インフルエンザ脳症になり障碍者となってから1年が過ぎました。
今は運転再開に向けて行動しています。免許センターへ必要な書類を送り終わり、回答待ちといったところです。残すは免許センターでの適性検査!
そんな状況の中、この1年を振り返りながらブログを書き始めているのですが、興味深い資料を発見しました。
千葉リハで作成してもらった公安委員会提出用の診断書のコピーです。インフルエンザ発症初期時の状況が記入してありました。
この時期の記憶は非常にあいまいで、発病から入院までの経過が分からず自分自身がすっきりしない状況でした。
そこで自分の記憶の整理のために。また、どんな感じでインフルエンザ脳症の初期の病状が変わっていくのか、自分のためにも記事にまとめてみたいと思います。
仕事で神奈川県のとある企業へ。新しく導入する業務自動化システムのプレゼンです。常に色々な仕事にチャレンジをして、希望に燃えているような毎日でした。
喉の痛みと咳の症状あり。「前日出かけたとき寒かったし。風邪をひいたかな?」思っていました。
そこでかかりつけの病院へ風邪薬をもらいに行きました。すぐに終わるかな?と考えていましたが大混雑していました。
熱は無かったのでインフルエンザの検査はなし。
いつもの抗生剤と胃の薬を処方してもらいます。その後は寝ていました。
咳が悪化し発熱。前日とは違う休日当番医へ。大混雑で数時間待たされた挙句、最後の最後に診察を受けます。
インフルエンザの検査を受けると陽性反応。ゾフルーザをすぐに飲まされました。
その後タクシーを呼んで帰宅。タクシーを待っているときの、建物入り口の中から見る外の景色がとてもキレイでした。障碍者になる前に最後に見た景色です。ここまでは憶えています。
私の記憶が全くない日です。診断書によると…。
とのことです。この日は一日寝ていたようです。
この日は仕事で出かける日でした。それをはっきり覚えていました。でも風邪の症状があります。熱は37.5度程度。仕事を休むと自分で判断しました。
そこで仕事の約束相手に電話連絡します。ところが…。
このときすでに脳が炎症を起こして腫れ上がっている状態です。脳の中で短期的な記憶を司る部分である海馬に傷が付いていたのです。
そのため記憶が定着せず、数十秒ごとに同じ内容の電話を何度も繰り返したそうです。
あまりの異常さに、不審に感じた相手から妻に緊急連絡。妻が私の様子を見てすぐに救急車を要請。大学病院へ救急搬送。即入院。
大学病院にてインフルエンザ脳症と診断されました。
https://hiroxy.net/infuruenza_nyuin/post-1100.html
この日退院しました。
注意、同時処理低下、記憶、易疲労の後遺症が残りました。精神障害者手帳3級となりました。
ここから回復に向けて長い1年が始まります。2018年12月までの元気に仕事をしていた私の姿はどこにもありませんでした。
私は基本的に自宅で仕事をしています。移動は自動車です。電車にはめったに乗りません。その私がたまたま客先に出かけた1月11日に電車内でインフルエンザに感染したのだと考えています。
感染からの経緯をまとめるとこうなります。
異常行動はインフルエンザウイルスに自分の免疫が過剰に反応してしまい、脳を傷つけたのが原因だと診断されています。
よくインフルエンザの異常行動は薬が原因で…と言われますが、私の場合は自分の免疫反応が異常行動の原因でした。
ちなみに有名なタミフルは飲んでいません。だからもしかするとタミフルと異常行動の因果関係も実は…?なんて考えましたが医療関係者ではないのでわかりません。