高次脳機能障害になって以来、何気に言われると傷つく言葉

高次脳機能障害になって以来、何気に言われると傷つく言葉

健常者時代には全く想像していなかった現象が、高次脳機能障害の当事者となった今、私の身に降りかかっています。
何気ない、いつもの会話の中で使われる言葉のいくつかにとげが生えたのです。そのトゲが心にチクチクと突き刺さる時があります。
障害を負うと全く同じキーワードでも心への響き方が全く違うんですよね。心が打たれ弱くなった影響なのかもしれません。
この現象って他の高次脳の方には起こっていないのかな?
もし起こっているとしたら、ここで目に見える形にする意義があるな。なんて思いました。
そんなわけで、私自身が高次脳機能障害になっていらい、気になり始めた…というよりも「何気なく言われると傷つく言葉」を列挙してみたいと思います。

言葉は身近な人から面と向かって言われるものと、テレビやネットから間接的に言われる言葉の2種類に分けられるようです。それぞれに特徴がありますね。その辺も考慮して分けます。

テレビやSNSなどの世間の声から感じる障害への偏見の言葉

テレビやSNSから発せられる言葉って、本当にダイレクトで当事者のメンタルをぼろくそにしてくれます。完全に差別と偏見の塊から発せられるから当然と言えば当然なのかもしれませんが…
それにしても無知が酷い上に、ニュース度取り上げられるときは、ここぞとばかりに「異質な存在」として叩いてきますからね。本当にひどいですよ。というわけで列挙した傷つく言葉たちは本当に低俗で酷いものばかりです。目を覆うレベルですよ。

精神障碍者手帳が発見された

この言葉はニュースで使われますね。「精神障碍者手帳=精神障害=犯罪者」という強烈な刷り込みをする無責任極まりないマスコミが好んで使うフレーズ。
警察が捜査したらたまたま部屋にあった。でも因果関係は何もわからない。そんな段階でマスコミによる強烈なレッテル付けが行われるんですよ。これって本当に腹が立ちますよ!
仮に、身体障碍者手帳だったどうなんですかねぇ?やっぱり「犯人の部屋から身体障碍者手帳が発見されました」ってわざわざ放送するんですかねぇ?するのかな?
では「情報処理技術者試験の合格証明書」が部屋にあったら?「犯人は情報処理技術者だ!」なんて報道するのでしょうか?
いや絶対にしないはずです。関係ないですからね。
でも精神障碍者福祉手帳は報道しますよね。関係ないけれど関係あるイメージがありますものね。そういう雰囲気を作っていますものね。
差別と偏見をマスコミが先導しているのです。許せません。

精神障碍者は○○

○○には差別の言葉が入ります。これほどの直球になるとテレビでは報道されません。
しかし匿名で書き込める掲示板やSNSではよく見かけるフレーズです。
当たり前のように使われている印象ですね。たぶん書いている方は常套句として何気なく使っているのでしょう。自分が吐き出す言葉が、どれほどの差別につながっているのか?そんな認識はないのだと思います。
私自身、ネット歴が長いのでこのような下劣なフレーズを見かけても何も感じてはいませんでした。よくみかける下品なキーワードの一つにすぎませんでした。
ところが、当事者になった途端に印象ががらりと変わりました。
「なんて酷い言葉なんだ!」
怒りというよりも悲しみに襲われるようになりました。
今まで何気なく見かけていた言葉が、こんなにも当事者を傷つける言葉だったなんて…全く想像できなかったです。
この記事を読むような方は、このような言葉を使うなんてありえないと思いますが、もし言葉を使っている人が偶然にでもここを見かけたら「精神障碍者は…」といった「偏見からの差別発言は絶対しないで欲しい」です。
本当に傷つきますよ。自分とは関係ないのですが、強制的にグループ化されてる実感があるんですよ。人種差別に近いと思います。

実に厄介な存在だ

障害を負って以来周りに迷惑をかけまくっている実感があります。自分の足手まとい感というか、無能感というか…「自分に存在価値はあるのだろうか」「価値を作り出したい」「自分の居場所を作りたい」なんて思いながら、無理をしてギリギリのところで踏ん張っています。
そんなときに「実に厄介な存在だ」なんていう人がいたら…。力が抜けます。
「障がい者が頑張って努力して健常者と同じ世界で頑張ろうとする行為そのものが厄介な事」
このように考えられているのだろうか?なんて考えてしまいます。l
「そんな大げさな!?」
そう思いますか?思いますよ。いつも不安で不安で仕方がないんですよ。失敗しないように、迷惑をかけないように。顔色をうかがう毎日です。健常者時代は「みんな我についてこい!」タイプだった私でもここまで気持ちが弱くなっているのです。
不安を加速させる言葉は聞きたくないです。

