高次脳機能障害になった私は、千葉リハで作業療法、グループリハビリを受けました。
診察は今でも受けています。半年に1回のペースで。
記憶障害・注意障害、遂行機能障害のある私が診察を受けると、どの様になるのでしょうか?(どんな感じで受けるのか)
そもそも記憶がハチャメチャなのに、まともに診察を受けることは可能なのでしょうか?
私的には「いや、これ、高次脳機能障害がある人を相手に診察するのは大変でしょう」なんですよね。ほんと脳神経内科の先生は凄いと思う。
じゃぁ一体何が大変なのでしょうか。実際に自分が受けている時のお話を今回は書きたいと思います。
いきなり最大級の山場の登場かも。
障害のある本人に障害の自覚がないんですよ。自覚って本当に難しいです。私自身は自覚している認識でした。「自分は脳に障害がある」と。
でもこれは自覚ではないのです。今の自分なら言葉の意味が分かります。でも自覚していない時期の私には理解できていませんでした。だから障害の自覚がないと診断され続けていました。
自分には何も問題はない気分になっているのです。なぜかというと「そもそも問題がある事に気が付いていない。」こんな状態なわけなんですよ。
だから診察で先生に「困り事はありますか?」と聞かれても「うーん。特にないですねぇ。」と答えてしまう。本当に何もないんですよね。
嘘をついているわけではありません。そうなる答えてしまう理由はあるんですよ。
別に診察が怖いわけではないし、言葉が出てこないわけでもないのです。
診察で質問されても「パッ」と答えが出てこないんですよ。
そもそも病院までの移動に1時間30分かかります。しかも朝の通勤ラッシュに巻き込まれたりします。あっという間にグッタリなんです。エネルギーはゼロ。脳の回転が止まってしまうのです。
その状態で質問されても…なんですよね。眠いのです。ひたすらに。
でも、何とか答えようとはします。思い出そうとします。でも頭は回らない。すると焦るんですよね。「うわー何も思い出せないよう。あんなに伝えたいことがあったのに!」ってなるんです。
こうなってくると頭に思い浮かぶのは「日常生活が大変だった!本当に大変なんだ!」という感情なんですよ。それだけ。
でも「なぜ大変なのか」という具体例が何も出てこない。焦る焦る焦る。ひたすらあせる。でも焦っていることにも気が付けない。注意障害だから。これすっごい矛盾してるよねぇ…。
この状態で出てくる答えはコレでした。
「特に困り事は無いかなぁ…」
障害の自覚って本当に難しいです。自分的には常に「もう何も問題はないですよ」という認識でしたから。
実際はハチャメチャな毎日を送って周りに迷惑をかけまくり状態だったのですが。
まともに受け答えができていないんですよねこの時点で。私の言うことはすべて間違いでしたね。今思えば。
それどころか、医師が確認したい内容とは異なる部分にこだわっていた気がします。それが何かと言うのは今は出てきません。でも医師の違うことを考えていました。何だったのかな…。
基本が「自分にはもう困り事はない」でしたからね。何か気持ちが緩んでいたのか、それとも易疲労で訳が分からなくなっていたのか。そんなところだと思います。
私、伝えたいことは沢山ありました。ノートに書いていって説明していました。そしてそれに対して答えをもらっていました。
でも、その内容をあまり覚えていません。ノートに書き留められた部分は反芻できますが、書けていない診察内容はざるに水をくむように零れ落ちていきましたね。悲しすぎ。
厄介なことに記憶の錯誤(勘違い)がとても多かったので、伝えていないのに伝えたつもりになっていたりと言うのもありました。
さらに厄介なのが、受けたアドバイスを「忘れてしまった!」ではなくて「勘違いして思い出す」状況にもなりました。
これはとても厄介でした。だって自分は診察内容を思い出している積りでいるわけですから。全然違う答えを思い浮かべながら。こうなると支離滅裂になります。最悪です。
私の記憶障害の厄介な所は、正確に記憶を引き出せないところなのですが、感情に非常に強く影響されて引き出されてしまうのがさらに複雑にしてくれるんですよね。
簡単に言うと「こだわりに引っ張られやすい」のです。こだわりは「こうなったらいいな!」的な感情から生まれてくると思います。この感情がすごく厄介すぎ。
私の作話の最大原因です。これが自分が自分を信用できない最大の理由なのだと思います。
ところがその瞬間の自分にしてみれば「まったくこだわっていない。常に冷静なのになぜだろう?」って思えるのです。
つまり本人からすれば「何もこだわってはいない」でも周囲か見ると「強くこだわている」
この違いが「病識の無さ」「自覚の無さ」なのでしょう。
鏡無しでは自分で自分の顔の状態が分からないように、自分のこだわりには気が付けない。厄介な事に、こだわりは記憶を改ざんしてしまう。だから私は時々有りもしない話を、差も本当の出来事のように思い出してしまうようです。
私は病後半年を過ぎたあたりから、一人で千葉リハに行くことにしました。
でも診察にすらたどり着けない日もありました。今振り返るとこの時期の一人での外出はだいぶ無理があったと思います。自分ではもう十分安全に行ける!って考えていたのに…です。
なぜかいうと
このような理由があったからです。こうしてまとめると「いやいや無理でしょ。」ってあきれてしまいますね。よくもまぁこんな状態で…ですね。
ちなみにこの頃には疲れやすさは無くなっていました。電車に乗る程度では易疲労は出なかいようになっていました。これだけが不幸中の幸いですかね。
もし妻が私と同じような状態で「一人で千葉リハに行ってみたい」と言い始めたら…絶対に許さないと思います。私が必ず自動車で送り迎えします。だって心配で心配でたまりませんよ。へたすりゃ二度と自宅に帰ってこれません。
携帯電話は持っていたとしても「トラブルが起こった時に、電話で連絡をする。」こんな簡単な事すら出来ない可能性もあります。当たり前のことが当たり前ではなくなるのが高次脳機能障害の悲しさですね。
自分でやらかしておいてアレですが…。半年程度では一人で上手く千葉リハに行くのは無理でした。他の人でも無理だと思います。
片道電車で1時間半かかる道のりを時間厳守で往復するのはかなり高度な脳機能が必要です。元気なころは出張で日本全国を飛び回って、いたるところの会社にシステムを設定してきた私ででも【無理】でしたし。
結局どうやって一人で行けるようになったかと言うと、妻の付き添いのもとで一人で行く練習を行ったからです。
私がどうしようもなくなって助けを求めるまでは、妻は私の視界に入らないように一歩引いて行動する。もしくは一切口を開かない。間違った行動をしても何も言わない。ただ一緒に移動するだけ。
これぞ「見守り」の実例ですね。
こうして何度か一人で千葉リハに行く練習を繰り返して、やがて一人で行動できるようになったのでした。