高次脳機能障害と診断されると、人生は一変します。私の場合も例外ではありませんでした。2019年ある日突然病気になり入院し、一か月後に退院しました。
入院中は最初の頃は「今まで頑張ってきたし丁度良い骨休めになる。」なんて思うかもしれません。少なくともひたすら働き続けてきた私はそう考えていました。
退院後少し日数を置いてから仕事を再開します。
でもなぜか上手くいきません。私の場合は「作業中に作業内容を忘れてしまう」という状況に陥りました。
記憶障害です。
このままでは「戻りたかった世界に戻れなくなってしまう。」そう焦りました。
元々私は誰もがやらないようなことを、笑われながらもコツコツと積み重ねていくタイプ。障害になってもこの器質は変わらなかったようです。
「努力を重ねれば絶対に大丈夫。元通りに戻れる。」そう自分に言い聞かせ続けました。そうすることで絶望で気が狂いそうになる気持ちを落ち着かせていました。
「焦るな」と周りの人たちは言いました。
焦っているのは自覚していましたが、ダメな理由が解りませんでした。
私は指示には理由が添えられていないと、指示が理解できず納得がいかずに無視をして行動する性格のようです。
たぶんこれは高次脳機能障害の特性なのだと思います。とにかく理由が大事だとこだわるようになりました。
理由の無い指示は感情に支配されて行動する際の心のブレーキにならないのです。
そのような理由から私は口では「はい分かりました」と答えるけれど、実際は指示を無視して「絶対にクリアしてやる」と常に考えていました。いち早く元の世界に戻りたかったからです。
しかしダメでした。どんなに頑張っても空回り。一人で焦り、過集中し、パニックを起こす状態となりました。
焦りは何一つ良い結果を残しませんでした。
障害から5年が過ぎて分かりました。失った信用は取り戻せません。今まではあきらめずに精神性尽くせばきっと救われると考えていました。だから無償で働き続けました。普通では考えられない量の仕事をこなしました。精神的にも肉体的にも無理をして働きました。
その結果私が作り出すものは関係者の仕事を大いに助けたと思います。
しかし私から離れた人たちが返ってくることはありませんでした。評価は変わらずです。
「非常にしつこくやっかいな障害者」
なのだと思います。私は病気をして障害になったのにもかかわらず、身の程知らずにも「今でも仕事ができる」と信じ込み、元居た世界に戻ろうと自傷しながら気を引く厄介な人間に成り下がっているのだと思います。
「下手に刺激するとなりふり構わず何をするかわからない。だから諦めるまで距離を置き続けよう。」
このように考えているのかもしれません。
これが病気で障碍者になり信用を失った人間の現実のようです。
信用を失った私ですが、自分で自分を褒められる点もあると思います。
それは止まらなかったことです。
どういうことかというと、常に新しいチャレンジを意識し、昔出来ていた事にも挑戦し、与えられた仕事はどんな内容でも全力で対応し、酒やギャンブルなどには手を出さず、堕落した生活もせず、9時~17時は机に向かう生活を意識し続けたことです。
仕事のスキルは常に磨き続けました。いつでも最前線で戦えるように腕を磨き続けました。障害対策も思いつく限り行ってきました。新しい情報があれば飛びつきチャレンジしてきました。
「停滞はしない。いつか陽の目の当たる所に出てやる。」そう考えて、ひたすら暗い井戸の底で耐え忍んできました。
今はもう元居た世界に戻ろうとは考えていません。とりあえず生活があるので割り切って淡々とこなすだけにしています。その中で常に新しい居場所を探しつづけています。
私は出来ることが沢山あります。その証明をするツールを用意しつづけます。
私の価値を偏見なしに正当に評価できる人に出会うときは必ずやってきます。そう信じています。
私が病気をしたのは2019年1月。今日は2024年3月。障碍者生活6年と3カ月ですね。ようやく「元居た世界に戻る」の壁を乗り越えられるときがやってきたのかもしれません。
元居た世界に戻る必要はないのです。もっと自分を高められる世界へ進むのです。
障害を乗り越える旅は続きますが、私はもう元の自分に戻ろうとは思っていません。
今は新しい挑戦を受け入れ、可能性に満ちた未来に向かって一歩一歩進み始めています。
高次脳機能障害という障害を持つ私が見つけた新しい道とは何か、その答えを日々模索しています。