高次脳機能障害への偏見はなぜ?自分を照らし合わせながら考える

高次脳機能障害への偏見はなぜ?自分を照らし合わせながら考える

高次脳機能障害は実際の所どういう障害なのでしょうか?
…人によって障害の内容が全く違うため一概には言えない障害とされているようです。ただ共通点もあるようです。例えば「疲れやすい」「注意力が落ちやすい」など。
当事者やその家族なら分かると思います。でも基本的には内部障害であり、ほとんど知られていないマイナーな障害です。そのため誤解も多く見受けられるようです。
その誤解は別の障害と区別を付けられるほどの知識も経験もないゆえに起こる障害です。まぁ、普通はそうだと思います。
ただ、それが高次脳機能障害への強い偏見や差別への始まりにも思えます。
私はネットで「うわぁこれは…」とちょっと引くような情報を見つけました。高次脳機能障害者への偏見がモロに噴出しているようなない書込みが沢山ありました。
見るも無残な内容なのですが、このような考え方を持つ人がいるのも事実なのでしょう。もしかすると私自信の自覚が足りなくて該当しているのかもしれませんが…
そんなわけで今回は、高次脳機能障害者への偏見と差別の断片を拾ってみました。
己の気を引き締めるためにも、まとめてみたいとおもいます。

高次脳機能障害への偏見の例と当事者の意見

4つの偏見(意見)は以下の通りです。

1.自分のこと棚に上げて人を責める

障害の自覚がない人が陥りやすい行動かも知れないな。と思いました。
脳の障害は手足の障害とは違い目では見えません。例えば自分の身体の匂いが分からないのに似ていると思います。
自分の事はよくわかっていないのに、他の人の行動には敏感なような気がします。これ、注意障害で留意力が低くてもアルアルな気がします。私もそんな感じでした。
こんな経験があります。
千葉リハでグループリハビリのために待合室で開始時間が来るのを何人かで待っていた時です。
すぐそばで小さな子供がごねて騒いでいました。すると近くの人がこういったのです「うるさいな!」と。
私は驚きました。っていうか引きました。「なにもこんなに小さな子に、目くじら立てなくても…」と。
小さな子の両親がすぐに遠くへ連れて行ったし、無用なトラブルは避けたいので黙っていたので、その後はとくに何かが起きたわけではありません。みな静かに開始時間を待ち続けました。
問題が起きたのはその後です。
その日のテーマは「怒りやすさ」だったかと思います。感情失禁と言うやつです。
司会の療法士さんが全員に尋ねました。「高次脳になってから、怒りやすくなったてはいませんか?」と。
私は一時期起こりやすくなっていたのでそのように答えました。退院後に仕事を再開した時は追い詰められすぎて発狂寸前でしたから。
で、例の「うるさいな!」と怒った人が聞かれた時なのですが、このように答えていました。
「怒ったりはしません」
私は驚きました。ついさっき小さな子供に怒っていた当人が怒っていないと発表しているのです。
でも嘘はついていないように感じました。もしかすると記憶に問題があって本気で覚えていないのかもしれません。
その時私は思いました「障害の自覚って、そういうことなんだな」って。ほんの少し前に起きたことも忘れてしまう。自分もそうでしたが、本当に悲しい障害だと思いました。
その人は「怒るのはよくない」という考え方をしていたと思います。
「自分の事を棚に上げて人を責める」のってこういう事なのかもしれません。自分の行いを忘れている。だから相手を責め立てることができる。
これは高次脳だからと言うわけではないと思います。健常者にもありえる事です。
「自分の事は棚にあげて人に文句ばかり言う」
そういう人いないでしょうか?脳機能に同じようなトラブルが発生しているのかもしれませんね。

2.自分の欠点を指摘されるのを嫌がる

私自身がそうなのですが、高次脳になるとひどいコンプレックスを抱くようになるのではないでしょうか?
なぜなら、常に失敗を重ねて思うように物事が進められなくなっている自覚があるからです。
厄介なことに元々出来ていたことが出来なくなっているんですよね。

  • 「本当ならできるはずなんだよ!」
  • 「でもなぜできないんだ!」
  • 「これでは馬鹿にされてしまう!」
  • 「見下されてしまう!」

この思考パターン。私が良く陥るものです。
「なぜなんだ!出来るはずなんだ!自分の力はこんなものではない!」
なんど頭を抱えたか。悔しかったか。
最初に乗り越えなければならない自覚の壁が、過去の自分の能力との決別なのかもしれません。非常に苦しいですよコレ。永遠の呪いをかけられたのと同じです。
認めたくありません。でも現実は冷徹です。寝ても覚めても悔しい。
当然現実を認めたくなくて抗いまくります。心には一片の余裕もありません。ひたすら「そんなはずはない!」念じます。そして行動します。でも出来ないのです。
そんなギリギリな精神の時に「無理だ、あきらめろ」と言う言葉は…受け入れるわけにはいかないのです。
とことん粘って、頑張って、努力して、絶叫しながら、現実を否定しながら、1点の希望を探し求めてパニックになっているのです。
最も心に余裕のない時期です。その時期に欠点を指摘するのは、断崖絶壁から落ちないためにかろうじて片手で命綱をつかんでいるのです。
私にとって欠点の指摘はその命綱を目の前で切り落とされるのと同じ行為だったのかもしれません。

