私はインフルエンザ脳症の経験者です。危険な病気ですが何とか病院を退院出来ました。でも重い後遺症が残りました。高次脳機能障害という脳の障害です。あれからもうすぐ3年が過ぎようとしています。
今日はたまたま見つけた「新小岩わんぱくクリニック」のインフルエンザワクチンの記事を元に、インフルエンザが重症化するとどうなるの?について書きたいと思います。
「インフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザに罹ったことがある。だからワクチンを接種する意味がない」
このように考える人っているようです。毎年どこかしらで見かけます。確かに「ワクチンを接種しても感染するなら予防の意味がないじゃない?」と考える人がいるのは当然かもしれませんね。インフルエンザに罹りたくないから予防注射を打つ気持ちでいる人がほとんどだと思います。
でもインフルエンザワクチンの役割って実際はちょっと違うようなんですよ。もちろんかかりにくくする役割もあるようですが、大切なのは「発症しても重症化させない点」です。もうね、こっちのほうが超大事だから。インフルエンザに罹って重症化させてしまった私が言うのだから間違いなし!
インフルエンザと聞くと、子供がかかる風邪の親分みたいな印象を持つ人がいるかもしれません。毎年やってくる冬の風物詩のようで慣れっこになっているからそう感じるのかもしれません。
でも実際はインフルエンザはとても恐ろしい病気です。かかると死にます。死ななくてもとんでもない後遺症が残ります。どのような後遺症なのかというと
「まともに社会復帰ができなくなります。」
え?なにそれ?大げさな?って思うかもしれませんが現実です。インフルエンザは恐ろしい流行り病です。
病院の解説する記事にはこのようなことが書いてあります。
しかし、インフルエンザ脳症になると、そのうち30%が命を落とし、運良く命は助かったとしても、25%は後遺症を残します(寝たきりなど)。インフルエンザ脳症の進行は早く、多くの場合、熱が出てから数時間で、意味不明な言動・急速に進行する意識障害・けいれんなどが出現しますが、そのときには既に「脳症」という状態になってしまっています。つまり、熱が出てから対処しても(症状が出てから薬を飲んだり、点滴をしたりしても)、もう間に合わないということです。https://shinkoiwa-wanpaku.towakai.com/blog?date=2017-09-25
↑もうね。これはそっくりそのまま「その通り!」としか言いようのない経験をしました。
残りました。脳に障害。記憶障害です。脳機能がやられると真っ先に記憶力がやられるそうです。(どこかで聞いたことがあるレベルの情報です)
最近はましになってきましたが、受傷後1年は新しい事を殆ど覚えられなくなっていました。季節や時間の概念すらないんですよ。時間が過ぎ去ったことすら覚えていられないのです。
発症した当日にめっちゃしましたね。朝起きた直後からですね。記憶力がゼロなんですよ。
そうなると、同じことを繰り返し行動するんです。「電話しなくちゃ!」と思うでしょ?するとね電話をするのだけれど、電話を切った途端にたった今電話したことを忘れるんですよ。凄いですよね。
さらにはすでに覚えていたことも忘れていましたよ。
例えば子供の年齢。住んでいる家の住所。思い出せませんでした。自分の記憶が20年ほど巻き戻ったようになっていました。だから思い出せる記憶が20年前の情報なんですよ。住所も電話番号も滅茶苦茶です。過去のものですから。
「記憶力が無くなる」どころか「ここ数十年の記憶が消えている」状態でした。
これは不幸中の幸いだったと思います。私はずっとおとなしくしていました。救急搬送から退院まで。気が狂ったようになったのは退院後といえるかもしれません。
もともと、おとなしく素直に人の言うことを聞く性格。さらに異常事態では行動よりも先に、冷静に状況を把握しようとする性格のようです。だから、自分が今どうなっているのかを、黙って従いながら観察していたと思います。
脳症が出た部分が記憶を司る海馬だった影響もあるかもしれません。感情を司る部分だったらどうなっていたかわかりませんね。
それでも救急搬送中は手足をベルトで固定されていました。私が暴れないようにするためですね。今思うとぞっとします。本当に怖いです。
病院に到着して、手足の拘束をはずされると一人で救急車を降りて病院内を普通に歩いていたそうです。覚えていません。ちなみに「何でもないのにすぐに救急車を呼んで!」と、他の患者さんに文句を言われていたそうです。
そんなこと言われてもねぇ…
