高次脳機能障害と意欲の低下|寝ているだけの毎日から回復していく流れ

高次脳機能障害と意欲の低下|寝ているだけの毎日から回復していく流れ

高次脳機能障害になると活動意欲が低下します。
今では「働き過ぎで体を壊してしまうよ!」と職場の人にまで心配される私ですが、活動意欲が著しく低下した時期がありました。
全く何もする気が無くなっていました。余りの意欲の無さに妻も心配したと思います。が、本当にやる気が起きないのです。不思議です。
一体どのような感じになるのでしょうか?そしていつ活動の意欲が戻ったのでしょうか?
私の体験を振り返ってみたいと思います。大まかになら思い出せますから。

高次脳機能障害で意欲が低下。どんな感じになった

私はインフルエンザ脳症で入院したのですが、退院したのが2月中頃です。その後1か月間は何もせずに過ごしたと思います。
日中、主にしていたことは「昼寝」です。特に最初の2週間(2月中頃~3月初め頃)1日のほとんどをこたつで寝て過ごしていました。夜もずーーーーと眠っていました。起きていられる時間は非常に短かったです。
この頃の妻は主婦でした。パート先を探していたようですが、私を一人にできない状態なので本格的な活動はできずにいたそうです。
なにせ退院していると言っても「要見守り」状態でしたから。認知症の老人がいきなり自宅にやってきたようなものです。危なっかしくて一人家においておけません。
私は一人では食事の用意もできません。ガスコンロを使うのは禁止されていました。火を使っているのを忘れてしまうからです。
だから自宅では何もせずに、ずーっとぼんやり。こたつでごろごろしているだけ。活動してもあっという間に疲れ果てて寝てばかり。
知らない人が見たら「究極にだらけ切っている大人」状態です。仕事も家事も子供の面倒も、何もしようとしないのですから。
この頃の私は何を考えていたのかと言うと「疲れた。眠い。」です。こればかり。ひたすら眠い。何をしても眠い。だから寝てばかりです。
起きているときは「高次脳機能バランサー」というPCのアプリをしていました。このアプリは現在の高次脳機能の状態を調べる問題が次々と出てきます。
そうそう。本も少し読めるようになっていました。ちなみに入院中は本をまったく読めませんでした。強烈なめまいに襲われてしまうため、文字や絵を見ることができなかったのです。
まぁ本を読めるようになったと言っても、ページをめくると内容を忘れてしまうのですが…。だから1冊の本を何度も何度も繰り返し読み返していました。
仕事はほったらかしでした。完全に中断状態。お客さんが待っている状況です。仕事を再開する意欲が湧きませんでした。
「そんな、だらけていてどうするんだ!」ってなりそうですが、私は仕事に関してはこれで良かったと思います。まもなく再開するのですが、それはもう地獄を見ましたから。
正直な話、システム開発の仕事はこの機会にやめたほうが良かったのかもしれません。大学病院で主治医に「高次脳機能障害者がやる仕事ではない。」と言われていたそうですが、実際そうだと思います。
病前に行っていた仕事を再開するために、想像を絶するような無理・無茶をしました。常軌を逸した状態で仕事を再開しました。本気で命がけ状態になっていました。 
「これ以上やったらまた倒れるからやめて」と家族に泣きながら止められているのに、それでも仕事を止められない。気が狂った状態になって仕事をし続けていました。なかなかない経験だと思います。
高次脳機能障害ゆえの過集中。抑制力の低下。感情爆発。この辺りが作用したのだと思います。そもそも記憶障害で数分も記憶が持たない状態で仕事を再開ですから無理があるのです。それを気合…というか障害でスキルを失った自分への怒りを武器に立ち向かっていく状況でした。

