私のブログに「入院中 寂しい」というキーワードで訪問してくれる方がいるようなので、入院中にどう過ごしていたら寂しさがまぎれたかなぁ?というのをテーマにしてみたいと思います。
入院しているときに一番寂しいのは、毎日お見舞いに来てくれていた妻が帰る時でしたね。確か面会時間は16時までだったと思うんですよ。
私が入院していた時ってインフルエンザ警報が出ていた時で「面会お断り」だったんですよね。
でも私は脳がダメになってしまい、自力で何かをすることが出来ません。手続きとか説明とか受けられないんです。30秒もたずに言われたことを忘れますからね!
だから私には特別に面会の許可が下りていました。個室だったというのもあるでしょう。
でも面会時間は16時までだったと思います。その時間になると「面会の時間はおわりだよ~。お帰りの時間だよ~」って放送があったかなあ?よく覚えていません。とりあえず時間が来たら帰っていました。
お見舞いっていいですよね。心が休まります。寂しさがまぎれます。お見舞に来たからと言ってお世話をしてもらう必要なんてないんですよね。「そこに誰かがいる」それだけで十分に心が満たされるんですよ。隣で漫画を読んでいるだけでも良いんですよ。
入院中は検査検査の毎日でしたが、妻がお見舞いに来てくれる。これだけで心が満たされていましたね。
この通り、お見舞いを精神のよりどころにしていたので、面会終了の時間が来た後に反動がものすごかったです。寂しいもなんてものじゃない。
毎日夕方は心を引き裂かれる時間でした。でもお見舞には来て欲しいのよねぇ。
今になって思ったんですよね。「どうすれば入院中に寂しい思いをせずに済んだかなぁ…」って。
ちょっとググってみたのですが、それを参考に自分の気持ちの整理をしてみることにしてみました。いつかまた入院した時の参考になりますしね。
私は1か月間入院していましたた。そう聞くと、「それだけの間入院しているのなら同じ部屋の人と仲良くなれるんじゃないの?」なんて思うかもしれませんよね。
実際、内科病棟の部屋では、結構フレンドリーな人たちが多かったようです。みなさんおしゃべりをするか、寝るか、テレビを見るかをしていたようです。ベッドのカーテンはすべてオープンになっていました。皆さん仲良くやっていましたね。
でも、私は違いました。6人部屋で唯一カーテンを閉め切っている存在でした。人とのコミュニケーションを全くしたくなかったんですよね。気を遣って疲れそうだし、ストレスのもとになりそうだし、そもそも人見知りな性格だし…でね。
だからずっと独りぼっち状態でした。これでは寂しい入院生活になるのは当たり前ですよね。でもあっという間に神経疲労を起こしてグッタリするような状態ではねぇ…他人と交流したら入院期間が伸びそうです。割と本気でそう思います。
私、脳の病気でしたが内科病棟にいました。なぜかというと、脳神経内科の病棟が満床だったからです。ベッドが空くのを待って部屋を変更しました。
脳神経内科は内科病棟とはまったく雰囲気が違っていました。全員カーテンを閉め切り。部屋の中は真っ暗。
わかります。私もオープンな内科病棟で一人だけカーテンを閉め切っていましたかね。人の存在がとてもうっとおしく感じていたのです。患者同士の交流なんてもってのほかですよ。
そんなわけで入院中に他の患者と知り合って寂しさを紛らわす。ということは一切ありませんでした。寂しい入院患者です。
妻が子供の写真を持ってきてくれたんですよね。ベッドに飾っていました。
子供は武将好き。家族で武家屋敷に見学に行ったりもしてたんですよ。家族で鎧を着て写真を撮ったりもしましたね。楽しい日々を過ごしていました。
そんな楽しい日々を撮影した写真なんですよね。妻が持ってきてくれたんですよ。
私は写真を何度も見たと思います。まだ元気で楽しかった頃の思い出。また必ず行けるようになってやる!って心に誓いましたね。
私にとって思い出の写真は、元気だった頃の空気を思い出させてくれました。
でも、どうなんだろうなぁ…寂しさは紛らわされたかなぁ?そんな気もするし、余計寂しくなったような気もする。複雑ですね。昔を懐かしく感じさせる効果はありましたね。
うーん。でもしっくりこないのも事実です。
そうか。わかった。思い出の写真が素直に喜べない理由が。
もし仮に「病気が完全に治る」という希望があるのなら、思い出の写真は希望を与えるアイテムになると思います。
逆に「病気が完全に治らない」としたらどうでしょう?楽しい思い出が辛いものに変わってしまう恐れがあるような…そんな気がします。
私の場合は「退院したらすべてが元通りになる」って勝手に考えていたんですよね。だから思い出の写真を見た時は「また必ずここに行ってやる!」ってプラスの力に変換できたと思います。
でも実際は違っていて「退院しても障害が残る」だったんですよ。元に戻らない。運転もできない。思い出の場所はもういけない。という可能性があるんですよ。
この頃は障害が残るなんて考えていませんでした。だからプラスになったのですが、障害が残る。運転はできない。って聞かされていたら…「昔の楽しかった頃の写真は、もう二度と訪れることのない世界」になったかもしれません。
それは厳しい現実を突きつけられて絶望するきっかけになるかもしれません。そう考えると「思い出の写真は安易に見せられないのではないか?」なんて考えてしまいます。
私、毎朝朝日を眺めながら自分で自分を励ましていました。
「頑張れ」「負けるな」「必ず元に戻る」
念仏のようにぶつぶつと唱えていました。悲壮感が漂いまくりだったと思います。知らない人が見たら静かに後ずさりすることでしょう。
自分で自分を励ましてましたが…それで元気が出たかなぁ?