私は意識障害はありました。なにせ脳が腫れ上がっている状況ですから。でも歩いたり話したり、着替えたり、トイレに行って用を足したり…と普通に出来ていたようです。でも覚えていません。きっと脳が行動を覚えていたのでしょうねぇ。
で、即緊急入院。絶対安静で隔離が必要(他の入院患者にインフルエンザをうつしてしまう恐れあり)だったので個室に運ばれました。
個室では心電図のモニターが鎖骨のあたりにつけられました。(退院時にセンサーが付いていました)そして昼夜休まずにステロイド剤の点滴です。ステロイドパルスと言います。大変な副作用の危険性があるのですが命には代えられないので実施されました。
後から聞いた話ですが医師は「ケイレンの発作が起こるのを恐れていた」そうです。入院後2週間はひと時も絶対に目が離せない予断を許さない状況。だったそうです。
私は自分がそんなに重篤な状況にある事を知らずに過ごしていました。
個室のドア夜は閉じられますが、昼間は開いているんですよね。廊下を人が通ると声が聞こえたりします。その様子を寝ながら聞いて「点滴は嫌だけれど、なんとなくさわやかな雰囲気だなぁ。」なんて感じていました。
病院の雰囲気って独特です。何も刺激が無いんですよね。時々廊下を歩く人の足音…というか何かを運ぶ音かな?お昼とか夕飯とか。音もそれぐらいなんですよね。ひたすら静か。静かなんです。何もない刺激のない空間ってイメージかなぁ。
その空間の中で、ぼんやりと点滴のしずくを眺めるか寝ている毎日でした。検査以外の時はほとんど寝ていました。とにかく眠かったですね。眼を開けていられる体力すら無くなっていたのかもしれません。
入院中2週間~3週間の危険な時期は実情と心情がかけ離れていましたね。まぁ注意力も記憶力もゼロになっていましたから。ただただひたすら眠い。だからおとなしく寝る。そんな状況でした。私は自分の状況を知らずに気持ち的にはまったりしていましたが、妻はこの機関で体重ががた減りしたそうです。
-10Kgだったかな?-20Kgだったかな?すごいやせ細っていました…。
おかげさまで一番恐れていたけいれん発作は起こりませんでした。不幸中の幸いです。
大学病院の医師から伝えられました。「大人がインフルエンザでここまで重症化するのは珍しい」と。
10万人に一人の確率だそうです。高度な大学病院がすぐ近くにあったから対応できたような感じでしたね。ホント、命が危なかったです。
私はこの年は、インフルエンザワクチンを接種していなかったんですよね。それで重症化してしまったようです。もしワクチンを接種していればこのような大ごとにはならなかったでしょう。悔やんでも悔やみきれません。
私は高次脳機能障害者となり病院を退院しました。退院したといっても「命に係わる状態ではなくなった」だけなんですよね。まだまだ入院は必要なのです。脳に障害がある状態で、自宅ではまともに暮らせないのです。「要見守り」の診断です。
だから間髪入れずに千葉リハビリセンターの方へ転院する予定でした。でも千葉リハのベッドは満床。リハビリすらすぐには受けられません。もっと遠くの房総半島の南側の病院なども候補に合ったようですが、遠すぎてどうしようもないので自宅待機となったのでした。
もともと慎重なうえにルールを守る性格なので自宅での妻との約束事は厳守しました。
私がしていたのは、高次脳機能バランサーとナンプレで脳を鍛えること。イオンへのお散歩。この二つでしたね。そのほかはひたすらお昼寝です。寝ても寝ても眠いのです。
易疲労の極致状態ですかねぇ。何かをするたびにものすごい勢いで疲れを感じていました。イオン店内の人、音、光はきつかったですね。脳が刺激に耐えられなくてスグに頭が痛くなりグッタリと座り込むような有様でした。
私、結構丈夫だったと思います。大きな病気などはしませんでしたし。自転車で何十キロと走るのがお散歩みたいなものでした。
それがインフルエンザに罹った。重症化した。脳症になった。
その結果が今の自分です。かなりしんどい毎日を送ってきました。
大好きな運転を再開するまでに丸2年かかりました。運転すると数百メートル走っただけでグッタリ疲れ果てる状態でしたからね。そもそも病院から警察署に連絡がいくから運転免許停止ですしね。
運転を再開できたとしても、始めからまともに運転できませんでした。やっぱり疲れ果ててしまうからです。神経疲労ってきついです。
運転再開から1年が過ぎるあたりからは、脳も慣れて普通に運転できるようになったのは助かりました。
インフルエンザワクチンを接種すると私のような酷い目に合う確率がガクンと減ります。
アレルギーなどの事情が無い限りは絶対に接種したほうが良いですよ。毎年やってくるからって油断して舐めているととんでもない不幸になりますよ。
上記のようにに考えると良いですね。そうすれば自分の命が助かりますよ。一生寝たきりなんて嫌でしょう?