高次脳になると頑固になって融通が利かなくなる?障害をわかってもらえない辛さがここにあった

高次脳になると頑固になって融通が利かなくなる?障害をわかってもらえない辛さがここにあった

「高次脳になってから融通が利かなくなったね」
高次脳になってからというもの、夫婦間の意見に相違があると、この一言を必ず言われるようになりました。
「それ、ずいぶんと酷い負け惜しみだなぁ。」って思うのですが、実際のところどうなのでしょうか?
千葉リハのOTさんなどを含めて、周りに確認してもあまり意味が無いようです。なぜかというとOTさんは【私を頑固だと判定した妻】からヒアリングするわけですし。また一般的に「高次脳=がんこ(融通が利かない)」と言われていますしね。
この先入観って本当に厄介です。とにかく意見の相違があると「高次脳だから」で結論付けられてしまいます。これって障害を負って以来ずーーーーと感じているんですよねぇ…。
同じ対話のステージに立つことが許されないんですよ。
でも、高次脳って「自覚を持つのがとても難しい障害」。だから「本当に頑固なんだけれど、まだそこに気が付いていない。」可能性もあるんですよね。そこがまた厄介。強気に出れないのです。もうね愚痴るしかないんですよ残念なことに。
というわけで今回は、自分としては頑固になったつもりはないのに、頑固扱いされていると考えている高次脳機能障害な私の「頑固って何だろう?」という意見です。

そもそも頑固ってなんだ!?

参照:goo辞書

さっそくgoogle先生にお尋ねしてみました。頑固とは「自分の態度や考えを改めようとしない事。」だそうです。
なるほど。これを見ると私も頑固の定義に当てはまります。妻の意見は正解です。なにせ、いくら言われても行動が変わらなかったりするわけですから。
でもね、ここなんですよ!
「行動が変わらない」←この原因を追究すると「私は頑固の定義に当てはまるのか?」って疑問がわくんです。高次脳になって以来ずーっともやもやしていた気持ちの核心なんですよね。

障害を持つ前の自分はどうだった?

私は人の意見を取り入れて、こねくり回して、自分の利益にするのが好きな性格でした。
良い所はどんどん取り入れて自分に生かそう!って考えるんですよ。だから人が反対意見をぶつけてきても「なるほどーそういう考えもあるんだ。なぜそう考えるのだろうか?」なんて考えたりもしました。
この考え方って高次脳になった今もあります。人から学べる部分はどんどん学ぼうと思うし、あまり自己主張もしません。人から何か主張をされると「そういう考え方もあるんだ」と受け入れます。(採用するかどうかはまた別)
自分としては、この性格は今も変わっていないと思うんですよね。

障害を持った後の自分が頑固になったと言われる理由を推測

私の障害は、「記憶障害、注意障害、遂行効能障害」この三つです。障害の下地というか原点は「記憶障害」なんですよね。記憶が正確に引き出せなくて、注意すべきものを忘れてしまったり、忘れてしまうから物事を達成できなくなる。という障害なんです。
この「記憶障害」がすごく厄介なんですよ。
記憶障害があると何が起こるのかというと「言われたことを忘れる」という現象が起こります。実際は脳に記憶が残っています。でも正確に引き出す力が落ちてしまったために、誤った記憶を参照してしまうのです。
これを日常生活に置き換えるとこうなります。
妻「イオンで卵を買ってきて。」
私「卵を買ってきました。」・・・この経験をしたとします。
そして次の日
妻「イオンで牛乳を買ってきて。」
私「卵を買ってきました。」・・・失敗。
先日に頼まれた「卵を買ってきて」が優先して記憶から引き出されるために、次の日に牛乳を頼まれたにもかかわらず、卵を買ってくる失敗を犯したことがあります。
上の例はお使いです。この程度のお使いなら笑い話で済みます。ではこれがもっと感情を揺さぶるような事例になったらどうでしょうか?例えば…
子供が宿題をやらずにゲームで遊んでばかり。
私「ゲームは宿題が終わってから!」と怒って取り上げます。この時、宿題が終わったらゲーム機を返そうと考えています。
子供は宿題を済ませてゲームを再開します。それを見た私はこう思います。
私「ゲームをするなと言っただろう!」と怒りゲームを取り上げます。
子供からすれば理不尽そのもの。約束通り宿題を済ませているのに、意味不明に怒られたわけですから。ここで見かねた妻が私を制します。
妻「宿題を終わったらゲームをしても良いって言っていたよね?」
私「あれ?そうだっけ?」
こうして私は「またやってしまったのか」と考え、子供にゲーム機を返します。
妻と子供からすれば私はとんでもない理不尽な行動をとっています。確かに宿題をせずに遊んでいた子供がきっかけです。だからといってきちんと宿題を終えたにもかかわらず、まだ怒り続けて子供にゲームを返さないのはいかがなものか?と。
はたから見たら「頑固で融通の利かないおやじ」そのものです。
ところが私としては「子供がゲームをすることには特に否定的な考えを持っているわけではなく、先にやることを済ませているのならゲームをしてもかまわない。」という考え方なんですよ。私自身子供のころからそんな生活でしたし。
それなのになぜゲームを取り上げたのかというと

