インフルエンザでサイトカインストームを起こし1か月間入院をしていました。去年の1月の出来事です。
入院中は退院すれば当たり前のように中断していた仕事を続けようと考えていました。仕事を続けられるのが当たり前という感覚でした。自分を1mmも疑っていませんでした。
でも、なぜかできないのです。仕事が出来ない理由が全く分かりませんでした。
なぜ仕事ができなくなったのでしょうか?体は普通に動かせるのにですよ?
後日理解しました。私は障害者になっていたのです。高次脳機能障害なんて言葉は退院後に知りました。
今日の記事はインフルエンザによるサイトカインストームで脳に障害を受けた直後の私の記録です。
高次脳機能障害は見えない障害と言われています。
外見は普通の人。体は健康に見えます。でも外から見えない部分が壊れてしまっています。だから人からは理解されにくいです。さぼり癖のある人や変な人に見えるでしょう。
現実は違います。本人は全力で戦っている真っ最中です。病気を乗り越えて退院したのだから、今まで通りの生活を送りたいです。周囲の人に「あいつは仕事ができなくなってしまった」なんて思われたくないですから。
私は元々負けず嫌いな性格。その性格が災いしたうえに、障碍で抑えが効かなくなっていました。これ以上無理をすると壊れる寸前のところまで行きました。完全に意地とプライドと恐怖心の虜になっていました。
あれから1年と4か月。時間をかけてゆっくりと悟りました。一度に元の自分に戻ることはできないのだと。
でも工夫と努力で乗り切れそうな点があることもわかりました。
今、コロナで障碍者になってしまい苦しんでいる人がいたら強く伝えたいです。
最初から一気に元の世界に戻ろうとしないほうがいいです。
障害を克服して元の世界に戻るためには、【目標を立てて、無理をせずゆっくりと時間をかけて階段を上っていく】しかありません。
周りから「100%の自分には戻れないから障害なんだ」なんて言われると焦りますが、自分自身が満足できる位置までは回復できそうです。
希望を捨てない。慌てない。焦らない。
それが今現在の自分の障害を振り返っての実感です。
私の障害はどれほどのものだったのでしょうか?目安としてノートに記録していたエピソードを紹介します。
発症した当日の朝です。朝起きたらだるい。熱はありました。
仕事の約束をしていたので、仕事仲間に「きょうは休む」と電話をしました。何度も。何度も繰り返し。
電話をかけた記憶が電話を切った直後に消えていました。
「連絡をしなくては」という意識だけが私を行動させていました。
そしてまた。何度も。同じ電話を繰り返しかけました。
救急搬送されたときは自分の足で歩いていました。ストレッチャーで大げさに運ばれるような状態ではなかったそうです。
病院につくとすぐに膨大な数の検査を受けました。腰の脊髄から髄液を抜き取るといった、怖そうな髄液検査もしたそうですが覚えていません。
救急車には妻と子供が一緒に乗ってきました。
私は意識はあります。だから子供の姿を見て「あれ?学校はどうしたの?休み?」って不思議がって聞いたそうです。
救急車で一緒に病院に来たこともすっかり忘れています。ついさっきの事なのに。
それどころか「休み?」という質問をしたことをすぐに忘れてしまい、またすぐに「あれ?学校はどうしたの?休み?」と不思議がって聞いたそうです。
何度も、何度も…ついには子供が泣き出してしまったそうです。
そりゃそうですよね。親の脳が壊れて異常な行動をしているのを目の当たりにしたのですから。
東邦大学病院に入院したのですが、なぜか20年近く前に入院した同じ系列の違う市にある病院に入院したと勘違いをしていたそうです。
つまり自分が今現在入院している病院を答えられない状態でした。見当識障害もあったみたいですね。
私の障害は、記憶を引き出す際に誤って別の記憶を取り出す障害のようです。記憶障害にはいろいろ種類があるんですよね。
で、妻に家の住所を聞かれたのですが、学生時代に住んでいたアパートの住所を答えていました。
上京して初めて住んだアパートです。初めての一人暮らしをしたせいなのでしょうか?よっぽど印象に残っていたのかな?