3.見栄を張りたがる

周囲には見栄に感じるかもしれませんが実際は違うと思います。
実際は作話なのだと思います。作話をしている本人にとっては、脳内の記憶をアウトプットしているにすぎません。だから現実なんですよね。
ところが周囲からするとそんな現実はどこにもないのです。当事者の言葉と現実のズレが作話になります。
全てではないけれど、その作話は当事者にとって都合の良い内容だったりします。自分が望んでいるストーリがが脳内で作られて、現実と虚構の区別がつかなくなっている常態です。
私もありました。退院して3か月後かな?知り合いから「ビジネスショーに行かないかと誘われた。」こんな作話をしました。当日はスーツに着替えて喜び勇んで幕張メッセへ出向きました。
そしたら待ち合わせを約束した場所に誰もいないんですよね。
「変だなぁ。集合場所を間違えたかなぁ。大変だぞ!」
そこで慌ててメンバーに電話してみると「そんな約束はしていないよ?」という回答。
ショックでした。ものすごい勘違いをしてしまった。と思いました。この物凄い勘違い。ありもしない話。これが作話です。
「皆に会える。ビジネスの世界に戻れる。」
期待でイッパイだっただけに、作話だと思い知らされた時の衝撃は…「私は本当にダメになったんだな。壊れたんだな」と落ち込みまくりました。
見栄を張りたがるというのは、実際は見栄を張ろうとしているわけではないと思います。
私と同じように作話しているのです。現実が脳内に記録されて、後から出力する際に話が変わっているんですよね。都合の良い方向に。
その「都合の良い方向時変わる」というのが、はたから見ると「自信過剰」だったり「かっこつけ」だったりに見えるのだと思うのです。
自分の状況が分かっていないのです。だから見栄を張っているように見えてしまう。実際は見栄を張っている気はないのですけれど。

4.非常に自信過剰

自意識過剰は見栄を張るというのに似ていますが、もしかすると「被害者意識が強い」の方かもしれませんね。
高次脳になると「急に世界が縮まる」と思います。その究極が部屋に引きこもって散歩すらできなくなる状態です。
正直怖いんですよね。どこでどんな失敗をやらかしているのかわからないし。「迷惑をかけない」が日本人の美徳ですし。
だから失敗しないように警戒しまくるんですよ。臆病になるんです。
それが他人からすると歯がゆくて「自意識過剰」に写って見えるのでしょう。
自意識過剰は失敗を恐れ過ぎて知事困っている状態です。これでは脳機能も体もどんどん衰えます。
高次脳から認知症へ移行してしまいます。そうなるともう元には戻れません。高次脳はゆっくりと快方に向かう性質があるそうですが、それすらも望めなくなってしまいます。
また、自意識過剰になると被害者意識が強くなると思います。つまり他人を責めるようになる。
これも良くありません。周囲から避けられる存在になるため、社会的に居場所がなくなってしまいます。そうなると完全に孤立です。
私も追い詰められると被害者意識が産まれる時があります。仕事で焦ってしまったときなどはパニックになるのですが、その際にこのように叫んでいたそうです。
「なぜ自分だけが!」
って。結局これって強い被害者意識の表れなんですよね。
障害の症状が落ち着き、「もう手帳はいらないのでは?」と考えられるまでになった今では被害者意識はありません。先を見据えて目のまえの課題を淡々とこなしている状況です。

まとめ

障害があるのに、自分の事を棚に上げて、人の欠点を指摘する。高次脳機能障害の特性の一つなのかもしれません。
もちろん全員が該当するわけでもありません。
でも目立つ特性は目立ちますからね…。知識のない人にとっては目に入る断片が判断を下す材料の全てでしょうから。
それが高次脳機能障害への著しい偏見を生むのだと思います。イコール精神障碍者への偏見でもありますね。
この偏見は就労にも影響します。高次脳機能障害者は避けたほうが良い。と思われても仕方がないのかもしれません。悔しいですけれど。
でも逆に言えば、「心が穏やか」で「自分の障害はこの部分」と淡々と説明できる人なら、広い世界に繋がっている希望があるのかもしれません。
私はこの先どうなるのでしょうか。
就労に向けてじりじりと前進しています。常に心は穏やかです。