千葉リハの厳しいチェックにより私の欠点が浮き彫りになりました。それは
これって私の昔からの性格が如実に表れています。心当たりが大ありです。
しかし、こういう性格を見抜いてしまうのって本当にすごい技術だと思います。いくつものチェック項目があって、それぞれ数値化すると傾向があぶりだされてくるのかな?なんて考えています。
この二つの欠点は高校の頃から自覚がありました。一点突破主義というか、一つのことをとことん追求するタイプだったんですよね。だから学生時代は数学が得意でしたが、それ以外はからっきしダメでした。
とにかくまんべんなく物事をこなすのは嫌。とことん一つを追究したい。そう考える極端な性格でした。
自分が障碍者になった原因はインフルエンザです。予防接種を受けていなかったんですよね。
そのためインフルエンザ脳症になりました。「自分は大丈夫だろう」っていう油断をしていました。普段は自宅で仕事をしているし、移動は車なのでインフルの人と接触することがなかったのです。
それが、たまたま客先に出向いたときに…。電車の中で感染したのだと思います。移動日の二日後の朝にインフルエンザ脳症になり人生が変わりました。慢心と油断が招いた結果です。
「お前はだらしがないから、そのうち酷い目にあうぞ。」
祖父に何度かこんなことを言われたことがあります。全く意味が理解できませんでした。
祖父は工場を経営していました。だから多くの人と渡り合った経験があります。きっと私のような性格の人も知っているのでしょう。
予言は当たりました。油断と慢心からくるだらしなさが原因で高次脳機能障害です。
私は中学生まではとても神経質で臆病。そして心配性でした。本当に怖がりで、一人では何もできないタイプ。石橋をたたきすぎて壊してしまい結局渡れない感じです。
鍵っ子だったのですが、学校に行く際はガスの元栓とこたつのコンセントを最低3回は見直して、家を出た後も心配になって戻って再確認するような性格でした。
そんな私が高校で性格ががらりと変わりました。
変わったと言うよりも、固いカラで自分を守らないと高校に行けないような状況になってしまったのです。原因はその繊細さでした。
高校に入学して早々の応援練習が怖くて登校拒否を起こしたのです。はいヘタレです。だって臆病ですし。
放課後の教室。怖い先輩方が周りを取り囲む異様な状況の中、新入生は本当に喉がつぶれてしまう大声で応援歌の練習です。
歌は全部で10曲ぐらいありました。短期間では覚えきれません。それを応援団の恐ろしい先輩方に脅されながら歌うのです。ひ弱な私はあっという間に登校拒否を起こしました。そして退学です。
あほらしいです。本当にくだらない。たかが学校行事で人生がめちゃくちゃです。
退学した私は次の年に新しい高校に入学しました。1歳年下たちが同級生。田舎の高校なのであっという間に噂になりました。上級生に呼ばれて「生意気だ」と袋にされたこともありました。
でも私には後がありません。「高校は絶対に卒業しないといけない!」石にかじりつく思いで無理やり登校しました。
このとき性格が徐々に変化していきます。自分の身を守るために心の盾が必要でした。それが慢心だったのです。
私が自分を守るために「自分は他とは違う」を証明し続けました。
私の地域の高校では留年もしくは1学年下で入学することを「ダブり」と言いました。病気が原因でダブる生徒もいますが、勉強が出来なくてダブるイメージの方が定番です。バカにするイメージの言葉として定着していました。
私は勉強が出来なかったわけではありません。それでもダブりなのでバカにされました。
こんな陰口をたたかれるのは日常茶飯事でした。
普通ならメンタルはぐちゃぐちゃになります。ダブりが卒業なんて不可能です。私はそんな状況の中で高校の3年間を過ごしたのです。
さんざん陰口をたたかれました。「生意気だ」と上級生に囲まれてぼこぼこにされたこともありました。
それでも負けませんでした。学校では成績が評価基準です。テストで良い成績を取る努力をし「お前たちとは違うんだ」という証拠を見せ付けようと努力を重ねました。
私にちょっかいを出してくる上級生に対しては逐一学校に報告。「チクリ野郎」と散々陰口を言われました。
登校拒否児童が後がないの自覚して必死な思い出高校に通おうとしているのです。それを周囲の生徒が邪魔をし続けます。なんという地獄でしょうか。
私は高校生活で性格が一気に変わりました。打たれ弱くてヘタレだった私は、戦いながら自分を強くするしかなかったのです。そのために必要な武器が自分への自信でした。次々と現れる障壁に絶対に負けないために必要だったのです。
成績は上がりました。数学ではだれにも負けない自信が付きました。元々得意な数学に集中し他の教科は捨てたのです。数学だけで大学進学を目指すまでになりました。
3年生になる頃になると立場は変わっていました。上級生もいなくなり、周りも私の成績が良いことを知っています。大学合格も決まりました。私に陰口を言う人は誰もいません。もしいたとしても、まったく気にならない状況です。
こうして私は自分に自信を持てるようになりました。打たれ弱いガラスのハートではなくなりました。
「自分はやれば何でも出来る」
地獄の高校生活を正面突破できた成功体験が私の武器になりました。それは自信につながります。
しかしその自信はやがて慢心へと変化し、障碍者になる原因となるのです。
「インフルエンザの予防接種?」
「罹ったことないし大丈夫でしょ?」