次第に現在の自宅住所に変化していくのですが、番地の最後の数字だけは間違い続けていました。8なんだけれどなぜか6って答えていました。
入院中は毎日妻がお見舞いに来てくれました。
家には小学生の子供が一人。周りに頼れる人は一人もいません。だから日中だけですけれど。
本来なら付き添いで一緒に泊まった方が良いほど危険な状態だったそうです。
何が危険なのかというと…妻の姿が見えなくなって1分もすると「あれ?もう帰ったのかな?」と、認識してしまうような状態だったからだと思います。認知症状態ですね。
妻が病室に部屋に戻ってくると「あれ!?帰ったんじゃなかったの?」と私はびっくりです。
もっと驚くのは妻の方。
「トイレに行ってくるって言ったよね?」
声掛けなんてまったく意味がありませんでした。言われたことをすぐに忘れてしまうのですから。私はまたびっくりですよ。
このエピソードはしっかりとノートに書いてあります。
ちなみに「言われたことをメモする」癖はもともとあります。だからノートに克明に記録しています。
でもね。メモをした事実を忘れてしまうのです…。なんというがっかりな記憶力なのでしょうか。
記憶力の変化を確認するための心理検査を毎日行いました。1回40分ほどです。かなりしんどい。毎回頭が痛くなりグッタリします。担当の先生は同じです。
かなりガタイが大きくて頭はつるつる。特徴があります。さらに毎回検査のたびに「おーがーたーと申します」とゆっくりと大きな声で自己紹介をしてもらっていました。
つまり毎日丁寧な自己紹介を受けているわけです。
それでも名前を憶えられたのは退院直前ごろでした。髪型もモナリザのようなロングヘアー(しかも天然パーマ)だと思っていました。つるつるに磨き込んだ頭なのに…。
入院中は左手首に部屋の番号を書いたブレスレットを付けていました。紙製です。
1か月の入院です。部屋の番号なんて覚えられそうなものですよね?覚えられませんでした。
脳神経内科の病床がいっぱいだったために最初は内科病棟に入院していました。脳神経内科のベッドが空くのを待ってからお引越しをしました。その影響もあるのかもしれません。
ちなみに「407号室と506号室。両方とも足すと11になるぞ!」なんてパターンを見つけ出すと覚えられました。不思議です。
このブログでも何回か書いているエピソードです。
妻が入院の付き添いから自宅に帰るときに「持って帰るからね」と断ったにもかかわらず。
「ないない」と部屋の中を探し回りました。1時間ほど。
私は「こうしなくちゃ!」と一旦スイッチが入ると行動が止められなくなります。何が何でも成し遂げないと気が収まらない状態になっていました。
スマホも「ない!」となると「絶対に探し出さないとダメだ!」となってしまい、延々と部屋の中の同じ場所を何度も何度も繰り返し確認するのです。
はたから見ると「病気の人?頭おかしいの?」です。そうです。もろに病気の人です。頭がおかしいんです。私は同じことを繰り返す病気の人の見本状態です。屈辱ですが事実です。
妻に「スマホは持って帰るからね」と言われて「わかったよ~」と返事をした直後ににこの有様ですから。
病院なので娯楽はありません。漫画本を読むと強烈なめまいに襲われます。テレビは見れるけれど有料。だから基本的にやる事と言ったら廊下の散歩でした。
インフルエンザ警報のために食堂を利用する人は誰もいませんでした。なので誰もいない食堂にも立ち寄りました。そして壁に貼ってあるポスターや献立表を見るのが日課です。1日に何十回と見ました。
献立表には1週間分のメニューが書いてあります。でも何となく自分が食べている内容と違う気がしていました。
でもはっきりと「違う!」という確証が持てません。実際は全く違うのですが記憶と注意の障害で判断が付かない状態です。
私に用意されていたのは糖尿病用の低糖質メニューでした。だから食堂に貼られている一般の入院メニューとは内容が違います。
普通なら一目で食べているものとメニューの表記が違うことに気が付くでしょう。
でも私は「あれ?これ食べたかなぁ?食べたような気がするようなしないような…???」こんな状態でした。
気づいたのは退院1週間前ぐらいだったかな?つまり3週間気づけずにいたということです。
記憶力を数値化して評価する心理検査は毎日行いました。本来なら半年に1回しかやらない検査です。
こんな感じの内容です。1回につき40分ほどかかります。
検査内容はキットを使うため全く同じ。それを毎日繰り返しました。
普通なら覚えてしまうと思います。毎回満点になるでしょう。でも大丈夫。記憶力が全くないので何回やっても検査の内容を覚えられないのです。
図形と色の組み合わせなんて普通なら間違えようがないんですよ。でも覚えられないのです。何度繰り返しても。
そんな私の記憶力ですが点数化すると100人中100位の最下位でした。完璧にザルな記憶力です。
ちなみに今は新しい事にチャレンジして、新しい事を記憶できています。このブログでも紹介しています。やっぱり脳は回復するんですね!
