高次脳は周囲に理解されない|それでも負けないためにこれからする事

高次脳は周囲に理解されない|それでも負けないためにこれからする事

高次脳機能障害になって3年が過ぎたのかな?もう遠すぎて定かではありません。仮に3年としておきます。
この3年障碍者として生きてきて気づいたことの一つに「内部障害は人からは理解されないんだなぁ」というものがあります。
まぁ、自分ですらも理解できていませんでした。病識はあると認識していたはずなのですが…
自分で理解できないことが、なぜ他人に理解できるだろうか。そんな感じですね。

理解されない高次脳機能障害:易疲労

例えば高次脳の易疲労。すぐに疲れちゃってグッタリする症状ですが。自分にしてみればかなりしんどい。辛い症状です。でも知らない人から見たら、いつもだらだらしているだけですね。
「そうやって家で横になっているばかりだから体力が付かないんだ!外に出て運動しろ!」
なんて思うと思います。
…無理ですけれどね。めっちゃ実感しています。易疲労ってとんでもなく辛いんですよ。
高次脳機能の改善には健康な体作りも必要なようですが、動けないんだもん。視覚や聴覚からくる様々な情報であっという間に脳がオーバーヒートしてしまうんです。
にぎやかな所に出かけたら、あっという間にぐったりですよ!椅子にすわって休憩してばかりの外出になります。
いまでこそ毎日イオンへお買い物に出かけていますが、発症後3か月はイオンの雑踏にやられてしまって、グッタリしていました。頭がとんでもなく重くなりました。
やっぱりそういうのも「体力がないから!」って思われるのかもしれませんが、体力だけでは説明しきれませんよ。だって、私大学病院に入院中は中腰の姿勢で大学病院の廊下を歩き続けて体力づくりをしていましたから。1時間ほど歩き続けてめっちゃ筋肉痛になっていましたよ。
だから全く体力が無かったわけじゃないんですよ。完全に音と光の刺激に脳が負けてしまっていたのです。
でも、はたから見たら「体力がなくなった」なんでしょうねぇ。
脳が病気をすると易疲労になりやすいって聞いたことがあります。ということは多くの人たちが易疲労の症状にもかかわらず「体力がないから!疲れやすいんだ!」と見られているんだろうなぁ。って思いました。
確かに体力づくりは必要だそうです。でもそれだけでは説明がつかないレベルでグッタリしますよ。易疲労って!

理解されない高次脳機能障害:感情失禁

感情失禁って感情のふり幅が大きくなって自分では気持ちを抑えられなくなる障害だと思います。

  • 怒りやすい
  • 悲しみやすい
  • 笑いやすい

このような喜怒哀楽がダダモレになってしまうんですよね。私は悲しくなりやすい感情失禁がありました。
一番顕著だったのが、花見やお祭り会場のようなにぎやかで楽しい場所に出かけた時でしたね。
「自分はこんな楽しい所にいてはダメなんだ!」と苦しくなって、ボロボロ泣いていました。
もう悲しすぎですよこれ!
怒りやすいというのはちょっとあったかもしれません。が、出来なくなった自分への怒りが中心でした。だから互いするようなことは在りませんでしたけれど…。
思うのですが、電車の中で一人でぶつぶつ言いながら怒っている人ってもしかすると、感情失禁なのかなぁ?なんて考えています。実際はどうなんでしょうねぇ?

記憶障害はわかりやすい?

私の記憶障害は、これから起こる未来のことを覚えられない。というものでした。
だから過去の出来事は覚えているんですよね。ただし発症1か月前の記憶はほぼ消えていますけれど。
記憶障害は周囲からはわかりやすかったと思います。イメージ通りでしたから。
逆に当事者である私からはとんでもなくわかりにくかったです。辛い辛い。
何がつらいのかというと、事実がないんですよ。意味が分かります?
例えば、今日妻と明日お買い物に行く約束をしたとします。
で、明日になるとどうでしょう?私はすっかり忘れているのです。覚えているの妻だけ。結果どうなるのかというと「約束をすっぽかされた!」になるんですよね。
私的には全くすっぽかしている気はないんです。だから妻に「すっぽかして!」って怒られても、「何を言っているの?」って本気で思うんですよ。
今は妻も私も慣れてしまったので「そんなもんだ」てきな感覚で、程よくやっていけていますが。全く知らない人からしたら、スグに約束を反故にするろくでもない人認定ですね。
もちろん、そうならないようにメモを活用して約束を定期的に思出せるような工夫はしています。何度か反芻するときちんと記憶できるようです。それだけが幸いです。

注意障害はとてもやっかいです

わたしは注意障害もあります。注意すべきものを忘れてしまう障害です。
だから運転のようなものは平気です。何を注意すべきか身に染みていますので。違いは情報として覚えているか、体験として覚えているかだと思います。
情報を元にした注意は抜け落ちることがあります。でも体験して身についた注意は人並みのようです。
注意障害は油断をした時に現れます。記憶障害の付属物的なポジションかな?
注意することを忘れてしまう。ってやつです。
例えば、「明日朝ごはんはパンではなく飯とみそ汁だ」と前日に妻から指示を受けたとしましょう。
それでも私は次の日にパンの用意をしてしまいます。なぜかというと飯だという指示を忘れちゃうから。妻からミスを指摘されてはじめて「あ!そうだった!」って思い出すのです。
(記憶の引き出しが下手ですが脳にとどめておくことはできます)
私にとっては記憶違いです。厳密には記憶の引き出し違いなのかな?
これってある意味「注意力が低いから間違えるんだ!」なのだと思います。私の注意障害ってこのタイプです。
千葉リハの心理検査では私の障害の特徴は「遅延再生が弱点」らしいです。遅延再生とは何のことなのかわかりませんから、後で調べてブログの記事ネタにしたいと思います。
この遅延再生が障害を受けているが故の注意障害なんでしょうね。
注意障害って記憶障害よりも厄介な気がします。記憶障害は分かりやすく自覚しやすいのですが、注意障害は自覚が本当に難しい。自覚したとしても対策が打ちづらいです。だってその対策そのものを無効にしてしまうパワーがあるんですもの。

注意障害への対策が課題

私は今までは「記憶障害対策」を重点に行ってきました。
でも今までの障碍者生活を振りかえってみると、「注意障害対策」に重点を置いたほう良いような気がします。
結局同じことなのかもしれませんが、焦点を記憶から注意に切り替えることで、より効果的な対策が編み出せるのではないだろうか?と考えています。
注意力が低くてもミスが発生しない仕組み作りです。
新しい仕組みを作る。工夫をする。こういうのって私の得意な分野です。
注意障害者が作る、注意障害者のための、注意障害をフォローする仕組み。
チャレンジしてみたいと思います。そして注意障害も論理的に対応して克服したいです。