妻は私が障害を負うまでは専業主婦でした。今は外で働いています。
とはいっても、すんなりと外で働けるようになったわけではありません。採用試験に落ちたとか、そういうのが理由ではありません。私が原因で外で働くことが出来なかったのです。
私を一人にしておくと危険だったわけですが、いったい何が原因だったのでしょうか?
去年の夏ごろの話です。退院してからそろそろ半年が経過していた頃でしょうか。
私は自営業。自宅に仕事部屋があります。そこでいつものように仕事をしていました。しかし、その様子を見た妻が驚きました。
「こんなに暑い中で!!!」
季節は夏。暑いです。仕事部屋の室温は30度を超えていたかもしれません。普通ならエアコンで室温調整をしますよね。私はそれができませんでした。暑い中、窓を閉め切り、エアコンもつけず、ぐったりしたながら、仕事をしていたそうです。
このままでは確実に熱中症になり倒れる直前だったのだと思います。
妻は慌ててエアコンのスイッチを入れました。水分補給をさせました。
普通の人は部屋が暑ければエアコンのスイッチを入れるでしょう。もしくは窓を開けて風を通すなりするでしょう。とにかく暑ければ涼しくなるように環境調整をします。
ところが、私はそれが出来なくなっていました。
体が動かないわけではありません。使い方が分からないわけでもありません。意固地になっているわけでもなく、我慢もしていません。暑いのなら涼しくするという子供でも浮かぶ考えにたどり着けなかったのです。
当然、暑いのはわかっていました。暑いと不快です。頭がボーっとします。やる気が起きません。健常者時代はエアコンをガンガンに利かせるタイプでしたし。涼しいのが大好きですよ。
それが…命に係わるレベルの暑さの中で、「暑い暑い」と言いつつエアコンを付けずに熱中症になりかけていたのですよ。命にかかわるような状況の中で支離滅裂な状態です。
私は暑い部屋のなかで暑い暑いと言っているだけでは済みませんでした。
さらに恐ろしい事に、私は水分補給を全くしようとしていませんでした。どんなに暑くて、どんなに汗をかいてびっしょりになっても、水分を全く摂ろうとしなかったのです。
暑いのなら水分を摂る。そんな子供でも分かる発想が湧きませんでした。
そもそものどが渇いたかどうかが分からない…?いや、のどが渇いた自覚はあったと思います。「あぁのどが渇いたなぁ…」こんな感じで。
普通なら水分補給をするでしょう。でも私は違っていました。
…上記の無限ループに陥るだけでした。困っているだけで解決できないんです。これじゃぁ妻は私から目を離せるわけがありません。大学病院の心理検査で「要見守り」判定がでていましたが、こういうことなんですね。
夏に一人にされたら、私は間違いなく熱中症になっていたはずです。そしてまた入院していたと思います。
支離滅裂なことを書いていると思います。わけが分からないと思う人もいるでしょう。もうね。自分で書いていて「馬鹿かこいつ」って思います。本当に。でもこうだったんですよ1年前の私は。
これが障害というやつなんですね。
暑いのは分かっているのに涼しくする行動がとれない。考えなくてもできるような当たり前のことが出来ない。
「遂行機能障害」と言います。記憶障害がもとで目的を忘れてしまうのも遂行機能障害と判断されるようですが、答えが分かっているのに行動に結びつかないのも遂行機能障害と判断されます。
ようはゴールにたどり着けない障害は遂行機能障害なんでしょうね。
「なぜ?」って思いますよね。普通の人なら。私も思います「なぜ?」って。でもその「なぜできないの?」が出来ないんですよ。不思議と。
答えが思い浮かばない時もあるし、答えが思い浮かんでも行動につなげられなかったりもする。本当に不思議ですよ。自分で自分が分かりません。
これじゃぁ、私を一人にして仕事になんて出れないですよね。まさに「要見守り」です。
遂行機能障害に陥る原因を見つけだして潰す。ですかねぇ…。私の実感からはそう感じています。
例えば、怒って投げ出すのも遂行機能障害でしょう。だったら怒りの原因を排除しますよね。それと同じなんでしょうね。
私の場合は「過集中」という注意障害が原因で遂行機能障害になっていました。
だから仕事はほどほどに押さえるか、室温管理もルーチンワークの中に含めてしまう。が対策になりますかね。
ルーチンワークがあると、ルーチンを守る事に集中します。
私は休憩を取るためにタイマーを活用しており、「時間が来たら絶対仕事を中断する」というルールを作りました。
そんなルールの中に「室温管理」も含めればいいのかな?って思います。
高次脳機能障害も個人の状況に応じて対策を取るとカバーできるのかもしれません。
障害って出来るはずのことが出来ないんですよね。これを忘れてはならないと思います。
でも高次脳機能障害のように一見普通だと、障害がある事を忘れられてしまうような気がします。それは自分自身に対してもです。
足が折れたら歩けないのは誰が見てもわかります。でも高次脳って見た目が普通だから勘違いさせてしまうんですよね。
だから「折れた足で歩きなさい」みたいなことを期待されてしまう。
それで折れた足で歩こうとして思いっきり失敗する。なぜ失敗するのかは理解できない。だって見えないから。
何度も失敗して失敗の理由を理解したころには挑戦する意欲を無くしている。だって怖いから。
挑戦する意欲がなくなったら…それでも障害は改善するのでしょうか?
私はずーっと失敗の連続でした。妻に何度も「障害が治った?」って確認しました。そのたびに「治ってないよ」と言われ続けてきました。
それで1年半が経過した今、車の運転をしています。千葉リハから指示された運転制限は外れました。ゴールド免許も取得しました。
救急搬送された時に医師に伝えた「また運転できるようになりたい」を実現しています。何度も失敗しながらここまで回復できました。
きっと障害を負う以前の成功体験の積み重ねが支えてくれたのだと思います。
もしこの体験が無かったら…運転再開できるまでに回復していたかどうかわかりません。