入院中はテレビを普通に見ていました。でも有料なので長時間は見れません。
ちなみに脳神経内科の先生からは「テレビを見るのはお勧めだよ」っと言われていました。お墨付きです。
漫画の本も脳への刺激になって良いと勧められました。
私は大のマンガ好きでして、倒れる前は毎日読んでいたものです。
でも入院中に一度週刊少年マガジンの1ページ目を目にした瞬間、強いめまいに襲われてグッタリしてしまいました。
それ以来1年と4か月たちましたが…いまだに漫画を読んでいません。
ちなみに自宅には
この3つの漫画が待機中です。でも妻と子供しか読んでいません…不思議な感覚です。漫画を読みたいと思えなくなっているのです。
唯一読んだのは「日々コウジチュウ」という高次脳機能障害になってしまった元エリートの旦那さんの様子を書いた奥さん目線の漫画のみです。
この漫画は何度も読み返しました。高次脳機能障害になった夫のを持つ妻の視点で面白く描いています。妻の気持ちを考える際のヒントになりそうです。
記憶がダメになるなら、読み書きはどうなの?って思うかもしれませんね。
私は全く普通に読み書きができました。文字の判断もできます。それどころか昔と変わりなくパソコンの操作もできます。入院中にスマホとノートPCをつなげてネットに繋げてチャットをしたりしていましたし。
不思議ですよねぇ。記憶障害というと何もかも忘れちゃている状態を想像するのですが、過去に学んだこと、身についた知識は完全に思い出せるのです。
でも、倒れる直前の1か月間の記憶がほぼありません。あとは、倒れてから数か月間の記憶も薄いです。段々と記憶に残るようになってきているのは幸いですが…。
運動不足解消のため病棟内を毎日1時間歩いていたにもかかわらず、頭を使う作業をするとグッタリしていました。電話はかなりきつかったです。全力疾走をした直後のようにハァハァと息が切れます。後頭部が重くなります。
脳の病気の時は電話は避けたほうがいいですね。ただし相手によって疲労度が全く違うのも体験しました。私の場合は妻と子供以外との電話は全面的にきつかったです。
退院一週間前に…というか、改善の兆しが見えたから一週間後に退院が決まったのだと思います。医師が患者を診る目って鋭いなぁって強く実感しました。
その退院1週間前に起きた変化はこんなものでした。
私は狭いところが苦手です。その私があの土管のような筒の中にすっぽりと入るMRIを平気で受けていました。
「ガー!コッコッガーーーーーー!」と、ものすごい爆音。その中でもぐっすりと寝ていました。
でも退院一週間前のことです。3週間ものあいだ毎日欠かさず受けていたMRI検査がとても怖くなったのです。特に何かがあったわけではありませんよ。
「狭いところが怖い!!!」
認知が正常に戻った副作用なのだと思います。
MRI装置の筒の中に30分前後も体を固定されたままでいるなんて…ありえません!MRIの検査が怖く怖くて仕方が無くなっていました。
検査前に渡される緊急用のブザーだけが心のよりどころでした。
「コロナに感染しても匂いを感じなくなる」ってニュースでやっていますよね。
インフルエンザ脳症でも匂いを感じなくなっていました。その事に気が付いたのが入院3週間後です。
そもそも匂いを感じるまでは、匂いがしない事実に気付いていませんでした。おそるべし注意障害!
