自覚の持てない高次脳機能障害|具体的にどのようになった?

自覚の持てない高次脳機能障害|具体的にどのようになった?

ある日、高次脳機能バランサーをしていてハッと気づきました。
「なぜ自分の動きはこんなに遅いのか」と…。
自分の遅さに気付いた瞬間に、病前の動作速度を取り戻しました。自分自身の動作が劇的に速くなりました。
脳に障害を負ってから半年後ぐらいの出来事です。
それまでは、身体を動かす速さ、話す速さ、考える速さがかなり遅かったのだと自覚できました。
例えて言うのなら、本来は1秒に3つぐらい動作できていたはずのモノが、1秒に1つしか出来ないような状態。
例えれば高次脳機能バランサーのデモンストレーションの、もっさりとした音のテンポと全く同じにペースになっていたのです。
気づいた瞬間にゾッとしましたね。
注意障害のせいなのでしょうか…高次機能バランサーのゆっくりとした音のテンポに引き込まれてしまい、そのペースでしか身体が動けなくなっていたのかもしれません。

それでも自覚なし。高次脳機能障害で遅くなった動作

でも不思議ですよね。なぜ、やたらと動作が遅かったのでしょうか?
体そのものには全く問題がありませんでした。麻痺しているわけでも、けがをしているわけでもないのです。
腕が重いとか、体がだるいとか、そのような事もありませんでした。ただし疲れた感は常にありましたけれど。
話すペースは非常に遅かったと思います。千葉リハでの診察では「ぼんやりとしている」「焦点があっていない」そのようなことを、毎回毎回、言われていました。
会社とは電話で仕事の話もしていましたが、相当もっさりしていたようです。何しろ電話の相手から「もっとしゃっきりして!」って注意されていたくらいですから。
それでも自分としては普通のつもりだったんですよね。だから「しゃっきりして!」と注意されても一体何が悪いのかが全く分かりませんでした。
それどころか「脳に障害ができてしまったから、馬鹿にしているのではないか?」と不満を強めていました。
今はわかります。当時の自分がどのような状態だったのかを。脳の障害の自覚がないというのはこういう事なんですね。

千葉リハのグループリハビリを受けても自覚なし

私は1月に入院して4月ごろから千葉リハのグループリハビリを受け始めていました。
そこでは、高次脳機能障害のある方々が集まり、一人一人が様々な発表を行います。「うわぁ大変そうだなぁ」と心配になってしまうような参加者もいました。
たぶん私もそのうちの一人として見られていたのかもしれません。他の参加者から見ればです。
でも私自身は障害の自覚に乏しくて「私より大変そうな人ばかりだ!」「私は全然障害が軽い方だ!」
そのように周囲を見ていましたね。完全に自分の事は棚に上げていました。
障害の自覚がないのってこういう事なんですね。自分自身も同じように障害を負って大変なのに、他人の大変さばかりを気にしているんですよ。
身内からしてみたら「一体何を考えているだ!?人の事なんでどうでもいいだろう!」と歯がゆい思いをすると思います。
でも、本当に自分がどういう状態にあって、どれほど大変なのかが、全く分からなかったのです。それなのに自分では「障害の自覚はある方だな」なんて考えていましたから。とんでもないですよ。

高次脳機能障害の自覚って本当に難しい

私が千葉リハに通っていた最大の目的は「自動車の運転の再開」でした。
でも、千葉リハからは「今の状態では運転再開は無理です、」と何度も何度も言われました。
悔しかったですねぇ。「こんなに普通に戻れたのに何が一体ダメなんだ!」ってイライラしましたね。きっと何かしら理由があるのだろうけれどそれが分からないのです。
今になればわかるのですが、結局私が運転再開を禁止されていた理由は2つだったようです。

  • 易疲労でめちゃうちゃ疲れやすい
  • 障害の自覚がない

大きくはこの2つでした。この二つから派生する様々な注意点があるのですが、原点はこの2つですね。私が散々治そうと意識した「慢心」は「障害の自覚がない」からの派生になると思います。
慢心があると障害ゆえのミスがあっても気が付けませんからね。気づけないということは治せないということです。ずーーーーと周りに迷惑をかけ続ける事となってしまいます。運転でそれは絶対にダメですよね。
だから障害の自覚を持てない私はいつまでたっても運転再開OKの診断が下りないのでした。

記憶障害はスグに自覚出来たが…自覚しづらいのは障害ではなくて…

私ね。思うんですよ。
高次脳機能障害の自覚って、障害そのものの理解とは違うのではないだろうか?と。
障害そのものの理解というのは、「空間が半分認識できない」とか「自分は短期記憶が全くダメだ」とか「自分はすぐに怒ってしまう」とかそいうう言うものではなく、
「自分が持つ障害を代替手段で無意識にフォローできるようになる下地が身についているかどうか」
なのではなかろうかと…。
こういうのって障害になりたての時点ではまず身につかないと思います。「そんなことは無い。今この記事を見て理解できたから自分は大丈夫だろう」と考える人がいるかもしれないけれど、きっとそれも違うと思います。
それは障害の自覚ではありません。単に頭で理解した気分になっているだけです。
じゃぁ何が気分で、何が本当の自覚なのか?何をもって判断するのか?
それは長く経験を積んだ専門の医師じゃないと判断が付けられないのだと思います。私も良くわかりません。言葉に定義できないです。
自分は自分のケースで経験したから自分の障害の自覚については語れますが、他人の障害の自覚については「???」ですね。何も言えません。言えたらヤバいですね。嘘つきになりますね。
少なくとも「脳に障害があって記憶力が無くなった」レベルの知識は「自覚からほど遠い」です。っていうか知識と自覚は違いますね。
私は本を読みまくって知識だけは仕入れてましたから。だから自分がどういう障害でどういう子困り事があって、どういう対策をとればいいのか。と言うのは知っていました。でもそれは自覚ではありません。単なる障害対策の知識です。
何を言っているのかよくわからないと思います。
でもこの部分が「高次脳機能障害の自覚のキモの部分」ナノではないだろうか?と障碍者生活を数年ほど送ってきて思うわけです。
高次脳機能障害を自覚出来た人は、私が言っていることを体現していると思います。言葉にはできないけれどモヤモヤとして理解している。そんな感じでしょうかねぇ。
「高次脳機能障害のリハビリは自覚がゴール」
千葉リハから言われた言葉です。
とても奥が深いと思います。私は奥深さの入口から少しは中に入り込めたでしょうか?それとも見当ちがいな部分を進んでいるのでしょうか?
その答えは今後何十年もかけて見えてくるのかもしれません。
それが高次脳機能障害の自覚。なのかもしれません。