元気がだ他というよりも、現実が辛すぎてボロボロ泣いていましたよ。
【「頑張れ頑張れ」と自分に言い聞かせながら、どうしようもない現実にボロボロ涙を流す入院患者】
どうなんでしょうコレ?
退院後も、自転車でお花見会場に行って「ここは自分の居場所ではない」とショックを受けてスゴスゴ引き返したこともあるし…。
こういう事実がある事から考えると、
「入院中の寂しさを紛らわすために、元気になる歌や言葉は毒になる。」
こういう結論になってしまうのではないかな?と。あまりにも身もふたもない主張だけれど…今考えても、あの頃の自分は辛いんですよね。明るい世界のすべてが弱り切った心と体に刃のように突き刺さるんですよ。
病気で心身が弱っている人に「楽しいもの」って劇薬なのではないかなぁ?なんて思いますね。
元々の性格も影響するのかなぁ?私は楽天的な性格ではないですし。
私の性に合っていたのがコレですね!
日記というか記録ですね。とにかく記録記録記録!入院中のすべてを大学ノートに記録していました。
1か月の入院でノート9冊分書いたかな?ボールペンは何本使い潰したかわかりません。
体裁も何も考えずにひたすらその瞬間を書き続けました。
寂しいなら寂しい。辛いなら辛い。あらゆる感情を遠慮せずにそのまま書きましたね。看護師さんの似顔絵も描きました。毎食の献立もイラストで描きました。
全てを記録しようとすると退屈な入院生活が途端に忙しくなるんですよね。本来なら入院はゆっくり静養するもの。
でも私は、手が空くとろくでもない事を考えたり、不安になったり、寂しくなったりと良くない方向に考えが向いてしまいます。だからとにかく書きまくって自分を忙しくしていました。
忙しさは寂しさを紛らわせるようです。
書いていると寂しくなくなるんですよ。さらには妻が「記録を毎晩送って!」って注文してきたから、さらに忙しい。約束の時間にまにあうように記録をまとめて、撮影して、LINEで送る。こんな作業を毎日しなければなりません。
私は脳の病気をしました。脳に障害を負いました。思った以上に行動がスローペースになっていました。自覚はありません。そしてすぐに疲れ果てて眠ってしまいます。
だから本当に忙しかったですよ。やっていることなんて健常者なら30分ぐらいで終わるような内容です。でも私は何時間もかけて実践していました。
だいぶ無理をしていたのかもしれません。でも確実に入院中の寂しさはまぎれました。
人って何かしら役割があると充実するものだと思います。存在価値を認められるって言うか。
それって脳に病気をしても本能的に求めているものなのかなぁ?なんて思いました。
目的を持つ。その目的を果たすために役割を持つ。実践する。
目的は人の役に立つものが良いベストだと思います。
この流れを発見して全力を尽くせる状況を作りだせると「入院中でも寂しくないよ」という状態になるのかなぁ?なんて思いますよ。
入院中に寂しくなるのは病気への不安もあるけれど「人の役に立っていない感」が作用しているのではないかなぁ?って思いました。私の経験と私の性格からですけれどね。
なぜ人の役に立っていないと寂しいのか?
それは「人から求められるものがなくなる」からではないでしょうかね?
「病気をすることで人に提供できる価値がなくなった。人から求められるものがなくなった。つまり、いてもいなくても良い存在になってしまった。」
長々と書きましたが、これが私の行動の原動力ですね。私の行動のすべての根底です。
結論:入院中の寂しさを紛らわすためには、当事者の根っこの感情を満たす行動がとれる環境を整えると良い。
こうなるのかな?
例えば、人の世話が好きな人が入院中に寂しがっていたら、人の世話をする役割を用意する。そうすれば心が満たされて寂しさを訴えなくなるのではないだろうか?なんて考えました。どうかなぁ?