コーヒー、ラベンダー、レモングラス。この3つは妻が記憶に良いからと子袋に入れて病室に持ってきたものなんですよね。
その匂いをずーっと「くんくん」していたのです。でも全く匂いがしなかったんですよね。
で、その匂いがしない事実に気が付けないのです。何を言っているのかわけが分からないでしょ?ちなみに鼻が詰まっているわけではありませんよ。
食事の匂いも一切なしでした。
それでも気が付かないんですよね。普通だったら真っ青でしょうね。
入院から三週間後。匂いがすることに気付いたときにようやく「あ、匂いを感じていなかった!」って気が付いたわけですから。
失っていたのは嗅覚だけではありません。痛覚も失っていました。
私が救急搬送される直前に、虫歯と痛めた左手首の治療途中だったんですよね。
さらに、毎日行っていた点滴(ステロイドパルス)、髄液検査、血糖値を下げる注射、採血…。と、結構痛い思いをしているはずなんです。
でも全く痛みを感じていませんでした。注射針を刺されて「いたたたた」って感じたのが入院後二週間を過ぎてからですよ。
痛みを感じた瞬間に「今まで痛みを感じていなかったんだ!」と気が付きました。それはもう「びっくり」なんてレベルではありませんよ!それまでは何をされても全く痛くなかったのですから。ゾッとします。
その後は大変です。歯痛なんて仮のかぶせ物がきれいさっぱり取れていて、かなりつらかったですね。痛みを感じるようになってからは虫歯がある左側では飯が噛めなくなってしまいました。
しかし歯の痛みすら感じなくなっていたなんて…。脳症って恐ろしいです。
毎日顔を合わせていた二人の医師。心理の先生と、脳神経内科の先生。
入院三週間目でようやく顔と名前を覚えることが出来ました。
凄いですよねぇ…毎日お話をしているんですよね。「どうですか?」って。でも覚えられないんですよね…姿を見ると顔だけは思い出せます。いつもの先生だって。
ひどいものです。
大学病院を退院する時点では私は【要見守り】という診断でした。
心理検査の点数では「自立まであと1点」というところです。
入院当初は記憶力が100人中100位の絶望的な成績でしたが、もう少しで普通の人ぐらいになれそうだけど記憶障害者だよ。精神障碍者手帳3級だよ。ぐらいには回復していたのです。
記憶障害の本当の意味を知るのは退院してからですが、この時は「回復傾向にあってよかった」とホッとしたものです。
中には病気が進行してさらに障害が酷くなるケースもあるし、記憶力が低いままの人もいるそうです。
インフルエンザでサイトカインストームを起こした直後は、記憶力が絶望的すぎて子供が泣きだすような状況でしたが、見守り付きならなんとか自宅で生活できそうかな?という状態にまで回復することが出来ました。
そんな状態で退院しました。
本当の地獄は退院後に始まるのですが、まぁそれも乗り越えてきています。なんとか。
ちなみに発症から1年後には自動車の運転が再開できるほどまでに回復しています。すべてこちらのカテゴリにまとめています。
高次脳機能障害になってから運転再開を実現するまでにどのような手順を踏むのか、どういう状況になるのか。私の体験談です。
↓
https://hiroxy.net/koujinou_menkyo/
私のインフルエンザ脳症の入院時代をまとめるとこんな感じでしたね。
もうこのテーマの記事を何度も書きましたが。きっとまた書くと思います。初心に帰るというかそんな気持ちで。
入院時に比べたら今の状況は天国です。だって生きているし、歩けるし、運転もできるし、かつ丼も食べられますから!