんが、共感と理解のもとにサポートを受けることで、私たちも社会の一員としてより良く機能することができます。

メモ取りは高次脳機能障害者にとって、日々の生活における大きな課題の一つです。支援や理解がある環境でも、その困難さは軽減されることはあっても完全には解消されません。

しかし、この挑戦を通じて、私たちは自己理解を深め、日々の工夫を積み重ねることができます。

大切なのは、この困難を一人で抱え込まず、周囲の理解と支援を求め、可能な限り自分に合った方法で対処していくことです。

この記事が、高次脳機能障害についての理解を深め、日々の生活の中で直面する様々な課題への意識を高めるきっかけになれば幸いです。