高次脳機能障害者になった自分を襲う悪の四天王

高次脳機能障害者になった自分を襲う悪の四天王

「ギフト」
「ギフテッド」
私の嫌いな言葉です。
なぜ?
障害のある子に使われる言葉だと判ったからです。
「障害により経験しなくてよい苦労をしなくてはならないが、それは自分の魂を磨くために与えられたチャンス。」
そのような意味があるのを知りました。私の知る限りでは。
障害のある子ども界隈が発祥の地なのかな?
でもこれ、他の障碍者にも使われているようです。
意味合いからすると高次脳機能障害にも該当するでしょう。
「あなたが中途で脳に障害を負ったのは、自分の魂を磨くためのだからだよ。それはまたとない絶好の機会だよ。」
こうなるでしょうか。
…ふざけんなあああああ!ですよね。真顔でこんなこと言われたら、そっとフェイドアウトします。
言う方はきれいごとを並べ立ててご満悦かもしれません。
言われる方は「はぁ?」です。
余りの非共感具合にストレスがマックスになってぶっ倒れてしまいます。
ではどうとらえたら良いのでしょうか?
「ギフテッドは臭いものに蓋と同義」
少し前までの私にとっては、この考え方がしっくりしていました。
私は臭いもの。だからきれいごとで蓋をする。そこに私の存在はない。あるのはきれいにラッピングされた誰か…。
「ギフテッドという言葉の裏には綺麗ごとを並べて、障害に苦しむ人の存在を否定する。」
こうですかね。こんな風に考えていました。だいぶ精神が暗黒面に引きずり込まれているようです。
でも最近はちょっと変わっててきています。ギフテッドという言葉をこのように感じています。
「ギフテッドとは倒すべき敵」
私にとって障害は一生を共にするパートナーではありません。
今すぐに駆逐してやりたい敵です。でも強大です。倒せません。
少しずつ、少しずつ、攻略をするしかありません。
毎日が闘いです。本来なら必要の無い戦いです。闘いながら日常を送らなければならない。仕事をしなければならない。
大ハンデ戦を強いられています。でも叩い続けています。
ゴールは障害の克服…というよりも「障害の駆逐」ですね。
障害はパートナーではありません敵なのです。
ちなみに敵は4人います。四天王です。
その四天王を目に見える形にしたものが、この記事の冒頭の画像となります。
こいつらを全員駆逐してやりたい!