身近な所から感じる無理解ゆえの言葉

身近な人たちからの言葉心に突き刺さる時もあります。ただしこちらは偏見とは違います。どちらかというと「障害への無理解」や「気持ちの焦り」「恐怖心」などが根っこにあると考えています。
仕方がないです。高次脳機能障害者が身近にいる人なんて早々いませんものね。しかもつい最近まで健常者だったのですから。
健常者状態に戻そうと接しているのかもしれません。怖くてつい言ってしまうのかもしれません。複雑な思いが込められていると思います。
それでも「言われると傷つく言葉」ってあるんですよね。それを列挙してみます。

こっちのほうが大変だよ

私の障害は記憶障害がメイン。ときどき言い間違えや勘違いが発生します。つじつまが合わない事をしているのが後になってわかったりすると焦ります。そして強くがっかりします。
「またか…」って。
だから、失敗しないように細心の注意を払って、努力に努力を重ねるわけです。健常者時代にはしなくてよかった事をするわけです。それでなくても処理速度がおちているんです。そこに余計な作業まで増えているんです。常に「間違っているのではないか?」という恐怖心も襲ってきますし。毎日が戦いです。大変ですよ本当に。
でも言われるんです「こっちのほうが大変だよ!」って…ええええええ(涙
わかってもらえないってこういうことなんだと思います。例えば「主婦は楽でいいよな」「サラリーマンって楽でいいよな」って言われるのを想像すると解りやすいかなぁ?
決して楽ではないです。それなのに「こっちのほうが大変だよ」ってマウンティングされても…
「あぁ、この人は理解をする気が無いのかな」と思ってしまいます。

大丈夫なの?

心配してかけてくれる言葉。ありがたいです!助かります!
ありがたいのですが…
「やっぱり私は障碍者なんだなぁ」って自分を再確認してしまいます。
頼りないから心配されているわけです。うれしい。ありがたい。本当にありがたい。
でも
「心配されてアリがっている自分が情けない」
言われて傷つく言葉とは違いますが、なんとも気持ちがスッキリしないのでリストアップしました。
でも「大丈夫なの?」はありがたいですよ!そう言われずに済むように頑張ります!

仕方がないよね

「高次脳だから仕方がないよね」
わかります。そういわれるの。そうなんですよ。その通りなんですよ。反論の余地はないですよ。
障害があるあから失敗するんです。
障害があるから忘れるんです。思い出せないのです。
障害があるから疲れるんです。
私を身近で見ている人は、失敗を繰り返す私を見て思うのです。
「障害があるのだから仕方がないよね。」
そこにある気持ちは「諦め」だと思います。
諦めていないのは私。だから粘り強く挑戦し続ける。時々心が折れるけれど時間とともに回復する。そしてまた挑戦する。また失敗する。ずっと繰り返し。
もしかすると、そんな私を慰めてくれているのかなぁ?
諦めから来ているのか慰めなのか。いずれにしろ情けないです。
「仕方がないよね」という言葉は、同意とか共感とかそういうものではないですよねぇ?

あーそうなんだぁ

想像してみてください、認知症のお年寄りが夢みたいなことを話している様子を。
どうでもいい話が長い、でも無視すれば怒る。時間の無駄。そんなときに打つ適当な合図値。
「あーそうなんだぁ」「よかったね^^」
私は記憶障害ですが、人の心を推測することは普通にできます。
相手がどんな気持ちでいるのかもわかります。
でも自分の脳から再生される記憶は間違っている。まちっがっているのを知っている。
ということは
「あーそうなんだぁ」というぞんざいな対応されるということは、自分の言うことが間違っていて相手にされていないのだ。という結論が導き出されるわけです。
相手の言葉をきっかけに、自分の扱われようを再認識して傷つくんですよね。仕方がないのですが。
馬鹿にされている感じがして、かなり悔しいです。でも反論できません。障害ゆえの行動を積み重ねた結果ですから。

あぁ、例のね…

こちらも馬鹿にされていると受け取れる言葉です。先ほどの「あぁそうなんだぁ」は、仕方なくあきらめているのですが、こちらは許せないレベルで怒りを感じました。一生忘れません。(記憶障害でも忘れないのですよ)
なぜなら、全く関係のない第三者が、また聞きの情報から私の事を「所詮障害者」と見下しているのがわかるからです。
思いっきり傷つきますね。このような態度は。でも闘志が湧きます。絶対に見返してやる!って心に誓いました。
以前の私ならいじけてしょんぼりだったかなぁ…。でも今は違います。以前のような心の打たれ強さが戻ってきているようです。
元々の私は意外と図太い性格。というかプライドが高く負けず嫌い。やると決めたらとことんやるタイプでした。私を見下した人たちは必ず後で見返してやります。絶対にです。

自分が高次脳になってから言われると傷つく言葉まとめ

思うに、障害者である私が傷つく言葉たちって「無理解」から来ているようです。
たぶんこれって障害者たちが受ける「偏見」に共通しているのではないかな?って思います。
つまり
「知らないから偏った知識て当事者を見てしまう。その結果当事者を傷つける。」
こういうことなのだと思います。
しかしながら何気に使う言葉は、その人の真の姿を現すような気がしますね。特に知らない事柄へ向ける言葉。
自分も気を付けたいです。