  • 子供が宿題をしていない。
  • だから宿題が終わるまではゲームしてはダメ!とクギを刺した。
  • この時「ゲーム禁止」という記憶が感情のラベル付きで脳に記憶される。
  • 子供が宿題を終えてゲームを始める。
  • 私の記憶から取り出せるのは「ゲーム禁止」という情報のみ。

こんなロジックが脳内で展開されるからなのだと思います。
妻と子供からすれば「なぜそうまでしてゲームを禁止するのか。もういいのではないか?」だと思います。妻と子供の目に写る私は「へそを曲げて子供からゲームを取り上げた父親状態」なんですよね。
本来の自分的には「宿題が終わったらゲームをしても良いよ」なんですよ。でも記憶を上手に取り出せない障害者の私は「ゲームは禁止」になってしまうのです。
いかがでしょう?こうして自分で文章にまとめると「なんだこの人は?」って感じます。支離滅裂です。これが高次脳機能障害。まさに「記憶障害からくる遂行機能障害」なんですね。つらいです。

高次脳機能障害の辛さは自覚で収まるか?

私はこの記憶障害ゆえに頑固判定される状況の理由を文章にまとめられるほどに自覚しています。
自覚は高次脳機能障害では克服と同じ意味だそうです。どういうことかというと、ミスを認識して受けれて訂正ができるのです。
今回のゲームの件だったら妻から「約束したよね?」と一言言われたら「あれ?そうだんだ。」と素直に子供にゲームを返します。それで完了です。
これが本当に頑固でミスを受け入れられなかったらどうでしょう?
障害が酷かった頃の私だったらこう考えたかもしれません。
「ゲームなんかあるから子供が勉強をしないんだ!全部ゲームが悪いんだ!こんなもの壊してしまえ!」
宿題を終わらせるかどうかはもう二の次。約束も思い出せません。妻と子供から約束破りをとがめられても感情が止まりません。こんなの妻も私も子供もみんな不幸すぎます…。
この状態なら「頑固」と指摘されても仕方がないと思います。頑固そのものというか、頑固を通り越してヒステリーを起こしていますね。
でも今は状況が違います。このように頑なではありません。「約束を正確に思い出せない」のです。自分で書いていて「うわぁ酷いなぁ」って思います。でもそういう障害なんですよ。
辛いですよ。私はそのような性格ではなかったですから。今でも根本はそうですから。約束は守る性格でした。でも今は約束を思い出せないのです。とても怖いです。
「約束を破らないようにする努力はしているのか?」って思うかもしれませんね。
私は救急搬送された当日、脳が腫れ上がった状態で自発的に取り始めたメモリー。テレビ台にあふれかえった付箋の山。今も採り続けているメモ。行動記録…。
それらを見たらわかってくれると思います。記憶障害ゆえに頑固だと言われてしまう辛さが。どんなに努力しても些細なモレで崩れる辛さが。