インフルエンザ脳症で高次脳になった時によく聞かされた言葉。
ひどいですよねぇ。真実なのかもしれないけれど。でも、本当に強いがっかり感というか絶望感というか…
治らないと言われると、上のような言葉が私の頭の中にいっぱい広がるんですよ。
自分としては元に戻りたいわけです。嫌なんです。記憶をあっという間に忘れてしまう自分が。ちょっと声をかけられると数時間分の仕事がリセットされてしまう自分が。
だから、退院後に仕事を再開してからは、滅茶苦茶無理をしました。無理をするなって医者から言われていたのですが、無理をしました。もう抑制なんてききませんよ。命がけですから。
私は元に戻りたい。だから医者から止められていることをガンガンやってしまう。(やってはダメなんだけれど)その結果、周りは止めようとする。家族も必死で止めようとする。泣きながら止めにかかってくるんですよ。でも止められませんでした。
なにを止められなかったのかというと、病前前に行っていたシステム開発の仕事の続きです。
私システムエンジニアなんですよね。パソコンで工場で使うコンピューターシステムを作っているんです。それの仕様変更の対応の作業中に障碍者になってしまったわけでして。
病気で一か月入院をして、仕事が途中で中断していたわけだから、早く再開しなければって焦っているわけです。
さらには「元に戻りましたよ。」「またバリバリ仕事ができますよ。」って周囲にアピールする必要もあります。これって大事ですよね。
まさか「病気で仕事ができなくなりました」なんて言えるわけがありません。そんなことは絶対に周囲に悟られるわけにはいきません。意地とプライドです。
小学校6年生のころからPCに携わってきて、ずっと独学でプログラム作りを学んできて、得た仕事ですからね。私の人生そのものなんですよね。
それが「病気で出来なくなりましたなんて」絶対に認めるわけにはいかないのです。これが崩れたら本当に私の存在価値はゼロになる。そう考えていました。
実感しているのは「脳は回復する。」ということです。でもたまーに抜けていますね。
ただ、この抜けは私の核の部分には影響しません。「まぁ、そんなこともあるさ!」程度の認識です。だからそれほど気にしていません。
もともと自信過剰なタイプでした。その自信は一時期消えてなくなり、毎日泣いて暮らすような状態でしたが、今は違います。また昔の自信たっぷりの自分が帰ってきつるあります。
ただ、100%昔の状態ではないですね。つねに自分の行動を疑う目が自分の中にあります。自分で自分を監視しているような状態でしょうか。
悪い事ではないと思います。慢心して転ぶのを防止する自重機能が付いたと考えています。
脳は傷を負うと、その部分が使えなくなるそうです。でもその使えなくなった部分をよけて新しい回路ができるそうです。その回路が完成したのだと思います。完成したのはインフルエンザ脳症になってから半年後なんだと思います。明らかにその時期に自分が変化した自覚がありますから。
ただし、それまでの間のダメになった自分の記憶が残っています。その分だけ慎重になっています。慎重というか臆病さが加わった感じなのかな?
性格が変わったのだと思います。病前までの自分とはちょっと違うな。って思っています。
正直あまり好きではありませんが、まぁ、これはこれでありかなぁ・・・?とも考えているので、良しとしています。
あまり軽々とは言えないのですが、希望は最後まで捨てないほうがいいと思います。
医学的には傷ついた脳の細胞は死んでしまうそうですが、リカバリーする機能が付いています。自分の回復力を信じよう!
希望は捨てずに頑張る。でもあまり無理はしない。そこそこ頑張る。そして頑張らないように頑張ったりもする。
休憩はとても大切です。頑張ったら絶対に休憩を取りましょう。
「休憩をしているときに脳が回復するんだ」って思うぐらいの気持ちでも良いのかも。(根拠はないです。気持ちの問題です。)
無理をした方が早く脳が回復して以前と同じ能力を取り戻せそう…。なんて気がするかもしれませんがそんなことは無いようです。
私がお世話になった作業療法士さんも同じことを言っていました。確か二人の作業療法士さんに聞いたんですよね。
「休憩は大事だよ!」って。
休憩をとるのは怖いかもしれません。でも休憩してください。絶対です。それが回復への一番の近道です。
あとはお散歩!
脳に新鮮な酸素を送りましょう。これは大学病院の主治医からのアドバイスだったかしら?
よく覚えていませんが、脳は酸素を大量消費しますから。新鮮な酸素は大事です。
何かするとすぐにハァハァなりませんか?
脳は大量の酸素が必要なんです。弱っているとすぐに酸欠になります。それじゃぁダメです。脳の元気がなくなります。
脳は回復します。だから慌てない!
まずは散歩が出来るようになろう。お使いができるようなろう!
その先にあるものは、回復への希望だと思います。