高次脳機能障害が酷い状態で仕事を再開するとこうなる

【焦り、怒り、悲しみ】
記憶障害と注意障害があるゆえに遂行機能障害な私の心を支配したのはこの三つの感情だったと思います。
本来なら簡単にできる仕事のはずなんですよね。それができないんですよ。出来ないと仕事になりません。お金が稼げません。
病気で一時的に仕事が出来なくなったのなら回復を待てばいい。でも自分は障害者になったわけです。「今できないと一生できない」こんな極端な考えに支配されました。
だから何が何でも石にかじりついてでも仕事を成功させなければなりません。【焦り】が私を支配しました。
でも幾ら焦っても無理なんです。メモを取っている大学ノートのページをめくる。そして新たにメモを書き込む…この作業をしている間に前ページでメモをしたことを忘れてしまいます。だから同じ内容のメモを次のページにも書いてしまう。
無意識です。無意識のうちに同じような内容のメモを量産です。ページ間だけではありません。複数の大学ノートに同じ内容のメモを書き散らかしました。
結果どうなるでしょうか?
「…どれが本当のメモなのかが分からない」
こうなってしまうのです。怒りです。怒りしか湧きません。あんなに苦労して書いたのに!何が何だか分からなくなっているのです。
仕事なので締め切りがあります。でもメモすらまともに管理できない状態です。仕事に着手なんてできるはずがありません。
時間だけが過ぎていきます。焦ります。焦りまくります。「ハァハァ…」と過呼吸が始まります。脳が酸欠になっているのです。こうなるともう止められない。誰にも止められなくなるのです。自滅するまで同じ事をぐるぐると繰り返すだけになります。
でも状況は1mmも改善しない。
【焦りと、怒り。そして進まないからますます焦る。ますます怒る。】
そこ時の私の顔は別人だったそうです。妻が後日、語ってくれました。

「自分には価値が無い」最後に襲ってくるのは怒りと悲しみの感情

「うああああああああああ!」
おもいっきり叫びまくりました。根を詰めすぎて限界を超えてしまったのです。パニックを起こしました。命に係わる危険がありました。
私はひたすら自分で自分を責め立てました。
「できない!できない!できない!あああああああああ!」
怒り、怒り、怒り…怒りを撒き散らかすと、最後に襲ってきたのは悲しさでした。
「もうだめだ…でも止めたくない…」
ぼろぼろ涙をこぼしたと思います。
仕事の再開でこんなに苦しんでいるのに、それでも仕事を再開しようとしていたのです。
たぶんこの日からでしょう。毎朝仕事でPCの前に座るたびに吐き気に襲われるようになったのは。
大切な仕事道具であるPCが恐怖の対象となったのでした。

高次脳機能障害の意欲の低下はどこまでなのか?

高次脳機能障害になると意欲が低下すると聞いています。確かに私もはじめの頃は何もしたくなくなりました。
でも、区切りをつけて仕事を再開しました。その時は地獄を見ました。主治医から止められていた仕事に真正面からぶつかっていったわけですから。
自分は壊れそうになりました。いや、壊れてしまったのかな…?よくわかりません。
人生で最大級に精神的に危険だった時期でした。でもそこを乗り切れたんですよね。
どうやって乗り切ったのでしょうか?
「自分の気のすむまでやった」からなんじゃないかな?と思っています。 
仕事が出来なくなった私は滅茶苦茶叫んで怒り狂っていました。家族は止めにかかりました。でも結局止めなかったんですよ。
怒り狂う私を見た妻は泣きながら「すきにすればいい!」と言ったのです。
私はすきにやりました。気のすむまで。全く寝ないつもりで。
正常な脳なら数分で終わる仕事。全く終わりません。延々とやり続けました。このまま倒れ再起不能になっても構わないと考えていました。
そこには意欲の低下というものは全くありませんでした。
コントロールの利かないブレーキの壊れた暴走機関車が、崖に向かって全力疾走し続ける状況です。最後は破滅します。破滅に向かってひたすら暴走し続けました。

暴走する高次脳機能障害から4年どう変わった?

結局、私に意欲の低下があったのは退院して1~2か月。仕事を再開するまででした。
仕事の再開と同時に、一気にフルスロットル状態となりました。普通なら「病明けだからゆっくり慣らしていこう」となるはず。しかも障碍まで負っている状態なんです。それがいきなり、病前の健康体と同じレベルの仕事にぶつかっていきました。結果、当たって砕け散りました。
それから4年以上過ぎました。
今も、油断すると休みなく仕事をし続けてしまうようです。しかし以前のように怒り狂って仕事が止められなくなる。と言う状況にはなりません。
ですが仕事のしすぎと心配されます。誰かが言ってくれないといつまでも仕事をしてしまう。そんな状況になる時もあります。
元々の穏やかな性格は取り戻せています。だから指摘されると素直に休めます。不幸中の幸いです。
記憶障害は良くなってきているようです。また、代替手段は充実しています。そのため暴走の原因だった「途中で仕事を中断する恐怖」というものはゼロになっています。
そうなんですよね。仕事を中断できない根本の理由は「中断すると忘れてしまう恐怖」だったんですよね…。
この根本的な問題を、自分が導き出した工夫で対応できるようになったのは非常に大きいと思います。
千葉リハ風に言えば、「代替手段を用いて障害を自力でカバーできるようになった」ですかねぇ?
こうなってくると「高次脳機能障害は克服した」と言えるのかもしれませんね。代替手段がつかえれば常人と同じかそれ以上に仕事ができるわけですから。(慢心)

