「私の障害を最も理解しているのは私ではなくて妻」高次脳を3年と4か月経験した時点での結論

「私の障害を最も理解しているのは私ではなくて妻」高次脳を3年と4か月経験した時点での結論

高次脳を三年経験した感想を一言でまとめると…。
【高次脳機能障害とは自分の気持ちを周囲に理解してもらえない。それどころか迷惑をかける存在だと認識するように、周囲から制限をかけられる障害。】
こうなりますね。ちょっとひねくれている感もありますが、日々感じていることを言葉にするとこうなるかなぁ?
自分の顔が自分ではわからないように、障害って当事者にはわからないですよね。だから当事者から見た自分の評価と、周囲からの評価って違っていて当然だと思うんです。
だからこそ
【両者の障害への理解のギャップが埋められた時が障害の克服】
なのではないかなぁ?って思うようになりました。
もっとリアルにまとめるとこうなりますね。
【身の程を知って人に迷惑をかけなくなったら、高次脳機能障害の克服とみなされる。】
身もふたもない言い方ですが、外していないのではないでしょうか?
「高次脳のリハビリは自覚がゴール」って千葉リハからよく言われていた言葉ですが、きっとこの事を指していたのでは?って現時点では考えています。

高次脳機能障害克服の条件のキモはここか?

高次脳が克服できたかどうかって当事者が決めることではないのだと思います。足が動くようになった、立てるようになった、歩けるようになった。…のように自分の目で見てわかる障害ではないですから。
ズレているんですよね。自分の認識と行動が。それが高次脳機能障害の特徴なのだと思います。
だから、障害が克服できたかどうかは「当事者の自覚からは判断できない。」のだと思います。当事者の意見は信頼性が無いんですよ。脳に障害があるからね。そういう障害なんです。残念ですが。
ということは障害克服したかどうかの判断は、当事者がどう思のかではなく、周囲がどう思うのか。なのだと思います。
当事者である私は常にこう考えていました。「もう治った。元通りだ。」
でも妻に毎回こう言われたものです。「治っていないよ。」
この問答を何度繰り返したことか。否定されるたびにがっかりしたものです。
でも、最近は全く聞かなくなりました。
なぜかというと「聞くのが怖くなった」のではなくて「聞く必要がなくなった」からなんです。
どういうことかというと「自分の状態が分かってきたから。」なんですよ。
言い換えると「自分が犯したミスに気付けるようになった。」ですかね。つまり障害を自覚するようになったのです。

障害の自覚が高次脳機能障害克服と言われる理由

高次脳って自覚が難しいですよ。
それでも私は「自覚できるようになったのではないか?」と感じています。妻が何も言ってこなくなりましたしね。あきらめた可能性はないと思います。ちょっと怖いですけれど。
自覚すると何が起こるのかというと、人に迷惑をかける確率が減ると思います。自分で行動して、自分でミスを見つけて、自分で調整していけるようになります。
逆に障害の自覚が無いと、ミスをしてもミスに気づけません。なぜかというと、それが障害だからです。
克服したといっても、障害が消えて病前のようになるわけではありません。欠落した機能は欠落したままです。
それゆえにミスは起こります。でもミスを自力で調整できるようになる。周りの手を借りなくてもやっていけるようになったわけです。それって人の手を煩わせない。迷惑をかけていない状態ですよね。
高次脳が原因の迷惑を周囲にかけなくなったら、自立した状態です。
逆に何らかの理由があって一人では物事をこなせない。助けが必要。これが高次脳的に自立していない状態なのだと思います。

自立しない限り信用はゼロ・判定をするのは妻

私は病気をして障碍者になって信用がゼロになりました。
悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。見下されている感を肌で感じてきました。
でも、仕方がなかったのかもしれません。「自立していない=赤ちゃん」同然なんですよ。だって一人じゃ何もできないわけですから。【要見守り】ってそういうことですよね。
赤ちゃんはよちよち立って歩くのを見るのも心配です。目が離せないですよね。それと同じなんですね。
私は記憶が思い起こせなくて、パニックを起こしていたし、スグに疲れてグッタリしていたし、ちょっとした音に反応して別の場所に注意を取られやすかったし、逆に命が危なくなるレベルで一つに事に集中しすぎることもあったし。
とてもじゃないけれど一人で生活はできない状態でした。それがようやく解消したのかな?って感じています。一番の目安は妻の反応です。私を一番しているのは自分ではなくて妻ですから。
最終的に妻が私を心配しなくて済むようになれば「高次脳を完全克服した」と言えるのだと思います。
すでにゴールに達したのか。まだまだなのか?その答えを知っているのは私ではなくて妻。今の結論はこんな感じですね。