障害への偏見の目とは|無意識の中の差別感との闘い

障害への偏見の目とは|無意識の中の差別感との闘い

5年前から中途障害者として生きてきて得た教訓があります。
それは「脳に障害を持つと必ず偏見の目に晒される」ということ。
とにかく疑われます。濡れ衣をかぶせられます。なぜかというと、普段からテレビなどで障害ゆえの失敗などの情報を仕入れているから。
失敗を目の当たりにしてくれば自然に障碍者への先入観を持つようになるのも無理はありません。
さらに目で見てわかる身体障碍者と違い、高次脳機能障害は見た目では何が障害なのかが分かりません。
私のように無意識に障害をカバーしてしまうタイプの障碍者では、さらにどこに障害があるのかが見えなくなります。
人はわからない者に恐怖して拒絶します。そして「障害」という言葉の得体の知れなさ。
間違いなく不信感を抱かれてしまう。そう実感しています。
だから私は「絶対にミスは許されない。」そう考えて行動しています。
常人であれば笑って許されるミスも、障碍者である私では扱いが変わってきます。
真っ先に「余計なことをしやがって」という感情が湧くはずです。
障害を持つ人は常に周囲の無意識の中にある「攻撃的な視線」と闘い続けなければならない。そう考えるようになりました。
これは【無意識の中にある差別感】と言えるのかもしれません。

差別感を抱かれると正当に評価されなくなる

厄介なことに無意識の中にある差別感は評価する側の目を曇らせます。
正常な評価が下せなくなると考えています。経験からの実感です。
100点の結果を出してもかならず割り引かれてしまうのです。
本来なら100点の評価であるべきなのに80点しかもらえない。なんとも悔しいですよ。
理由なんて幾らでも付けられます。しかしどんなにそれっぽい理由を添えたとしても
「根本の理由はあなたが障碍者であり、それゆえに信用できないから。」に繋がります。

気づいてしまった。障害者を苦しめるのは差別の目だけではなかった

当事者を苦しめる厄介な目がもう一つあります。それは「嫉妬の目」です。
仮に障碍者が健常者以上の成果を上げたら…。健常者はどう思うでしょうか?
「障碍者の癖に」
このような感情を抱く人が出てきます。なぜなら常に障害者は健常者よりも劣っていなければならないからです。
「そんなことは無い」
と反論もあってあたりまえですが、私の中では現実です。
例えば「精神障碍者は心がきれい」という言葉を目にしたことがあります。一度ではありません。色々な人がこの言葉を用いるのを見ました。
「これほどまでに障害者を(私を)を馬鹿にした言葉はない」
私はそう捉えています。
なぜならこの言葉の根本には障害者を見下している目があるからです。ありありと読み取れます。
心がきれい=純粋さとか、ピュアである。そう言いたいのだと思います。
高次脳機能障害の私は精神障碍者の定義に含まれます。
「精神障碍者は心がきれい」だとするなら、私は心がきれいでピュアで純粋だということになります。
このような発言をした方よりも、私の方が年上だと思います。
経験値も高いです。病気をする前はきっちりと働いて稼いでいました。
日本の色々な拠点にコンピューターシステムを導入してきました。私が設計して作って設置してフォローしてきたのです。私はそこまでできます。
そんな経験を持つ年上の大の男に向かって「心がきれいでピュアですね」って言っているのです。なんという無礼な!無礼打ちしてやりたいですよ。
障害を負うことによって人から舐められる存在になってしまった。そういうわけです。
これらすべてが障害への偏見・差別ですが、この根本にある感情が「嫉妬」なのだと思います。
なぜ嫉妬なのか?
要は「障害があるのだから健常者よりも優れているのはNG」なんですよ。

  • 障害者なのだから健常者よりも劣っていなければならない
  • 障害者は健常者に守られる存在でなければならない
  • とくに精神障碍者は弱くなければならない
  • 弱い人は強い人に従順でなければならない
  • 従順な人は素直。心が誰にも汚されていない。きれいな状態

こういう思考なのではないかな?と捉えています。考えすぎですかね?
しかし「精神障碍者は心がきれい」という意味不明な意見を、自分なりに捉えるとこのようになりますね。
そもそも、このような事を考えている時点で「いかに私の心が綺麗ではないか」が読み取れるでしょう。
「精神障碍者は心がきれい」と言う言葉は「多くの当事者を馬鹿にして憤慨させる言葉」ですよ。
なぜ憤慨するのか?
それは当事者を偏見の目で見ているからです。
無意識で差別しまくっているのですよ。
そりゃもう、差別された側は烈火のごとく怒って当然だとは思いませんか?
いや、傷つきまくる人もいるかもしれませんね。
もう一度念押ししましょう。
「精神障碍者は心がきれい」
これは
「差別の言葉」
です。
もしそう思っている人がいたら。絶対に口にしないでください。当事者を傷つけまくります。
なぜならその言葉は「無意識の中の差別」だからです。