障害はある。あるけれど困らない状況を作り出そう

「高次脳機能障害は日常生活がリハビリ」
このように千葉リハから言われました。ゴールは「日常生活で困らなくなること」だと思います。
ゴールにたどり着くためにはどうすればいいか?
それは
「日常生活で困らなくなる工夫を自分で見つけ出して自分で活用する。人の手は借りない。」
なのかな?と思います。
千葉リハの作業療法では「メモリーノート」と言うものを教えてもらいました。アドバイスを受けて用意しました。でも今は使ってはいません。
なぜならメモリーノートよりも効率的で使い勝手の良い自分なりのやり方を見つけ出して実践しているからです。
作業療法の目的は「メモリーノートの使い方を学ぶこと」ではないはず。
私的には作業療法は「自分なりのやり方を見つけ出して実践するヒント探し」だと思います。そう。すでに自分で工夫しているわけです。(千葉リハ視点では「障害の度合いの変化の確認」みたいですけど)
思えば、急性期の入院時に毎日記録を取り続けていました。これもまた退院後に行う高度なリハビリ(しかも最終時期)の一つだそうです。救急搬送された当日に自発的に始めていました。
そのような「先手先手を打って行動する」を繰り返してきたのが、今の私の回復につながっているのではないかな?なんて考えたりもしています。
退院後に疲れ果てて寝てばかりいた毎日。あの時も大学ノートに記録を取り続けていました。そのおかげで自分の記憶障害の状況を実感できました。自分で自分の障害が恐ろしいと感じるきっかけになりました。障害の自覚を強烈に促してくれましたよ。

寝ている毎日からの素早い社会復帰

「また慢心して!」と指摘されそうですが、私的には障害の回復度合いが早い方なんじゃないかなぁ?なんて考えています。他の人の事例を知らないんですけれどね。
でも、高次脳の人がやる仕事じゃないですよ。PCのシステム開発するのって。お客さんのフォローをしたり、アドバイスをしたり。そういうこともしています。
本来なら脳に障害がある人には無理なはず。でも出来ています。工夫で。
だから仕事に関しては普通にやれている気がします。一時期はもうだめだと思っていましたが、もうどこに行っても通用するレベルなのではないかな?つまり障害を克服して健常者に戻れたのです。
これ、たぶん私以外の高次脳な方々にも同じことが言えたりしないのかな?なんて考えたりします。

障害を完璧に克服できた?いいえ。条件があります。

やはり以前から千葉リハで診察されている通りです。
慢心するとダメ。疲れているとダメ。注意力が落ちます。やっぱり記憶障害が顔をのぞかせますね。それは仕事ではなくて日常生活起こります。
ここなんですね。今の私の弱点は。弱点と言うか障害なんですけれど。
なんなのでしょうね?自分で自分の障害の状況が良くわからないです。いや、分からないから障害なんですよね。分かる時が来たら…その時は障害を克服した瞬間なんですよね。
そういう流れで考えると、私はまだ高次脳機能障害の真っ最中。自覚すべきポイントが沢山あって攻略中と言ったところでしょうか。
でも確実に良い方向に進んでいるのは実感できています。最初はこのブログだって書けませんでしたしね。
障害に完全勝利する日を目指して頑張ります。活動しまくります!でも無理をせずそこそこに。私はすぐに無理をしてしまいます。自覚はありますがわかっていても止められません。自虐的な性格なのかもしれません。
失敗は多いです。
でも失敗を恐れて立ち止まったら回復が遅くなります。私は私の回復力を信じます。必ず障害を克服します。そのためには無理せずに活動です!
高次脳機能障害があっても工夫を重ねれば健常者と遜色なく仕事ができる可能性があるのです。それを私は身をもって証明してみせますよ!